「雨ニモマケズ」詩碑

テキスト

 雨ニモマケズ
               宮澤 賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

              (原文のまま)

         花巻市立南城中学校創立50周年記念 

出典

〔雨ニモマケズ〕」(『〔補遺詩篇 II〕』)

所在地

花巻市南城251 南城中学校校庭

碑について


 元祖賢治詩碑のある羅須地人協会跡から、旧奥州街道を南に500mほど行ったところに南城小学校があって、その体育館はもしも9月21日が雨天だった場合に「賢治祭」が行われる会場ですが、小学校からさらに300mほど南に行って少し西に入ると、この南城中学校があります。

 2003年11月、南城中学校創立50周年を記念して、この詩碑は建てられました。短期間ながら賢治が理想を求めて独居自炊生活を送った場所からほど近いところにある中学校で、校歌の歌詞にも、「賢治の聖なる 精神継ぎて…」という一節が出てくる、そういう土地柄です。

 また、学校のすぐ近くの旧奥州街道には、昔の松並木が一本残って、「奥州街道なごりの松」という説明板が出ています(右写真)。
 江戸時代初期に植えられた街道筋の松並木は、賢治の時代にはまだたくさん残っていましたが、当時の県当局は伐採する方針を打ち出していました。賢治はこの並木はぜひ保存するべきだと考えていたようで(4月25日の「賢治 日めくり」参照)、「農民芸術概論綱要」にある「青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て」という言葉も、この松並に対する彼の思い入れをうかがわせます。
 しかしその松も、現在はこの一本と、あと南城小学校の校庭にあるものを残すのみとなりました。


 この詩碑のテキストでは、末尾に記されているように「原文のまま」を重視しているためでしょうか、「ヒデリ」の誤記と考えるのが学界の定説となっている本文24行目が、賢治の筆跡どおり「ヒドリノトキハ…」と刻まれています。2002年に作られた住田町世田米の「雨ニモマケズ」詩碑も同様でしたが、1989年の読売新聞記事によって注目された「ヒドリ説」の影響が、まだ尾を引いている感があります。
 「ヒドリ説」には様々な無理があり、「ヒデリ」の誤記と考えるのが妥当であることは、研究者の間ではすでに結着した問題ですが、わざわざ中学校に「ヒドリ」と記した碑を建てて説明も付けないというのは、不適切と言わざるをえません。生徒さんたちは、この碑を見て混乱しかねないでしょう。


花巻市立南城中学校(右下の茶色い岩が詩碑の背中)

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