「発動機船 一」詩碑

テキスト

  発動機船 一
             宮 澤 賢 治
うつくしい素足に
長い裳裾をひるがへし
この一月のまっ最中
つめたい瑯カンの浪を踏み
冴え冴えとしてわらひながら
こもごも白い割木をしょって
発動機船の甲板につむ
頬のあかるいむすめたち
  ……あの恐ろしいひでりのために
    みのらなかった高原は
    いま一抹のけむりのやうに
    この人たちのうしろにかゝる……
赤や黄いろのかつぎして
雑木の崖のふもとから
わづかな砂のなぎさをふんで
石灰岩の岩礁へ
ひとりがそれをはこんでくれば
ひとりは船にわたされた
二枚の板をあやふくふんで
この甲板に負ってくる
モートルの爆音をたてたまゝ
船はわづかにとめられて
潮にゆらゆらうごいてゐると
すこしすがめの船長は
甲板の椅子に座って
両手をちゃんと膝に置き
どこを見るともわからず
口を尖らしてゐるところは
むしろ床屋の親方などの心持
そばでは飯がぶうぶう噴いて
角刈にしたひとりのこどもの船員が
立ったまゝすりばちをもって
何かに酢味噌をまぶしてゐる
日はもう崖のいちばん上で
大きな榧の梢に沈み
波があやしい紺碧になって
岩礁ではあがるしぶきや
またきららかにむすめのわらひ
沖では冬の積雲が
だんだん白くぼやけだす


出典

発動機船 一(下書稿)」(『〔口語詩稿〕』)

建立/除幕日

1996年(平成8年)6月7日 建立/6月25日 除幕

所在地

岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀地内 平井賀漁港  →地図表示

(本詩碑は2011年3月の東日本大震災の津波により流失して一時行方不明になりましたが、6月に発見され、現在は建立者である「本家旅館」の庭に 建てられています。)

碑について


 1925年1月の三陸旅行において、賢治は徒歩と発動機船で海岸沿いを移動しました。
 1月7日午後には、安家〜堀内〜太田名部〜羅賀のいずれかの港から発動機船に乗船し、宮古で下船したと推定されています。この作品はその船上でのスケッチのようです。

 賢治は、働く女性を好んで描写していますが、ここに登場する「頬のあかるいむすめたち」も、魅力的です。「曠原淑女の漁業版」といった感じです。
 この情景は、上記の区間のどこの港かはわかりませんが、おそらく内陸育ちの賢治の眼には、海に生きる人々の猥雑なほどの活気が新鮮だったのでしょう。

 前述のように、この旅行で賢治は田野畑村内のどこかで発動機船に乗ったと思われますので、これを記念して、この村のなかのあちこちに、「発動機船」三部作の詩碑が建てられています。
 この「一」の詩碑は、三陸リアス鉄道の田野畑駅で降りて、徒歩数分ほどの平井賀漁港わきにあります。「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスのような、みごとな黒御影石でできています。


平井賀漁港

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