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 昨年12月2日に行った「第4回イーハトーブ・プロジェクトin京都ー歌でつづる宮沢賢治の世界」においてソプラノの大神田頼子さんは、作曲家の青島広志氏の編曲による賢治歌曲も、何曲か歌って下さいました。
 実は私は、青島広志氏編曲による賢治歌曲集の楽譜『ポランの広場』を1999年から持っていて、このサイトに最初に「歌曲の部屋」を作る際には、いろいろMIDIに打ち込んだりしてDTMの勉強をしていました。その歌を実演で聴いたのは今回が初めてだったのですが、何かとても懐かしい感じがしました。

ポランの広場 宮沢賢治歌曲集 ポランの広場 宮沢賢治歌曲集
青島 広志

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 その懐かしさに惹かれて、年末頃から再び青島広志氏の編曲による賢治歌曲のDTM演奏を、作ってみていました。
 それでとりあえずできたのが、下記の「星めぐりの歌」と「剣舞の歌」です。

 青島氏による「星めぐりの歌」は、可愛らしく素朴な小品です。もともとこの曲は2拍子ですが、多くの人がこの歌を唄う時とは強拍・弱拍が逆になっていて、それがまた心地よい感じもします。
 原曲はピアノ伴奏ですが、ここではハープの音色にしてみました。

星めぐりの歌(青島広志編曲)

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。


 一方、青島氏による「剣舞の歌」は、勇壮な激しい音楽になっています。この前奏を聴くと、ハチャトゥリアンのバレー音楽「ガイーヌ」の中の有名な一曲「剣の舞い」を連想しますが、実際に譜面を見比べると、青島氏によるピアノ伴奏の左手は、「剣の舞い」におけるハープの動きと同一の音型になっていて、この編曲がハチャトゥリアンにインスパイアされたものであることが、はっきりとわかります。
 そこで今回は、青島氏によるピアノ伴奏に、ハチャトゥリアンのスコアに倣って簡易オーケストレーションを施し、オーケストラ伴奏による演奏を作ってみました。パーカッションではシロフォンとティンパニ、スネアドラム、あとトロンボーンのポルタメントや高音の木管が活躍します。
 まあ、余興のようなものと思ってお聴きいただければ幸いです。

剣舞の歌(青島広志編曲)

夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

太刀は稲妻萱穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

花巻市の電話保留音

 先月、花巻市役所の方から連絡があり、当サイトの「歌曲の部屋~着メロ篇~」で公開している「星めぐりの歌」を、花巻市役所の電話保留音として使わせてもらえないかという依頼を受けました。
 自作データを賢治の故郷のお役所で使っていただけるとは、私などにとってはまたとない光栄ですので、もちろん二つ返事で了解をいたしました。

 ということで、去る10月26日から、花巻市役所に電話をすると、チャイムで演奏した「星めぐりの歌」のメロディーが流れるようになっています。私は先週気になって、花巻市役所に電話をして、交換手の女性に「保留音を聴かせていただけませんか?」とお願いしてみたのですが、女性は少し苦笑いしながら(?)も、私の厚かましい願いを快く聞き入れて下さり、1コーラスをかけてくれたのです。
 ちゃんと、流れていました(^_^;)

 そのメロディーは、下記です。もとは着信音用に作ったため、けっこう音量は大きいのでご注意を。

♪ 星めぐりの歌・チャイム(MP3:593KB)

 一昨日には、花巻市から「星めぐりの歌の提供のお礼」として、市長のお手紙とともに、花巻の染物店が製作した「銀河夢小紋ハンカチ」を送って下さいました。
 この場を借りて、心より御礼申し上げます。

銀河夢小紋ハンカチ


 そうそう、花巻市役所と「星めぐりの歌」と言えば、昔から毎日午後7時になると、市役所の屋上から「星めぐりの歌」のメロディーが流されます。これは、広く市内の各所で耳にできるもので、何度も花巻に通っているうちに、私も今やなんとなく懐かしさを感じるようになっています。
 下の録音は、6年前の夏に録ってきたものです。夕暮れ時でカラスの鳴き声がたくさん入っていますが、もうマヂエルの星が輝きだしたのでしょうか。
 花巻の空全体に響きわたる旋律です。

♪ 星めぐりの歌・夕暮れの屋上から(MP3:330KB)


ベーゼンドルファー・インペリアル

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 OSをWindows7にしてから、これまで愛用していた外部MIDI音源が使えなくなって、パソコンできちんとした楽器の音が出せなくなっていました。
 そこで「ソフト音源」というのを使ってみようと思い、このたびまず買ったのが「ベーゼンドルファー・インペリアル」という、私の憧れのピアノからサンプリングしたという音源でした。現代のコンサートピアノと言えばスタインウェイが名実ともにナンバー・ワンですが、ウィーン生まれのベーゼンドルファーの響きを愛するピアニストも多く、フリードリヒ・グルダなどはその代表格です。

 私自身はまだぜんぜん使いこなすには至っていませんが、「習作」として、たけうちゆみえさんの編曲によるピアノ版「星めぐりの歌」の演奏ファイルを作成してみました。まだこんな演奏では「楽器が泣く」と言われそうです。ただ、その「余韻」の豊かさは、やはり独特だと思います。

♪たけうちゆみえ編曲「星めぐりの歌」(MP3: 2.55MB)

Boesendorfer Imperial

 来たる6月20日(土)に、札幌市青少年科学館において、「プラネタリウム夜間特別投影『銀河鉄道の星めぐり』」が開催されるということです。
 同館のサイトには、「白鳥の停車場、さそりの火、サウザンクロス…/宮澤賢治の名作「銀河鉄道の夜」に登場する星たちをめぐる、銀河の旅に出かけましょう!」とあります。
 内容は、「銀河鉄道の夜」のストーリーをたどりながら、物語中に出てくる星々をプラネタリウムで紹介していくというものだそうですが、この際に、私が作成して「歌曲の部屋」で公開している「星めぐりの歌(ア・カペラ版)」の歌声を使っていただけるのだそうです!

  • 日程:6月20日(土)
  • 時間:19:00~20:00
  • 場所:1階プラネタリウム
  • 定員:200名
  • 対象:一般(※中学生以下は保護者同伴)
  • 料金:500円(中学生以下無料)
  • 締切日:6月5日(金)

 申し込みは、往復はがきかFAXに、「プラネタリウム夜間特別投影」と書き、人数、代表者の氏名、住所、電話番号、返信先を明記し、6月5日(金)まで(必着)に同科学館へ、ということです。

  • 申込先:〒004-0051 札幌市厚別区厚別中央1条5丁目2-20
          札幌市青少年科学館 (FAX:011-894-5445)

 もうちょっと近ければ、私もぜひ見に行きたいところなのですが・・・。

「星めぐりの歌(ア・カペラ版)」(MP3:1.39MB)

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだめの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

プラネタリウム夜間特別投影「銀河鉄道の星めぐり」

西崎専一著『ジョバンニの耳』

 西崎専一著『ジョバンニの耳 宮沢賢治の音楽世界』という本を読みました。

 ジョバンニの耳―宮沢賢治の音楽世界  ジョバンニの耳―宮沢賢治の音楽世界
 西崎 専一

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 著者は、音楽美学やサウンドスケープ論を専門とする大学の先生で、その学問的立場から、宮澤賢治その人や作品について、考察したものです。
 内容は、次のような章立てになっています。

プロローグ
かっこう鳥と「星めぐりの歌」
ジョバンニの耳
ゴーシュの音楽美学
賢治の蓄音機への旅
エピローグ

 それぞれの章は、独立した論考になっていますが、著者みずから「あとがき」において、「本書は序奏とコーダ(終結部)が四つのパート(楽章)をはさむ、さらに序奏と最初の楽章に全体を導くモチーフが仕込まれているという、まるでロマン派の交響曲のような構成となりました」と述べているように、一冊の本全体としての構造にも工夫がこらされています。
 著者の言うところの本書の「全体を導くモチーフ」とは、「プロローグ」から引用すれば、

賢治にとって音楽はまさに、「灰色の労働を燃やす」芸術的エネルギーの源だったのです。

という認識です。
 この基本的なモチーフが、「ジョバンニの耳」の章においては、「銀河鉄道の夜」の分析を通して、「銀河鉄道」という賢治独特の仕掛けが、いかに音楽的な装置であるのかということを明らかにすることによって、また「ゴーシュの音楽美学」の章においては、一人の下手な「職業音楽家」が、ほんとうに「音楽する」ということに目覚めていく過程をたどることによって、浮き彫りにされていくのです。

 まず最初の「かっこう鳥と「星めぐりの歌」」の章では、「「文語詩篇」ノート」の、「岩手山ニ独リ登山ス 夕暮、かくこう鳥、空線、風、すゞらん、柏林、」というメモや、「かくこうのまねしてひとり行きたれば、人は恐れて道を避けたり。」という短歌(312)や、文語詩「」の「かくこうはめぐりてどよみ」を引用しつつ、若き日の賢治にとって、かっこうの鳴き声は、特別な感傷を誘うものだったらしいと推測します。このあたりには、「サウンドスケープ論」の考え方も取り入れられているのでしょう。
 また、生涯の最初期と最晩期の作品である「双子の星」と「銀河鉄道の夜」に、「星めぐりの歌」が登場することを紹介し、この歌の特徴であるような「はっきりとしたリズム」が、賢治の音楽的な好みを表しているのだろうと推測します。

 後の「ゴーシュの音楽美学」の章においては、ゴーシュがかっこうと出会う第二夜が、ゴーシュの音楽的成長において最も重要であったと著者は考え、また「ジョバンニの耳」の章においては、「星めぐりの歌」がジョバンニにとって幻想世界と現実世界を結ぶ役割を果たしていると著者は考えておられますので、この第一章は、それらの章への伏線の役目を担っています。
 先に紹介した著者の比喩によれば、「交響曲」の第一楽章に相当するはずのこの章ですが、実体としてはごく短く、古典的なソナタ形式ならば、ちょうど2つの主題が示される「呈示部」のような感じです。しかし「ロマン派の交響曲」であれば、こういう第一楽章もありえるのでしょう。

 次章「ジョバンニの耳」は、本全体の題名にもされています。その結論をひとことで言えば、「銀河鉄道そのものが、音楽である。」ということになるでしょうか。
 この一文だけを見ても何のことかわかりにくいでしょうが、実際に本書を読んでみると、わかったような気持ちになるから不思議です。ここでは、「そしてそのころなら汽車は新世界交響楽のやうに鳴りました。」という作品中の記述と、そもそも銀河鉄道とは死者の乗り物であり、いかなる文化においても死者の葬送には音楽が付随している、という著者の指摘のみ引用しておきます。
 この章の考察でユニークなのは、あの悪名高い(?)岩波文庫版の「銀河鉄道の夜」の最後の部分を、作品分析の出発点にしているところです。私も、久しぶりにこの部分を読みましたが、やっぱりこれはいいものですね。この部分の草稿は紛失したと考えられており、現在は他の版で読むことはできないので、ちょっと長いですが、ここに引用しておきます(表記は文圃堂版全集による)。

 けれどもまたその中にジョバンニの目には涙が一杯になって来ました。
 街燈や飾り窓や色々のあかりがぼんやりと夢のやうに見えるだけになって、いったいじぶんがどこを走ってゐるのか、どこへ行くのかすらわからなくなって走り続けました。
 そしていつかひとりでにさっきの牧場のうしろを通って、また丘の頂に来て天気輪の柱や天の川をうるんだ目でぼんやり見つめながら座ってしまひました。
 汽車の音が遠くからきこえて来て、だんだん高くなりまた低くなって行きました。
 その音をきいてゐるうちに、汽車と同じ調子のセロのやうな声でだれかゞ歌ってゐるやうな気持ちがしてきました。
 それはなつかしい星めぐりの歌を、くりかへしくりかへし歌ってゐるにちがひありませんでした。
 ジョバンニはそれにうっとりきゝ入ってをりました。

 入沢康夫監修・解説による『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のすべて』では、この箇所について、次のように説明されています。

 筑摩書房昭和四十二年版全集では、第79葉~第83葉の内容を作品末尾に移すにあたって、右の「けれども」~「きゝ入ってをりました。」の文を本文から削除し、その代わりに「後記」の中で、「なお、昭和三十一年版では、この部分の後に、さらに次の文章がつづいているが、これは作者によって抹消されている個所なので、本巻では削除した。」と述べて、掲出している。この内容を持つ草稿は現存していないが、宮沢清六氏の記憶によれば、全体が削除の大きな×印を付されたものであった由。用紙や使用インクについては、いっさい不明であり、どういう種類の草稿なのかも判定できない。

 本書の著者の西崎専一氏は、「その草稿の紛失は結果として、「銀河鉄道」の車内やそれが走行する銀河空間に響いていた、豊かな音響的、音楽的イメージを読み解く鍵を奪い、また「星めぐりの歌」によって処女作「双子の星」と晩年の「銀河鉄道の夜」を結んでいるもの、いわば賢治の物語創作を支えた音楽的音響的イメージのひとつが「銀河鉄道」の世界から奪われることにもなってしまうという結果を招きます。」と残念がっておられます。そして、「その(=宮沢清六氏の)記憶がほぼ絶対視され、賢治自身が削除を意図したものであったという推測がまるで確かなものであるかのような扱いを受けて「銀河鉄道の夜」の世界から完全に排除されてしまった」ことに不満を表明しておられます。
 しかしいずれにせよ、今回の西崎氏の論考によって、「銀河鉄道の夜」の音響的・音楽的(あるいはサウンドスケープ的)側面について、新たに鮮やかな光が照射されたことは、確かだと思います。

 次の章「ゴーシュの音楽美学」は、「セロ弾きのゴーシュ」という作品について、音楽美学的に、考察したものです。「音楽美学」というと、哲学的な難しい議論を連想してしまいますが、要はこれは、「音楽は、なぜ・どのように、人間を感動させうるのか」ということを考える学問なのですから、音楽することが苦しみにさえなっていたゴーシュが、動物たちとの出会いを通じて、いかにして人を感動させるような音楽を奏でられるようになったのか、という問題にアプローチする上で、格好の足場を提供してくれるということなのでしょう。そして著者は最後に、「「セロ弾きのゴーシュ」は、音楽美学のためのかけがえのないテキストであり続ける」とまで述べます。
 賢治は、「農民芸術概論綱要」の中で、「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」と述べましたが、著者は、「セロ弾きのゴーシュ」とは、ゴーシュという「職業音楽家」が「一度亡び」、また再生する物語であると指摘します。
 この章が本全体の中で最も長く、文章の読みごたえもありました。

 「第四楽章」に相当する「賢治の蓄音機への旅」は、理論的な前二章とは雰囲気が変わって、賢治が愛用した(?)蓄音機を訪ね、さまざまな関係者からの聴き取りを行うフィールドワークの報告です。ただここでも、関係者の「証言」に依拠することの多い「賢治研究」のあり方について、著者としての考え方が詳しく述べられているのが特徴です。
 農学校時代の賢治の教え子で羅須地人協会創立当時からのメンバーだった故・伊藤清氏は、昭和2年に結婚した際、お祝いとして賢治から蓄音機を贈られことを生前語っておられたとのことです。その蓄音機が、現在も伊藤家にあるということで、著者が訪ねて、対面を果たしてきます。
 伊藤清氏の子息の孝氏の認識では、その贈られた蓄音機は賢治が使用していたものではなくて、お祝いのための新品だったということでしたが、著者の考察の結論は、これは羅須地人協会時代に、二階に置かれていた(小型の方の)蓄音機で、さらにその前は、賢治が農学校にしばしば持っ賢治の蓄音機て行き、宿直室や職員室で生徒やその他の人々にレコードを聴かせた蓄音機だったであろうということです。
 右の写真が、その伊藤家の蓄音機です(本書より引用)。卓上型のもので、いわゆる「ラッパ」はありません。木製のキャビネット部分には、「IWATEPHON」および「盛岡村定販売」と書かれたプレートが付いていて、「盛岡村定」とは、現在も盛岡市材木町で営業している「村定楽器店」です。

 ところでちょっと本書からは離れますが、斎藤宗次郎著『二荊自叙伝』の大正13年8月24日の項には、「郊外なる農学校に立ち寄り宮沢賢治先生の篤き好意により職員室に於て蓄音機によれる大家の傑作を聴いた」との記述があり、下のような挿絵が添えられています。机の上にあるのが「蓄音機」のようで、この絵からは詳しいことはわかりませんが、卓上型で「ラッパ」は付いておらず、やはり伊藤家に保存されていたものと形は似ていますね。

農学校のレコードコンサート(『二荊自叙伝』より)

 それから最後に、著者は本書の「あとがき」において、『【新】校本宮澤賢治全集』における賢治の歌曲の扱いについて、次のように書いておられます。

個々の研究者個人の解釈や見解表明はともかく、賢治に由来する原資料の提示が目標とされたはずの『新校本宮澤賢治全集』(筑摩書房)でも、「第六巻の歌曲の部」では、賢治自身が歌曲の楽譜を遺しているわけではないので、記憶に基づく採譜(?)といった極めて不安定な資料が「原資料」として扱われることになり、そこに編纂者による恣意的な改編やさらに後の時代のいっそう不確かな記憶に頼った変更が加えられたものが、その必然性の説明もなく資料として提示されることになり、その杜撰さのために賢治がその歌曲に託した音楽的イメージとそれに関わる活動の実態はますます捉えにくくなるといった現象を呈しています。

 音楽学者としての立場からの意見なのでしょうが、かなり辛口ですね。私自身も、この問題については自分なりに思うところはあって、以前に「「【新】校本全集」における歌曲の校訂について」というエントリを書いてみたことがありますが、では実際にどうすればよいかとなると、なかなか難しい問題です・・・。


 ともあれ、このような率直な表明も含めて、本書はとても魅力的な本でした。賢治とその音楽に関心のある方には、ぜひご一読をお薦めします。

 ご参考までに、西崎専一氏はご自身で Webサイトを作成しておられて、それは「みみをすます」というサイトです。

「星めぐりの歌」 by 初音ミク

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 クリプトン・フューチャー・メディア社から最近新たに発売された、VOCALOID2 シリーズの日本語版第一弾として、「初音ミク」という名前の「バーチャル・アイドル歌手」が登場しました。

初音ミク(はつね・みく) そこで今日はミクさんに、「星めぐりの歌」を歌ってみてもらいました。まだ私自身、新しいソフトの操作に慣れていませんが、これまでの Meiko さんよりはだいぶ若い(幼い?)声ですね。
 発表されている「プロフィール」では、年齢は16歳、身長158cm、体重42kg、得意ジャンルは「アイドルポップス/ダンス系ポップス」だそうです。

「星めぐりの歌(by 初音ミク)」
          (MP3: 1.43MB)

あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
あをいめだまの小いぬ
ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆとしもとをおとす

アンドロメダの雲は
さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに
五つのばしたところ
小熊のひたひのうへは
そらのめぐりのめあて

宮沢りえの「星めぐりの歌」

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 井上ひさし作の戯曲「父と暮せば」は、もちろんのこと、

父と暮せば  父と暮せば
 井上 ひさし

 おすすめ平均
 stars生きることへの応援歌
 stars広島で生き残るとは・・・
 stars広島弁で書かれた原爆の本
 stars恐怖と感動と
 starsすべての人にむけて。
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また、それを黒木和雄監督が映画化した作品も、

父と暮らせば 通常版  父と暮らせば 通常版
 宮沢りえ 井上ひさし 黒木和雄

 おすすめ平均
 stars今だから必要な戦争伝承
 stars生きる者の哀しみ
 stars父娘の愛情。
 stars美津江の決意の裏側には
 starsこれで戦争レクイエム?
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いずれにしても、たとえば峠三吉や原民喜の詩や小説のように、あるいは丸木位里・俊の絵画のように、また林光の合唱曲「原爆小景」のように、「原爆」というものについて日本人が表現し、後世に伝えていくべき価値のある、貴重な芸術的遺産の一つだと思います。

 この「父と暮せば」について、作者の井上ひさし氏は、次のように「種明かし」をしておられます(英文対訳版「劇場の機知 ― あとがきに代えて」より)。

 ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなった人たちにたいして「自分だけが生き残って申しわけがない。ましてや自分がしあわせになったりしては、ますます申しわけがない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。
 ……ここまでなら、小説にも詩にもなりますが、戯曲にするには、ここで劇場の機知に登場してもらわなくてはなりません。そこで、じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江を「いましめる娘」と「願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、亡くなった者たちの代表として、彼女の父に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。

 こうやって、また別の見方では PTSD の回復の一コマとも言える素晴らしいドラマが誕生したわけですね。

 ところで、このお話の中のささやかな小道具として、賢治の「星めぐりの歌」が使われていることは、皆さんご存じでしょうか。
 以下は、当該部分の抜粋です。

竹造 さっき出かけしなに、木下さんがいうとられたろうが。「夏休みが取れるようなら岩手へ行きませんか。九月の新学期までに一度、家へ帰ろうと思うとるんです。美津江さんを連れて行ったら両親が非常に(じょうに)よろこびますけえ。」
美津江 ……夏休みは取ろう思うたら取れる思う。
竹造 ほいなら是非(ぜっぴ)行ってきんさい。
美津江 岩手はうちらの憧れじゃった。宮澤賢治の故郷じゃけえねえ。
竹造 その賢治くんちゅうんは何者かいね。
美津江 童話や詩をえっと書かれた人じゃ。この人の本はうちの図書館でも人気があるんよ。うちは詩が好きじゃ。
竹造 どがいな詩じゃ?
美津江 永訣の朝じゃの、岩手軽便鉄道の一月じゃの、星めぐりの歌じゃの……。
竹造 ほう、星めぐりのう。
美津江 (調子高く)「あかいめだまのさそり、ひろげた鷲のつばさ、あおいめだまの小いぬ、ひかりのへびのとぐろ……」。星座の名をようけ読み込んだ歌なんよ。

 賢治を愛する、井上ひさしさんならではの箇所ですね。

「星めぐりの歌」(MP3: 237kB)

 「歌曲の部屋」の「星めぐりの歌」のページに、林光氏の編曲による混声四部合唱版「星めぐりの歌」をアップしました。

 これまで当サイトでは合唱版の「星めぐりの歌」としては、岩手出身の夭折した作曲家・加藤學氏の編曲によるものを載せていましたが、加藤氏の躍動感あふれる曲と対照的に、こちらは終始静かに歌われます。一定のテンポで変わらず流れつづけるピアノのアルペジオは、悠久の星座の運動を表しているかのようでもあります。
 単純で素朴な歌になっているのですが、ほんの少し現れる不協和音が、また独特のスパイスになっています。
 東京混声合唱団が毎年夏に行っている「林光・東混 八月のまつり」というコンサートでは、1985年の第6回以降、毎年最後にこの曲が歌われるのだそうです。

 下記から、MP3 ファイルをご試聴下さい。

「星めぐりの歌(林光編曲)」(MP3: 4.42MB)

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだめの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
 

あかいきつねと・・・

 とある小学校の学芸会で、私がこのサイトにアップしている賢治歌曲も使って、宮澤賢治に関する創作劇を上演されたそうです。先生自らが台本を書いて、連日みんなで熱心に練習を重ねたということですが、先日無事に公演が終わったと、お知らせをいただきました。
 あらかじめ台本も送っていただいていたのですが、これがたいそう面白いもので、たとえば、登場する子供の一人がうろおぼえのままに「星めぐりの歌」を歌おうとして、たしか「赤い・・・」で始まっていたな、ということを思い出し、「赤い、きつねと、みどりのたぬき・・・」と歌ってしまうとか、です。(^^)

 下の写真は、現代の子供らしくパソコンで賢治のことを検索しようとしていると、画面になんと賢治本人が登場して、子どもたちの質問に答えているところです。

「イーハトーブの旅人2007」

ギター版「星めぐりの歌」

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 アマチュアギター奏者のTさんが、ギター演奏による「星めぐりの歌」を送って下さいました。Tさんのお許しを得て、下記にその演奏をアップさせてだきます。

 公開にあたって、奏者から何か一言ありませんか、とTさんにお願いしたところ、下記のような「ギターからの一言」が届きましたので、あわせてご紹介します。

 この歌は詩と旋律のアクセントが整然としていて、「さそりーつばさーこいぬーとぐろーうたいーおとす」といった終止の部分がギターで弾いていると、とても心地よいのです。
 素朴でありながら無限の広がりをみせる賢治の歌詞をはなれて、楽器だけの演奏でもその雰囲気が保たれているのは、この歌が言葉的、旋律的であるからだろうと思います。
 また民謡音階がベースにあるのでおのずと親しみを感じるのではないでしょうか。
 ベストセラーとなってもてはやされる曲ではありませんが、息長く名曲のひとつであることはまちがいありません。編曲ではその辺を特に意識しました。

ギター版「星めぐりの歌」(MP3: 2.13MB)


 これはじっくりと一人で聴く感じの、大人の曲ですね。

 先日たまたま、映画「父と暮せば」を見ていたら、宮沢りえさんの演ずる主人公が、「星めぐりの歌」を歌う場面が出てきて感激しました。原作が井上ひさしさんならでは、ですね。

 「銀河鉄道の夜」の中では、折々に子どもたちが「星めぐりの歌」を歌ったり口笛で吹いたり、この歌が人々の生活の一部として溶けこんでいる様子がうかがえますが、今日ここで並べてみるのは、こういう風に日常の中でふと出会う、さまざまな「星めぐりの歌」です。


 まず最初は、花巻市役所の屋上のスピーカーから、毎日午後7時になると放送されるこの歌です。先日の旅行時に録ってきたのですが、ちょうど夕暮れどきで、カラスの鳴き声が入っています。

花巻市役所(MP3: 330KB)

 街の空全体に響きわたるようなメロディーですね。


「セロ弾きのゴーシュ」碑 次は、新花巻駅の前にある「セロ弾きのゴーシュ」碑(右写真)から流れてくる、チェロの演奏による「星めぐりの歌」です。駅前で交通量も多いところなので、バイクの音も入ってしまいましたが。

ゴーシュ碑(MP3: 189KB)


「星めぐりの歌」オルゴール それから次のは、私の手もとにあるキーホルダー型の小さなオルゴール(右写真)です。もう7年ほど前になるかと思いますが、花巻で買ってきたもので、いつもは本棚の賢治全集の前に飾ってあります。

オルゴール(MP3: 182KB)

 マッチ箱ほどの大きさで、ネジを巻いてもすぐ終わりになってしまいますが、小さい割にはよくできています。


 さて最後には、東北新幹線の「ふるさとチャイム」をご紹介しておきます。
 現在の東北新幹線の車内放送では、どの駅でも同一のチャイムが流れますが、平成3年までは、各駅ごとにその地にゆかりのメロディーを使った「ふるさとチャイム」というものが使われていました。
 北上駅は「北上夜曲」、盛岡駅は「南部牛追い歌」という調子で、その中で新花巻駅のチャイムは、「星めぐりの歌」だったのです。
 「Railway Multimedia Gallery」というサイトの、「ふるさとチャイム全集」というページでは、現在もその時のチャイムを聴くことができます。新花巻の「星めぐりの歌」はなかなか素晴らしいので、この際ぜひお聴き下さい。
 しかし、これが現在はもう使われていないというのは、もったいないことですね。

 『【新】校本宮澤賢治全集』第六巻に掲載されている「星めぐりの歌」の楽譜は、下記のようなものです。

新校本「星めぐりの歌」

 そして第六巻「校異篇」には、この楽譜について、次のような説明がなされています。

 本文には、昭和四二年版全集の楽譜を掲出した。ただし、沢里の記憶にもとづき、第三小節・第九小節にあったフェルマータ()を消している。

 すなわちこれは、以前に「「【新】校本全集」の歌曲の校訂について」というエントリで触れたように、この全集において新たに変更が加えられた楽譜の一つなのです。従来の全集では、「あかいめだまのさそ」の「り」と、「あおいめだまのこい」の「ぬ」には、フェルマータが付いていたのですが、それが削除されたわけですね。

 現在、私たちが通常「星めぐりの歌」を歌う時には、「あかいめだまのさそりー・・・、ひろげたわしのつばさー・・・」という風に、「さそり」の「り」は少し延ばして、次のフレーズまでに「間」をあけますが、『【新】校本全集』に準拠すれば、これは正しい歌い方ではなくなってしまったことになります。
 その変更の根拠となった「沢里の記憶」がどういうものであったのか、「校異篇」には上記以上の説明はありません。

 ところが、遠野市宮守地区で行われている「宮澤賢治と遠野」展において、沢里氏が「星めぐりの歌」を自ら演奏しておられるビデオが放映されていたのです。先日の岩手旅行で、係の人にお願いしてそれを録音してきました。
 このビデオは、1980年代にIBC岩手放送で放送された番組のようで、レポーターが沢里武治氏を訪ねて、賢治に関する様々な思い出を聞いたり、賢治の詩を朗読してもらったりするという内容です。
 この中に、沢里氏が自ら大正琴で、「星めぐりの歌」を演奏する貴重な映像が出てきます。下の MP3 ファイルが、その場面の録音です。

「星めぐりの歌」(沢里武治演奏)MP3: 151KB

 元のビデオの状態が悪く、かなり大きな雑音が混入していたため、雑音除去フィルターをかけましたので、音質が劣化しています。
 しかしこれこそが、「沢里の記憶」にあった「星めぐりの歌」です。

 聴いてみると、確かに「あかいめだまのさそ」の「り」と、「あおいめだまのこい」の「ぬ」の音が、通常歌われているものよりも短いですね。
 しかし、冒頭に掲げた『【新】校本全集』の楽譜とも1ヵ所だけ異なっていて、それは「あかいめだまのさそ」の「り」が、沢里氏の演奏では2拍あるのに、上の楽譜では1拍になっている点です。
 この沢里武治氏の演奏を、フェルマータを使わず「拍節どおりに」楽譜にしてみると、下記のようになります。

沢里武治演奏「星めぐりの歌」

 「わしのつば」の「さ」、「へびのとぐ」の「ろ」、「たかくうた」の「ひ」は、『【新】校本全集』のように四分音符にフェルマータを付けて記譜することでよいでしょうが、「さそり」の「り」の長さだけは、疑問が残ります。

 沢里武治氏は、『【新】校本全集』編集者の佐藤泰平氏に対してどのような「記憶」を伝えられたのか、具体的に知りたいものです。

「星めぐりの歌」を訪ねて

 昨日は昼食もたくさん食べていた上に、夕食は盛岡駅前の「小岩井リグレ」で、ジンギスカンとオムライスを食べてビールを飲んだので、おなかいっぱいになって早めに寝たのです。

 それで今日は朝も寝坊して、朝食は軽くとった後、田沢湖線で小岩井駅に寄り(岩手山は雲で見えません)、再び東北線で花巻を経由して、釜石線で宮守駅へ向かいました。
 宮守では、「みやもりホール」が目的地でした。駅から20分ほど歩いてこのホールに着くと、5月にここで見た沢里武治さんの出演ビデオの行方を尋ねました。今回はビデオモニターの電源も入っていなかったので、受付の職員の方に質問してみると、今はテープの調子が悪いので、ダビングや編集のために、外へ出しているということだったのです。

 そこで私がいかにも残念そうな顔をしたからかもしれませんが、スタッフの方は展示室にあったビデオテープを取り出して、ホールにあるビデオデッキに入れてみてくれました。するとこちらのビデオデッキでは、きちんと映像が再現されたのです。
 それはかなり雑音が多いものでしたが、私は、沢里武治さん直々の演奏による「星めぐりの歌」を、ICレコーダに録音することができました。

 これがあれば、沢里武治さんが実際に「星めぐりの歌」をどのように歌っておられたのかがわかります。そしてこれが、『【新】校本全集』の歌曲の校訂に関してどのような示唆をしてくれるのかということに関しては、いずれ私見を述べたいと思います。

 その後、午後3時頃に花巻に着き、マルカンデパートで軽食をとってイーハトーブ館に寄った後、賢治詩碑の広場に行きました。
 その広場には誰もいませんでしたが、どこかから笛の音が聞こえてくるので「神楽」の稽古か何かかと思っていたところ、結局それは近くの桜町公園に準備された、盆踊り会場のお囃子でした(下写真)。

桜町盆踊り

 その後、歩いて市役所の前まで行って、午後7時に市内に流れる「星めぐりの歌」の録音を試み、これは何とか成功したと思います。これらの音楽に関しては、またあらためて整理してご報告いたします。

 夕食は、双葉町の居酒屋「早池峰」に行きました。一昨年も食べた「サンマの刺身」はお目当てで、あと、白金豚の冷しゃぶやカツオのタタキもいただきました。大将がサービスで出してくれた枝付きの「枝豆」も、最高でした。

早池峰「サンマの刺身」など 

 先日『春と修羅』所収の「習作」に関連して、1919年に松井須磨子が演じた「カルメン」について書きましたが(「とらよとすればその手から…」)、そう言えばこの時の舞台でやはり松井須磨子が歌った「酒場の唄」という歌に関して、作曲家の中村節也さんは重要な指摘をしておられたのでした。
 賢治の「星めぐりの歌」の旋律は、この「酒場の唄」に着想を得たのではないか、という大胆な提起です。

 なによりも実際に聴いてみましょう。当時の「酒場の唄」の録音は、先日もリンクさせていただいた「浅草オペラとオーケストラ」というページの、下から3分の1あたりから聴くことができます。1919年5月、松井須磨子の自殺からまだ4ヵ月という時期における、新芸術座の中山歌子の歌です。
 また、こちらのページを開いていただくと、BGMとして「酒場の唄」の旋律がMIDIで流れます。

 さて、いかがでしょうか。後半はかなり違ってきますが、はじめの方は雰囲気が似ていますよね。

 こんどは楽譜で比べてみます。
 「酒場の唄」は、もとはヘ長調4分の4拍子で記譜されているようですが、「星めぐりの歌」と直接比べやすくするために、下にト長調4分の2拍子に書き直してみました。

「星めぐりの歌」
「星めぐりの歌」

「酒場の唄」
「酒場の唄」

 つまり、「星めぐりの歌」の方が、 が一つ多く入っているわけですが、旋律の動きはほぼ同型なのです。

 この「中村説」に対して、『宮沢賢治の音楽』等で有名な佐藤泰平さんは、「旋律が偶然に似通うことはままあり、推測の域を出ないだろう。賢治のクラシックレコード・コレクションにも、ジャズや京劇はまじっているが、歌謡曲はない」との談話を述べ、慎重な姿勢を示しておられます。
 しかし思うに、「習作」の中に「恋の鳥」の一節が引用されていることからわかるように、賢治がこの北原白秋・中山晋平版の「カルメン」を何らかの形で聴いていたことは確かですから、「レコード・コレクションにない」ことは、気にしなくてもよいのではないでしょうか。

 天の星を讃える聖らかな「星めぐりの歌」が、そのまるで対極にあるような、デカダンスの香り漂う「酒場の唄」に着想を得ているとすれば、ちょっとショッキングですね。
 しかし中村節也さんは、これも「清濁合わせ呑む賢治の包容力を感じる」ととらえておられます。

謹賀新年

鏡餅 あけましておめでとうございます。いま私のいる四国では、とてもおだやかな気候の年越しです。

 昨年という年は、1月の三陸行と普代村における様々な出会いに始まり、 3月にメインページのブログ化、5月には花巻から丹藤川の石碑探訪、 7月には札幌における賢治学会セミナーへの参加、 そして10月には普代村における「敗れし少年の歌へる」のコンサートと、 私にとっても盛りだくさんな1年でした。

 ブログという形式にあらためても、記事の更新はせいぜい週に1~2回が関の山でしたが、 それでも私の方にも何かちょっとは中身のあることを書かなくてはという意識が生まれて、カテゴリーで言えば「作品について」 に属するような事柄を書く機会が、昨年よりも増えました。
 何よりも最大の変化は、読んでくださった方々からいろいろとコメントをいただけるようになったことです。おかげさまで、 私にとっては大変に勉強になりました。

 この1年間に、直接お出会いした皆さま、当サイトにコメントやトラックバックをいただいた方々に、この場を借りてお礼申し上げます。
 また本年も、よろしくお願い申し上げます。


 さて本日は、新年を記念して、鈴木輝昭作曲の合唱組曲『イーハトーヴ組曲』から、第一曲「星めぐりの歌」の演奏を VOCALOID にて作成してみましたので、お聴きいただければ幸いです。「歌曲の部屋 ~後世作曲家篇~」の、 「鈴木輝昭「イーハトーヴ組曲」 より」のページに載せてあります。
 もともとはオペラ「双子の星」の中の主要動機となる旋律だったとのことですが、後に作曲者によって、 独立した合唱曲に転生させられたものです。賢治作曲の素朴な歌とはまた違った雰囲気で、 最初はグレゴリオ聖歌のような無伴奏のユニゾンで歌い出されます。
 本日、これを同時に podcasting でも公開しました。MP3版は、下記からも直接お聴きいただけます。

 鈴木輝昭「星めぐりの歌」(MP3: 3.65MB)

 先日から作っていた加藤學編曲による「星めぐりの歌」を、「歌曲の部屋」にアップしました。同時に podcasting でも公開しました。
 下記からも、直接お聴きいただくことができます。

加藤學編曲版「星めぐりの歌」 (MP3: 1.40MB)


 それにしても、東京国際女子マラソンの高橋尚子さんは感動的でした。

ごちさんの賢治歌曲

 「ごちの独り言」というサイトに、ごちさんがコンサートにおいて「種山ヶ原」 と「星めぐりの歌」を歌う動画がアップされました。トップページから、「空のめぐりのめあて」→「当日」→「演奏風景へ・・・」 とリンクをたどったところです。
 豊かに澄んだ歌声も美しく、また背景に映し出される画像も、賢治の世界を表現して、幻想的です。背景画像の構成や伴奏の編曲は、 すべてごちさんが一人でこなしておられますが、「星めぐりの歌」の間奏に「キラキラ星」のモチーフが絡められるところなど、 とてもおもしろいですね。
 また、「空のめぐりのめあて」のコーナーでは、演奏会当日までのごちさんの日々を追体験することができて、 これも読んでいてワクワクしてきます。

 じつは、昨年10月に行われたこのコンサートの準備過程で、 私はごちさんから何度か質問のメールをいただき、「種山ヶ原」の歌詞に「アルペン」という言葉が出てくるのはどういうことなのかとか、 「縄とマダカ」とはどんな格好かとか、私のわかる範囲でお答えをしていました。
 こんな素晴らしいコンサートのお手伝いが少しでもできたかと思うと、私もかげながら本当にうれしいところです。