吹雪の一日 詩群

 

『春と修羅 第二集』

410 車中 1925.2.15(下書稿)

411 未来圏からの影 1925.2.15(下書稿手入れ)

415 〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕1925.2.15(下書稿(三))

419 奏明的説明 1925.2.15(下書稿(二)手入れ)

 

 この一日の経過について、小沢 俊郎 氏は、次のようにまとめています。

この日曜日、汽車に乗ってどこかの町へ出かけ、出先で吹雪となり、その吹雪の中で未来圏からの自分の影を見、魚屋の店先で庶民的な生活の一端に触れた。そのあと、花巻へ帰って、花巻駅前に降りたとき、吹雪が収まりかけたのを見た感動が、この「映画劇『ベーリング鉄道』序詞」となった。(花巻駅下車時、と推量するのは、賢治が「ベーリング行」の列車を考えるときは、現実には花巻駅や東北本線下り列車が意識されているのが常だからである。)・・・
 「車中」では、まだ「しろく澱んだ雪ぞら」程度で、吹雪にはなっていなかった。汽車を降り立ったどこかの町では吹雪になっていた。その町の駅近くが「未来圏からの影」の場であろう。知る人もないよその町であることが、孤独な未来への予感をより強めたにちがいない。・・・

 一連の詩群から、この日がひどい吹雪であったことが想像されます。なかでも、「四一一 未来圏からの影」における吹雪の描写は、極度の不安と戦慄を帯びたものです。

 これに対して、小沢氏の文中にも出てくる「四一九 映画劇『ベーリング鉄道』序詞」(「奏明的説明」の前の草稿形態)においては、「この地方では吹雪はこんなに甘くあたたかくて/恋人のやうにみんなの胸を切なくいたします」と表現されています。

 同じ日のあいだに、吹雪に対する印象がこれほどまでに変化しているのは、興味深いことです。
 この「日帰り」の外出で、いったい何が作者に心境の変化をもたらしたのでしょうか。

 作品の中では、「恋人のように切ない」のは「みんなの胸」であるとされています。しかしこれはじつは、作者自身の外出からの帰途における気持ちだったのだと思います。
 個人的感情に対して、複数化によるぼかしをかけるというのは、賢治が時々おこなうことです。


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