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 去る6月27日に、花巻農業高校のOBという方からメールをいただき、「iPhone用の精神歌の着信音できませんか?」とのご依頼を承りました。
 週末に作成作業をして、メールで依頼者様にお送りしようと思ったのですが、なぜか返信をしても、「アドレスが見つからなかったか、メールを受信できないアドレスであるため、メールは配信されませんでした。」とのエラーメッセージが返ってきてしまいます。

 そこで、本日はこの場に「花巻農学校精神歌」のiPhone着信音ファイルを公開いたしますので、先日メールを下さった依頼者様が、もしもここをご覧いただいていましたら、ダウンロードしてお使い下さい。
 他の方々も、どうぞご自由にダウンロードして使ってみて下さい。

 iPhoneの着信音は、「m4r」という拡張子になっていますが、このままクリックしても再生されないかと思いますので、同じデータをMP3形式にしたものを、下に「試聴用MP3」として掲載しています。パソコンで試聴される場合は、こちらをクリックして下さい。

seishinka6_8.m4r (8分の6拍子版)
  (試聴用MP3

seishinka4_4.m4r (4分の4拍子版)
  (試聴用MP3

 ところで、「花巻農学校精神歌」は、8分の6拍子の版と4分の4拍子の版に二種類で歌い継がれていて、これまでの全集にも、二つの楽譜が掲載されています。(下画像は、ちくま文庫版宮沢賢治全集より)

二種類の花巻農学校精神歌

 「賢治祭」や「宮沢賢治学会懇親会」の終わりにこの歌を全員で合唱する時など、一般的には8分の6拍子のバージョンが歌われることが多く、当サイトの「歌曲の部屋」にも、8分の6拍子の編曲を掲載しています。一方、今回の依頼者様は花巻農業高校のOBでいらっしゃるとのことでしたが、私が花巻農業高校の行事等に参加させていただいた折に聞いた範囲では、すべて4分の4拍子で歌われていましたので、今回は4分の4拍子のバージョンも作成してみました。
 編曲は単純な二声部にして、楽器はどうしようか迷いましたが、電話の着信音というイメージから、「ハンドベル」の音色にしています。
 iPhoneの着信音は30秒以内に限定されていますので、上記ファイルも30秒ちょうどにしたため、1コーラスの途中までしか入っていません。

【着信音の設定の仕方】

  1. まず、上記の「seishinka6_8.m4r」あるいは「seishinka4_4.m4r」をクリックして、ファイルをパソコンにダウンロードします。
  2. お使いのiPoneとパソコンをUSBケーブルで接続し、iTunesを起動します。
  3. iTunesの左側の一覧から「デバイス」の中の「着信音」をクリックし、「着信音」画面を開きます。
  4. 「着信音」画面に、ダウンロードしておいた「seishinka6_8.m4r」あるいは「seishinka4_4.m4r」ファイルを、ドラッグ&ドロップします。

iTunes「着信音」画面

  1. iTunesとiPhoneを同期します。
  2. iPhoneで、「設定」―「サウンド」―「着信音」をタップして、取りこまれている「seishinka」ファイルを選択します。
 それでは花農OBのKさん、このファイルがお役に立てれば幸いです。
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 酒井俊さんという歌手がおられて、ジャンルは何と言えばいいのか、私ごときにはよくわかりませんが、1970年代にジャズヴォーカルとしてセンセーショナルにデビューし、その後マンハッタンで生活していた時期などをはさんで、ある時点からはもっぱら日本語で歌う道を選び、1995年の阪神淡路大震災以降は被災者への鎮魂歌とも言うべき「満月の夕」を歌い続けて2003年日本レコード大賞企画賞を受賞し、現在はベトナムで暮らしながら、日本でも音楽活動をしているという、そんな方です。
 一般的な音楽ジャンルの境界など超越しておられる感じですが、しいてその歌を位置づけるならば、「日本の魂のあふれたジャズ」ということになるんでしょうか? その歌声は、温かくやさしく、それでいて力強く、初めて聴いても不思議な懐かしさを感じます。

 その酒井俊さんは、宮澤賢治を深く敬愛しておられるということで、このたび4月20日に、その名も『花巻農学校精神歌』というアルバム(上のジャケット)を発売されます。この日はくしくも、賢治が『春と修羅』を出版した記念の日ですね。
 そしてその発売に合わせ、4月14日から5月26日まで、日本各地29ヵ所でライブ「怒濤の全国ツアー」を開くということで、その京都公演を企画しておられる方から、お知らせをいただきました。
 京都では、4月16日(木)の夜に、鞍馬口の「」というレストランで開かれます。私は、開演には遅れてしまいそうなのですが、それでもぜひ聴きに行きたいと思っています。

『花巻農学校精神歌』新譜アルバム発売記念ライブツアー
京都公演
  日時: 4月16日(木)18:30 開場/19:30 開演
  場所: カジュアルレストラン 陽 (地下鉄「鞍馬口」駅徒歩3分)
  料金: 3500円(ドリンク代別途)
  予約: 075-414-0056(陽)

酒井俊『花巻農学校精神歌』発売記念ライブツアー京都公演

 さらに、全国ツアーの予定は下記のとおりだということで、これはまさに「怒濤のツアー」ですね!

中京関西山陽ツアー
4月14日(火): 名古屋「得三」
4月15日(水): 大阪「ラグタイム大阪」
4月16日(木): 京都「レストラン 陽」
4月17日(金): 神戸「James Blues Land」
4月19日(日): 広島「行者山太光寺」
4月20日(月): 広島「オリエンタルホテル広島 3Fチャペル」
九州ツアー
4月22日(水): 福岡「ニューコンボ」
4月23日(木): 久留米「ルーレット」
4月24日(金): 熊本「Restaurant & Live Bar CIB」
4月25日(土): 熊本「リハビリテーション病院」
4月28日(火): 喜界島「SABANI」
4月29日(水): 鹿児島「明日の地図」
TOKYO公演
5月 1日(金): 下北沢「ザ・スズナリ」
東北中越北関東ツアー
5月 7日(木): 宇都宮「悠日カフェ」
5月 8日(金): 二戸「蔵元南部美人」
5月 9日(土): 八戸「茶屋東門」
5月10日(日): 気仙沼「ヴァンガード」
5月12日(火): 仙台「カーボ」
5月13日(水): 新潟「Jazz FLASH」
5月14日(木): いわき「Bar QUEEN」
北海道ツアー
5月18日(月): 札幌「JERICHO」
5月19日(火): 小樽「GROOVY」
5月20日(水): 伊達「チロル」
5月21日(木): 函館「Ji-no」
5月23日(土): 釧路「ジスイズEST」
5月24日(日): 三石「蓬莱音楽館」
5月25日(月): 東川「叢舎」
5月26日(火): 札幌「くう」
横浜公演
5月28日(木): 新横浜「エアジン"ラントラクト1F」

 詳しくは、酒井俊さんのオフィシャルサイトの「4月のスケジュール」および「5月のスケジュール」のページからご覧いただくことができます。

 最後に、下のYouTubeからは、CD『花巻農学校精神歌』の一部を視聴することができます。

賢治祭2006

 けっきょく睡眠はあまりとれぬままに5時半頃に起床して、京都駅から6時48分発の「のぞみ」に乗りました。幸いにも、すっきりとした秋晴れの朝です。
 東京には9時すぎに着いて、「はやて」に乗り換え、車中ではだいたい寝ていました。新花巻に着いたのは11時47分でしたから、道中はぴったり5時間です。

 新幹線を降りると駅前の「山猫軒」で昼食をとって、タクシーで花巻農業高校に向かいました。 校内の「第二体育館」で、「賢治先生を偲ぶ会」が朝9時から行われているということでそちらへ向かったのですが、体育館が近づくと、「精神歌」の合唱が聞こえてきます。まさに、最後のプログラムが始まったところでした。
 会場へ滑り込んで、二番の途中から歌に加わって、少しだけ写真を写しました。

賢治先生を偲ぶ会

 体育館でのプログラムが終了すると、会場におられたお知り合いに2人ほどあいさつをして、「羅須庭園」の方に向かいました。

 賢治銅像ここには、すでに除幕式のすんだ「賢治銅像」が、どっしりと立っていました。あの有名な、ベートーヴェンを真似たスタイルの写真をもとにした立像ですが、三次元の像となると、いろんな方向から眺めることができてしまうので、あの写真を見慣れた者からすると、ちょっと不思議な感じです。これまで見られなかったようないろんな賢治さんの表情が見えます。
 私があちこちから眺めたり写真を撮ったりしていると、女生徒が2人、「あれって1000万円かかったんだって…」と小声で話しながら通りすぎていきました。私には、真偽のほどはわかりません。

 いずれにしても、存在感あふれる「賢治先生」の姿が新たにここに出現したことによって、彼のファンにとってはまた一つ見逃せないスポットが生まれたことは、間違いありません。

 この後、羅須庭園で高校生たちによる鹿踊りを見学して、それからいったんホテルに荷物を下ろして、3時半頃から詩碑前広場に向かいました。

 今年の賢治祭については、またいずれきちんとした報告ページを作らなければならないのかもしれませんが、私にとってはこれまで何回か参加してきた中で、最も感動的で印象深い回となりました。
 雲一つない降るような星空に恵まれたおかげもありますし、「賢治銅像」を作られた彫刻家の橋本堅太郎さんのお話の素晴らしさもあったでしょうが、それに加えて、藤原真理さんによる「賢治旧蔵チェロ」を用いた演奏が、圧巻でした。

 本当に信じられないことですが、今晩の藤原真理さんは、ふだんは賢治記念館のガラスケースの中に収められている賢治が所蔵していたチェロそのものを、花巻市の許可を得て借り出し、演奏に使用されたのです。数十年もきちんと演奏家によって手入れもされていない楽器を、急に生演奏に使うなどとは、無謀なことのように思えますが、しかしこの賢治のチェロは、今晩藤原真理さんによって、驚くほどの素晴らしい音色を引き出されたのです。
 「弘法は筆を選ばず」とは言いますが、失礼ながら私などはほとんど骨董的価値しかないのではないかと思っていた「賢治のチェロ」から、数十年の時を経て美しい音楽が流れ出すと、何かの奇跡に立ち会っているような感覚にとらわれました。

 藤原真理 in 賢治祭2006

 藤原さんは、最後の「精神歌」の全員合唱の時にもチェロで伴奏をして下さって、これは参加者皆にとって、素晴らしく贅沢な精神歌でした。

 第一部が終わると、ミーハーの私は真理さんを追いかけて、このために持参したCD「風のかたみー宮澤賢治へのオマージュ」に、サインをしてもらいました。20数年前の大学オケとの共演のことも彼女はちゃんと憶えて下さっていて、あの頃と同じように優雅に美しく、彼女はサインをしてくれました。

藤原真理 le 21 septembre 2006


 あと下の写真は、今日3回目の公演となる花巻農業高校鹿踊り部と、「劇団らあす」による野外劇「風の又三郎」の一場面です。

2006賢治祭 

 

名称・偶像・精神

 盛岡市内丸にある「岩手公園」は、賢治の文語詩「岩手公園」に描かれ、園内にはその詩碑もあるので私も何度か訪れた思い出の地ですが、盛岡市当局はこの公園の名称の変更を計画しているのだそうです。

 形の上では、法的な正式名称としての「岩手公園」は残して、「愛称」を付けるということになるようですが、上記記事を見ても、盛岡市は「愛称を広めることで事実上の名称変更としたい」と目論んでいるようですね。
 これに対しては、上記記事の中にもイーハトーブセンター会員の方の反対の声が掲載されていたり、下記には市会議員からの疑義も出されています。

 そしてついに6月26日には、その愛称を検討する第一回の「懇話会」が、下記のように開かれました。

 座長には、今月1日に岩手大学に設置された「宮沢賢治センター」代表の望月善次氏が選ばれたということですが、出席した委員7人のうちで、新名称を付けることに賛成は4人、慎重論は3人とのことで、先行きは予断を許しません。と言うより、望月先生のお立場は、非常に難しいものではないでしょうか。

 ところで経済的に見ると、最近は施設の名称というものに驚くほどの市場価値が見積もられていて、「ヤフードーム」などは命名権料が5年間で25億円、「味の素スタジアム」は5年12億円、岩手のお隣の「フルキャストスタジアム宮城」でも毎年2億円の値が付いています(いずれも「命名権.com」参照)。もちろん、一度に数万人を収容するスポーツ施設とはいちがいに比べられませんが、それでも盛岡市の観光ビジネス的には、この公園に何か気のきいた名前を付けて、新しいセールスポイントにしようという戦略は、それなりに理解できることではあります。
 しかし、市民や市議会の意見を聴取する手続きをほとんど踏んでいないことや、「愛称を広めることで事実上の名称変更としたい」という盛岡市の手法が何か正攻法ではない姑息な印象を与えるなど、今回の一連の動きにはどうしてもマイナスのイメージが付きまとっています。

 盛岡市当局の計画では、今年9月15日の「岩手公園開園100周年記念日」には、新しい名称を発表するとのことですが、このままでは「しこり」を残すことにならないか、今から心配です。


 さて、その記念日の翌週の賢治忌(9月21日)に、花巻農業高校に賢治の銅像ができるという話は以前にもご紹介していたところですが、下記にもう少し詳しい記事が載っていました。

 こういう話ならば、まあ反対する人もないかと思っていたのですが、記事によれば「これまで銅像建立に難色を示してきた遺族も了解済み」とのことで、従来は宮澤賢治氏のご遺族(宮澤家継承者)は、彼の銅像を作ることには反対しておられたんですね。

 その反対理由は、記事後半によれば「像建立は賢治精神に反する」ということで、ここで何をもって「賢治精神」とするのかは難しいところだと思いますが、まあ「偶像崇拝を排する」というような意味なのでしょうか。
 しかし、「像建立は賢治精神に反する」というような「御触れ」が出るものならば、何かの拍子に「ブログ制作は賢治精神に反する」などと言われてしまうんじゃないかとか、こういうのを見ると私などはちょっと不安になってしまうのです(笑)。


 それはともかく、上の記事の最後に、「花巻農高では、賢治が作詞した『日ハ君臨シカガヤキハ……』という『精神歌』を、校歌がわりに歌っている」と何気なく書いてありますが、この問題については、下の記事をご覧下さい。

 たしか、花巻農業高校と北上農業高校が統合される時にも、その新名称に関して、花巻側はこれまでの「花巻農業高校」、北上側は「イーハトーブ高校(?)」を主張して、なかなか決まらなかったような記憶があります。
 上記記事によれば、「校歌は新校舎の位置決定後に制定する」とのことで、「現在は学校行事などの際は校歌の代わりに賢治が作詞した『精神歌』を歌っている」とありますが、このこと自体はそれほど困ったことなんでしょうかね。

 「まだ校歌がないので行事の時には『精神歌』を歌っている」というのは、80余年前の賢治在職中とまったく同じ状況なだけで、別にノー・プロブレムじゃないかとか、それよりかえって「賢治先生の時代」に戻ったようで、今しばらくはいいんじゃない、とか私などは思ってしまいます。
 それよりずっと難題なのは、校歌の前提となる「新校舎の位置決定」の方だろう?!と思えるのですが、なぜ岩手日報が「校歌決まらず」の方を重視するのか、よくわかりません。
 今後、学校の場所を正式に決めるにあたっては、花巻と北上との間でまた綱引きが行われるのではないかと心配です。しかしそう思ってみると、今回の「賢治立像」の建立というのは、花巻側が現在地に重みを付けるための「布石」を打ったのではないか?などと「賢治精神に反する」ようなことまで考えてしまう、今日この頃です。

満州の「精神歌」(2)

 ノンフィクション・ライターの吉田司氏というと、あの『宮澤賢治殺人事件』の著者として、天敵のように見ている賢治ファンも多いと思います。たしかにちょっと露悪的な書き方が目につくものの、他にはいろいろ面白い本も書いておられて、私はあながち嫌いではありません。

 その吉田司氏の『王道楽土の戦争』(NHKブックス)によれば、「満州国」というのは、明治維新において薩長を中心とした西国に敗れた「奥羽越列藩同盟」の遺恨を引き継いで、山形県鶴岡出身の石原莞爾や盛岡出身の板垣征四郎ら東北人が、大陸に独立した新天地を築こうとしたのだ、ということになります。日本の「東北地方」を、中国の「東北地方」に移植する、とでもいう感じですね。
 「トンデモ史観」とすれすれのように思われますが、実際に東北地方の農村から満州に入植した人々の数も多く、宮澤清六氏がかつて入営していた弘前歩兵第三十一連隊もずっと満州に駐留していましたし、当時は東北からそのような思い入れをして満州を見ていた人も、あったのかもしれません。


 すでに賢治の没後のことになりますが、その満州で一時期、「精神歌」が歌われていたというのは、板谷栄城氏が『賢治小景』において紹介されたことで、さらに私は最近、高校時代に「満州建国大学」出身の先生に「精神歌」を教えてもらったという方から、メールをいただいたりもしました。
 満州で「精神歌」が歌われるようになった経緯について、『賢治小景』には次のように書かれています。

・・・賢治の友人の直木賞作家森荘已池氏の令妹の大村イシさんの談話に基づく次のような文章でした。
 「精神歌」については忘れられない思い出がある。昭和12(1937)年に民族共和運動のため満州(中国東北部)に渡った後、宮沢賢治研究会を作った。リーダーは森荘已池さん。日本語のわかるロシア人、満州人、建国大学の学生らが集まって勉強した。(中略)会合の後、必ず全員で「精神歌」を歌った。

 この時研究会に参加していた中に、後に俳優となる森繁久弥氏もいた、というのが面白いエピソードですが、ただ満州建国大学の開学は1938年ということで、1937年には「建国大学の学生」というのはまだ存在していなかったはずですから、ここの記述はちょっと謎として残ります。

 一方、河田宏著『満州建国大学物語』(原書房)には、この大学に第一期生として入学した岩淵克郎という学生の話がかなり詳しく出てきます。その入学試験における登場の場面は、下記のとおりです。

 花巻農学校三年生(中学五年生にあたる)岩淵克郎は仙台で試験を受けることになった。彼は郷土の詩人宮沢賢治が好きで農学校に進んだ。賢治がなくなってから四年。農学校を去ってからは十年余もたっていたが、農学校には校歌(精神歌ともいう)をはじめ、授業内容のいたるところに賢治の足跡があった。彼は農業をしながら詩を書く人になりたかった。建国大学創設を知ったとき、彼は満州の広大な沃野でそれを実現する夢にとりつかれた。・・・

 この岩淵克郎氏はほんとうに詩が好きで、満州での在学中、折に触れいろいろな詩人の作品を吟ずることがあったということですが、賢治の「精神歌」も、しばしば愛誦する詩の一つだったということです。ただ彼は、「歌っているのだが、うなっているようにしか聞こえ」ず、ある時期まで他の学生は、この歌詞に「とてもきまったメロディーがあるとは誰も思っていなかった」のだということです。
 ところが、1942年4月の新学期が始まってまもない頃、岩淵らが「校内造園計画」を呼びかけて、学生たちで植樹作業を行っていく過程で、セレデキンというロシア系学生が岩淵愛蔵の『宮沢賢治詩集』には「精神歌」の楽譜が付いているのを見つけました。セレデキンはヴァイオリンが弾けたのでそのメロディーを奏で、これがきっかけで、満州建国大学の学生は皆で「精神歌」を歌うようになったのだということです。

 先述の、満州建国大学出身の先生に「精神歌」を習った方は、最近この『満州建国大学物語』の一冊を持って恩師を訪ねられたところ、先生は「精神歌のエピソードは書かれているとおり」と述べられたということです。
 そうすると、満州に「精神歌」が伝わったルートとしては、森荘已池経由と岩淵克郎経由と、少なくとも2つあったということになります。

 ところで私は先週の連休に、安彦良和の『虹色のトロツキー』という漫画の全8巻を、一気に読んでしまいました。これは、満州建国大学に入学したウムボルトという日蒙二世の謎の学生をめぐって、当時の大陸の政治・軍事情勢が展開していく傑作で、「松岡正剛の千夜千冊」には、その素晴らしい紹介があります。
 この漫画にも、「浪漫派・岩淵」がちゃんと登場するんですね。第2巻の終わり近く、吟じているのは残念ながら「精神歌」ではなくて、若山牧水ですが。

安彦良和『虹色のトロツキー』より

満州の「精神歌」

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 2月になりました。京都では少し暖かな日和なのですが、また週末の節分祭に向けて、冷え込んでくるようです。

 先日、満州建国大学出身の先生から高校時代に賢治の「精神歌」を習った、という方からメールをいただき、その後も何度かやりとりをしつつ、河田宏著『満洲建国大学物語』(原書房)という本を読んでいるところです。
 お正月に読んだ『賢治小景』でも、満州の学生たちが「精神歌」を歌っていたという話にたまたま遭遇していたので、不思議な縁を感じます。

「精神歌」の歌詞について

 賢治が農学校に赴任してまもなく作詞した「精神歌」の歌詞は、下記の通りです。

(一)日ハ君臨シ カガヤキハ
   白金ノアメ ソソギタリ
   ワレラハ黒キ ツチニ俯シ
   マコトノクサノ タネマケリ

(二)日ハ君臨シ 穹窿ニ
   ミナギリワタス 青ビカリ
   ヒカリノアセヲ 感ズレバ
   気圏ノキハミ 隈モナシ

(三)日ハ君臨シ 玻璃ノマド
   清澄ニシテ 寂カナリ
   サアレマコトヲ 索メテハ
   白堊ノ霧モ アビヌベシ

(四)日ハ君臨シ カガヤキノ
   太陽系ハ マヒルナリ
   ケハシキタビノ ナカニシテ
   ワレラヒカリノ ミチヲフム

 ほんとうに彼らしい独特のテンションを帯びた詩だと思いますが、その一連一連は、まるで映画のシーンが切り替わるように移っていきます。一番でカメラは生徒たちが種を播いている情景を俯瞰的にとらえ、二番では逆に下から大空を仰ぎ、三番で映像は農学校の教室の中に入り、そして四番でカメラは一気にパンして、空間的には太陽系全体を、時間的には生徒たちの一生に相当する時間を収めます。

農学校跡の木塔 ところで、賢治がこの歌詞の一番で、太陽の輝きを「白金の雨」に喩えているのは、詩的表現として了解できることですが、生徒たちが播いているのを「草の種」と記しているのは、やや奇妙な感じがします。農学校の実習で種を播くのなら、穀類か野菜なのではないかと思うのですが、なぜ「草」なのでしょうか。
 これに関して私は、最近ふとしたきっかけで、この部分は法華経の中の「薬草喩品第五」を下敷きにしているのではないかと思いました。

 「薬草喩品」では、仏がその教えをあまねくすべての人々に対して分け隔てなく説き聴かせるのだということを、「雨」が三千世界に平等に降り注ぐ様子に喩えて説明しています。雨の恵みを得て、雑草も灌木も大樹も、すべての植物は元気づけられ、成長し、花を咲かせ、実をつけます。
 しかし、同じ雨を受けても、それぞれの植物の育ち方が様々であるように、普遍的な仏の教えを聴いても、人によってその受けとめ方は様々です。ただちに「さとり」への契機とする人もあれば、その時は十分に理解できない人もあるでしょう。
 「薬草喩品」においては、このように仏の教え=雨に対する反応が異なっている事態を、人間界・天界の一般の衆生は「小の薬草」に、声聞・縁覚(小乗)の人々は「中の薬草」に、菩薩道を進む人は「上の薬草」に喩えて、さらに説明がつづけられます。

 この、「雨」と「薬草」との関係が、「精神歌」一番における、「白金ノアメ」と「マコトノクサ」の関係に対応していると思うのです。


 一方、歌詞の三番は、「教室で、真理を求めて学問をする際には、チョークの粉を浴びてしまうこともあるよ」ということを言っていて、四連の中ではユーモラスな息抜きのようになっています。これは、賢治が盛岡中学4年の時に作った下記の短歌を、おもしろく脚色したような感じですね(「歌碑でたどる賢治の青春」参照)。

さあれ吾はかのせまき野の白き家に
       白墨の粉にむせぶかなしみ。(209

 しばらく個人的な都合のために更新ができませんでしたが、世情寒々しいこの師走の日々、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

 今日、久しぶりに家でテレビを見たのですが、12月4日に放送されたのを録画していた「イーハトーブ幻想~宮沢賢治・音楽への旅~」を再生してみました。「NHKアーカイブズ」と題して昔の番組を再放送しているシリーズで、もとの番組は1992年に制作されたものです。
 私は、当時は見ていなかったので初めての視聴でした。チェリストの倉田澄子さんがチェロをかかえて案内役となり、賢治のもと教え子の長坂(川村)俊雄さんや照井謹二郎さんらを訪ねて話を聴き、また佐藤泰平さんによる賢治歌曲の解説、こんにゃく座による「飢餓陣営」の野外上演、「鶏の黒尾を頭巾にかざ」った原体の稚児剣舞の様子など、とても盛り沢山な内容でした。ほんとうに貴重な映像がいっぱいで、再放送してくれたNHKにも感謝です。

「イーハトーブ幻想~宮沢賢治・音楽への旅~」 番組の構成は、倉田澄子さんによる「精神歌」のチェロ独奏(右写真)に始まり、花巻農業高校の卒業式における生徒たちの「精神歌」の合唱に終わるという形になっていて、さしずめこの歌が、全編を貫いています。小さくて見にくいのですが、右の画面中央には、賢治がうつむいて立つ例の写真の姿があります。実際に田んぼの中に、このような大道具をこしらえてあるようですね。

 またできたら近いうちに、「精神歌」について最近感じたことを書いてみたいと思います。