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食べたもの~お盆の岩手報告(3)~

 岩手に行く時には、美味しいものを食べるのも楽しみの一つなのですが、先日いただいたものの一部をご報告します。

 まず、花巻に着いた晩は、双葉町の居酒屋「早池峰」へ行きました。花巻に泊まる時はだいたいお邪魔します。今回はヨコワやツブ貝のお刺身もおいしかったですが、下の写真はキンキの塩焼き。(食べログ「早池峰」参照)

キンキの塩焼き

 いつも変わらず迎えてくれる、大将の笑顔が温かい。

◇          ◇

 2日目のお昼は自転車に乗って、花巻の西郊外、南万丁目にあるカレー専門店「わいんさっぷ」へ行きました。リンゴ畑の端に立つ、ウッディな一軒家の戸口に、「わいんさっぷ」と書いた看板が掛かっています。賢治の時代に花巻農学校があった場所の近くですが、ちょっとわかりにくいかも。(食べログ「わいんさっぷ」参照)
 下の写真は牛すじカレー。スパイシーないい香りで、コクもあります。

牛すじカレー(わいんさっぷ)

 このお店の横には広いリンゴ畑がありますが、これは花巻におけるリンゴ栽培のパイオニアである、阿部博氏の畑です。この阿部博氏こそ、花巻滞在中の高村光太郎が「酔中吟」という詩で、

奥州花巻リンゴの名所
リンゴ数々品ある中に
阿部のたいしよが手しほにかけた
国光紅玉デリシアス

と讃えた、「阿部のたいしょ」ですね。このリンゴ畑の入口には、「阿部博翁記念碑」が建てられています。

阿部博翁記念碑

 そして現在、この地でカレー店「わいんさっぷ」を開いておられるのは、その阿部博氏の娘さんでいらっしゃるのです。カレーのルーには、もちろんこの由緒あるリンゴ畑で収穫されたリンゴも入っていますが、店名の由来になっている「ワインサップ」という品種は、数も少なく貴重なので、カレーには入っていないのだそうです。

◇          ◇

 3日目のお昼は、釜石の「新華園本店」へ行きました。ここは、「釜石ラーメン」の発祥と言われるお店です。お昼過ぎに前を通ったら行列ができていて、用事を済ませて2時すぎにやって来てもまだ行列でした。(食べログ「新華園本店」参照)

新華園本店「醤油ラーメン」

 釜石ラーメンの特徴は、「極細縮れ麺」と「琥珀色のスープ」だということで、それはまさに上の写真でおわかりいただけると思います。すっきりとして滋味深いスープで、具も含めて本当にシンプルな仕立てですが、そこにラーメンという食べ物の本質が表れているようでした。
 このお店も、去年の津波で壊滅的な被害を受けましたが、12月1日に営業再開にこぎ着けました。その初日には、食べ終わって涙を流すお客さんもおられたということです。(「復興ニッポン」参照)

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 3日目の夜は、久慈駅の近くにある「幸寿司」というお寿司屋さん。ヒラメ、中トロ、サーモン、鯖(きずし)、カンパチなど、どれも美味しかったです。下の写真は、穴子の握り。(食べログ「幸寿司」参照)

穴子握り(幸寿司)

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 4日目のお昼は、普代村の合唱団の森田眞奈子さんのお宅で、他のメンバーの方と一緒に御馳走になりました。

普代村にて

 素晴らしいお刺身や汁物で、合唱の練習前にもうお腹いっぱい。

◇          ◇

 5日目の朝は、花巻のホテルから自転車で、藤沢町にある「石窯パン工房ミッシェル」へ行きました。ここは朝6時30分から営業しているので、旅行者が朝食をとるにもありがたいお店です。(食べログ「石窯パン工房ミッシェル」参照)

丸太サンドのローストポーク(石窯パン工房ミッシェル)

 写真は、「丸太サンドのローストポーク」。パンもローストポークも野菜もおいしくて、これで300円。店内で食べる際には、コーヒーや紅茶など飲物は無料ですから、ほんとにおトクです。おからとこんにゃくを使った「花巻バーガー」もあります。

上山と帰途

 昨夜は、旅行の報告のアップもしないままに寝てしまいまして、すみませんでした。m(- -)m

 実は昨日は、賢治関係でなくちょっと仕事に関係した用事で、山形県の上山市に行っていました。
 花巻から山形の方に行くとなると、仙台から仙山線経由の方が距離的には近いはずですが、列車の本数や連絡の関係のため、いったん福島まで南下して、福島から山形新幹線に乗る方が、時間的には速いんですね。

 ということで、昨日の朝10時すぎに新花巻駅を発って、13時前に「かみのやま温泉駅」に着き、人と会ってお話をして、そしてせっかく上山に来たのですから、「斎藤茂吉記念館」を駆け足で見学しました。

斎藤茂吉記念館
斎藤茂吉記念館入口

 ここはけっして大きな施設ではありませんが、(茂吉の歌のように)重厚な雰囲気の記念館でした。
 下の写真は、記念館の駐車場から蔵王の方角を望んだところです。残念ながら、上の方の姿は雲に隠れて見えません。

蔵王を望む

 それからお土産に「中條饅頭」というのを買って、また新幹線に乗って、夜8時前に新花巻駅に着きました。
「早池峰」のお刺身 少しほっとした気分もあったので、駅からタクシーに乗り、例によって居酒屋「早池峰」に行きました。いろいろと食べたり飲んだりしましたので、宿に着くのが遅くなってしまった次第です。
 それにしても、この時期はいつも貝や山菜が美味しいので困ってしまいます。


 で、今日はもう朝から荷造りをして、帰途につきました。新しい花巻空港には、今日も「緑の町に舞い降りて」の歌が流れています。

 下の写真は、飛行機の窓からの景色です。緑の湖水が見えるのが、夏油川上流の入畑ダムで、右端の雪をかぶった山々は、「夏油三山」の駒ヶ岳のあたりでしょうか。

入畑ダム

 黄色の矢印の先端部に、「入畑ダム展望台」があって、そこに賢治の「二川こゝにて会したり」詩碑があります。

岩根橋発電所跡

 朝は5時半に起きて、伊丹発8時25分の飛行機に乗り、9時50分頃に花巻空港に着陸しました(車輪はちゃんと出たようです)。
 名古屋の上空では、雲も晴れてきれいに伊勢湾が見えていたのですが、岩手県のあたりに来ると雲海が厚く、その雲を下に通り抜けると山々は残雪に覆われ、地上では時おり粉雪も散らついていました。

 今日は、岩手軽便鉄道沿いの「岩根橋」にその昔にあったという発電所跡を見に行くつもりなのですが、先月あたりに予想したよりは、まだ雪がけっこう残っていそうです。
 実は、私は3年前の夏にも、この岩根橋発電所跡を見てみたくて足を運んだことがありました。しかし、この時は生い茂る木々の葉っぱと下草のために見通しがきかず、位置を確認することもできずに終わったのでした。
 発電所があった側――猿ヶ石川の南岸には、人が通れるような道は付いていないので、場所の見当を付けるには対岸から見るしかありません。そのためには、木々が葉を落としている時季で、なおかつ雪もない時を狙おうとかねてから思い、今年の暖冬ならば3月下旬には大丈夫かなと思っていたのですが、最近の寒の戻りで、当ては外れてしまいました。
 しかし、とりあえず現地に行ってみます。

 新花巻駅からJR釜石線に乗ると、20分ほどで岩根橋駅に着きます。ちなみにこの駅は、猿ヶ石川の北側にあります。
 岩根橋の橋脚岩根橋駅から国道を300mほど西へ歩いて、踏切を渡って引き続き西へ100mほど西に行くと、岩根橋地区集会所へと南に曲がる道がありました。この道を川の方へ下って、集会所の前も通りすぎて、猿ヶ石川にぶつかるところに、古い「吊り橋」の橋脚だけが残っているところを見つけることができました(右写真)。
 古いけれど、石組みの立派な橋脚です。ご覧のように、対岸にもちゃんと続きの橋脚が見えています。ここにこんな物があったとは、一昨年の夏には全く気がつかなかったことで、やはり今は樹木が葉を落としてくれているおかげでした。

 この橋が、その昔は駅と発電所との間の、人の往来に使われていたと思われますので、目当ての岩根橋発電所跡は、この対岸あたりのどこかにあるはずということになります。

 そこで、目の前の猿ヶ石川を渡るために、今来た道を一度引き返して、東の方ににかかっている「野金山橋」という小さな橋で南岸にわたり、その橋のたもとからは全く道のないところを、川に沿ってそろそろと、もう一度西へ歩きはじめました。
 山の北側でもあるので雪はまだかなり積もっていて、一歩ごとに大きく足が沈みます。鹿か何かの足跡が付いていたので、最初はその径路をたどっていました。しかしそのうち、雪の下は土だろうと思って踏んだ所が、なんと小さな流れに張った氷の上で、氷を踏み抜いたあげく存分に水に浸かってしまったりもしましたので、それからは苦労してもう少し山かげを歩いて、どうにか上の写真の対岸のあたりまでたどり着くことができました。

発電所跡水路 そこから山側の方に少し進むと、そこにまさに発電所跡がありました。
 石組みで造られたアーチには、二つのトンネルが見えます。ここが、発電に使った水の排水口でしょう。

 そこからさらに上に行くと、やはり石で造られたいろいろな構造物がありますが、雪も積もっているので、今ひとつ全体像がつかみにくいところです。
 しかし、「宮守村風土記」の中で「アンコール・ワット」に喩えられている雰囲気の一端は、下の写真からも少し感じていただけるかと思います。

岩根橋発電所跡

 建物跡の傍らには、「岩根橋發電所記念碑 大正七年十一月書」と書かれた石碑が、苔むして立っていました。

「岩根橋發電所記念碑」 碑文は、次のようなものでした。

 「大正六年三月工ヲ起シ翌七年十一月竣成ス隧道ノ長サ三千尺ニシテ水量一秒時ニ六百立方尺ヲ流下シ落差六十尺ヲ有ス千五百馬力ノ水車及ビ千百キロボールトアンペアノ發電機各二臺ヲ備フ費ヲ投スル金五千萬圓ナリ茲ニ当事者ノ氏名ヲ刻シ後ノ記念トス

   取締役社長 金田一勝定
   常務取締役 金田一国士
   (以下、役員や設計者や工事担当
   者の名前が続くが省略)」



 「岩根橋発電所詩群」の作品を見ると、賢治はある時、夕方から夜にかけて、この発電所を訪問したことがあったようです。冒頭の写真の吊り橋を渡る時もすでに暗かったはずで、怖くはなかったのだろうかと心配してしまいます。
 また、『春と修羅』の「カーバイト倉庫」という作品もこのあたりが舞台ですが、「発電所(下書稿(三))」に、「川の向ふのカーバイト工場」とあるように、猿ヶ石川の北岸に工場や倉庫があったということです。

 「かんぱち、ほたて、ほっき」刺身

「星めぐりの歌」を訪ねて

 昨日は昼食もたくさん食べていた上に、夕食は盛岡駅前の「小岩井リグレ」で、ジンギスカンとオムライスを食べてビールを飲んだので、おなかいっぱいになって早めに寝たのです。

 それで今日は朝も寝坊して、朝食は軽くとった後、田沢湖線で小岩井駅に寄り(岩手山は雲で見えません)、再び東北線で花巻を経由して、釜石線で宮守駅へ向かいました。
 宮守では、「みやもりホール」が目的地でした。駅から20分ほど歩いてこのホールに着くと、5月にここで見た沢里武治さんの出演ビデオの行方を尋ねました。今回はビデオモニターの電源も入っていなかったので、受付の職員の方に質問してみると、今はテープの調子が悪いので、ダビングや編集のために、外へ出しているということだったのです。

 そこで私がいかにも残念そうな顔をしたからかもしれませんが、スタッフの方は展示室にあったビデオテープを取り出して、ホールにあるビデオデッキに入れてみてくれました。するとこちらのビデオデッキでは、きちんと映像が再現されたのです。
 それはかなり雑音が多いものでしたが、私は、沢里武治さん直々の演奏による「星めぐりの歌」を、ICレコーダに録音することができました。

 これがあれば、沢里武治さんが実際に「星めぐりの歌」をどのように歌っておられたのかがわかります。そしてこれが、『【新】校本全集』の歌曲の校訂に関してどのような示唆をしてくれるのかということに関しては、いずれ私見を述べたいと思います。

 その後、午後3時頃に花巻に着き、マルカンデパートで軽食をとってイーハトーブ館に寄った後、賢治詩碑の広場に行きました。
 その広場には誰もいませんでしたが、どこかから笛の音が聞こえてくるので「神楽」の稽古か何かかと思っていたところ、結局それは近くの桜町公園に準備された、盆踊り会場のお囃子でした(下写真)。

桜町盆踊り

 その後、歩いて市役所の前まで行って、午後7時に市内に流れる「星めぐりの歌」の録音を試み、これは何とか成功したと思います。これらの音楽に関しては、またあらためて整理してご報告いたします。

 夕食は、双葉町の居酒屋「早池峰」に行きました。一昨年も食べた「サンマの刺身」はお目当てで、あと、白金豚の冷しゃぶやカツオのタタキもいただきました。大将がサービスで出してくれた枝付きの「枝豆」も、最高でした。

早池峰「サンマの刺身」など 

花巻(2)

市役所前の朝焼け 目覚ましを6時にかけてあったので、何とか頑張って起きて着替えると、6時半頃に表に出てみました。 まだ薄暗い中を、雪を踏んで市役所の方まで行く途中、出会ったのは雪かきをしている男の人一人だけの静かな朝です。
 じつは、朝7時に市役所のスピーカーから流れるはずの「精神歌」のチャイムを近くで聴きたくてここまできてみたのですが、今日が日曜日であることを忘れていました。そろそろ東の空が紅くなってきた頃に、いったんホテルに帰りました。

 朝食をとると、まずイーハトーブ館に向かい、現在展示中の「鈴木東蔵展」と「全賢フェスタ」を見て、それから書店で今は絶版になっている本を1冊買い、2階の図書室で少し資料をコピーさせてもらいました。館を出て、「ポランの広場」と名づけられている庭園や遊歩道も今日はすべて雪に埋もれたところを苦労して登り、久しぶりに宮沢賢治記念館を見ました。
 連休中とは言え、さすがに雪の中観光客は少なく、のんびりと楽しむことができました。

マルカンラーメン このあと、お昼は「マルカンデパート」の展望大食堂で、「マルカンラーメン」というのを食べました。 言わば、ラーメンの上に、たっぷりの八宝菜を豆板醤風味にした「あん」が掛かっているというもので、 この食堂の人気メニューの一つです。 それにしても、さすがにここはいつもながら大盛況です。
 このあと、また雪の花巻の街を歩いて、林風舎に寄ったりお茶を飲んだりしてから、ホテルに帰りました。

 イーハトーブ館でコピーしてきた資料の一つは、川原仁左衛門編『宮沢賢治とその周辺』の一部ですが、これが「賢治の初恋の看護婦さん」を、日詰出身の高橋ミネさんと同定した最初の文献だったわけです。実際に川原氏の記述を読むと、そう言える証拠というものは特に記載されていないのですが、なぜかその後も大半の研究者は、この説を支持しているようです。
 やはりなんと言っても、胡四王山から「紫波の城」を望んだ短歌群(小川達雄『隣に居た天才』参照)や、文語詩「」を見ると、ある時期の賢治が紫波のあたりに特別な思い入れをしていたことは十分に感じられます。また小川達雄氏の調査によれば、川原仁左衛門氏の奥さんの実家は、高橋ミネさんの実家(「高福」という日詰の大きな八百屋)の筋向かいで、川原氏は何か根拠となるような重要な情報を直接に聞いていたのではないか、というのが小川氏の推測です。
居酒屋「早池峰」 明日は天候が許せば、この日詰のあたりを訪ねてみたいと思っています。

 夜は、居酒屋「早池峰」へ行きました。こたつの席に座れなかったのは残念でしたが、お刺身の盛り合わせ(鯛、マグロ、カンパチ、ホタテ、イカ、それになぜか卵焼きも)と、味噌仕立ての「早池峰鍋」(写真奥)、鯛のかぶと焼き等をおいしくいただきました。
 花巻という内陸の地にありながら、このお店は海の幸も比較的新鮮で、いつもたっぷり食べられて価格も良心的だと思います。

花巻(1)

 午後2時半すぎに家を出て、途中「ジュンク堂」に寄って村上龍「半島を出よ(上)」を買い、四条烏丸から阪急で南茨木へ、 そして南茨木からモノレールで伊丹空港に着きました。
北上平野 空港で軽く食事をして飛行機に乗り、買った本を読んでいるうちにすぐに花巻上空にさしかかりました。
 窓から外に目をやると、夕日を背景に、平野を北上川が蛇行して流れ、その周囲にはたくさんの四角く光る水面が散らばっています。 まるでこの地表の大半が、水に覆われているかのように見えます。
 ちょっと不思議な光景でしたが、今はちょうどすべての田んぼには水がなみなみと張られ、まさに田植えを待っているという時季のようです。

 空港に着く頃には、夕日も奥羽山脈の向こうに沈み、あたりも暗くなってきました。ターミナルを出るとすぐにホテルに入って、 読みかけの本の続きに戻りました。

居酒屋「早池峰」 夕食は、読書の途中に居酒屋「早池峰」まで散歩しました。昼間は汗ばむほどでも、 夜になると冷え込んできます。新しくなった大堰川の遊歩道を通って、マルカンデパートの角を曲がり・・・。
 「早池峰」では今日は、「イタドリの油炒め」や「こしあぶらのおひたし」など山菜と、カツオとカンパチのお刺身を食べました。

 ホテルに戻ると、また村上龍の続きです。