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 先日、竹田恵子さんを聴きに行くために東京へ往復する新幹線の車中で、夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子』という小説を読みました。

『上弦の月を喰べる獅子』(上)  上弦の月を喰べる獅子〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)
 夢枕 獏

 早川書房 1995-04
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『上弦の月を喰べる獅子』(下)  上弦の月を喰べる獅子〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)
 夢枕 獏

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 私がこの本のことを知ったのは去年の秋のことでした。ある大学の日本文学科でこの『上弦の月を喰べる獅子』について研究しているという学生さんからメールをいただき、この小説の中に賢治の「青森挽歌」が出てくるのだけれども、以前に私が「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事に書いていた内容を、その研究に引用してもよいかということを、問い合わせてこられたのでした。
 もちろん、無断で引用していただいても構わないものである旨をお答えするとともに、夢枕獏氏の小説に「青森挽歌」が出ているとは知らなかった、ということを返事に書きましたら、またお返事があり、この小説には「青森挽歌」だけでなく賢治の他の作品の引用も多くあること、さらに「主人公の一人として宮沢賢治が使われてい」て、「賢治ファンからは賛否両論あるようです」ということを教えて下さいました。
 私自身、いちおう「賢治ファン」の端くれであるつもりでいましたので、自分の無知を恥じるとともに、そのうちに時間を見つけてこの小説を読んでみようと、ひそかに思っていたのです。

 その心づもりを、今回「のぞみ号」に揺られつつ果たすことができたのですが、たしかに、この小説はその冒頭、扉の裏の「エピグラフ」からして、下のようになっているんですね。本を開いた瞬間から、これにはちょっと感動しました。

『上弦の月を喰べる獅子』エピグラフ

 そして先にメールで教えていただいていたとおり、宮澤賢治が「主人公の一人」として、実に重要な役割を担って活躍するのです。

 これは文庫版では上下巻ともにそれぞれ400ページを越える「大作」ですが、その分量に十分見合うほど、奥深さと重さを持った小説でした。
 その内容についてここに具体的に書くと「ネタバレ」になってしまいますので、興味を持たれた方は実物をお読みいただくとして、簡単に言えばこの小説は、「螺旋」という象徴を鍵として、「仏教的な輪廻転生観」と、「生物の進化」という自然科学的な認識を統合し、壮大な物語を構築したものと言えます。
 物語においては、宮澤賢治の「業」や「縁」やその仏教的背景が巧みに取り込まれ、「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」という「南無妙法蓮華経」の「賢治読み」も、何度も繰り返されます。引用される作品も、「青森挽歌」以外に、『春と修羅』の「」、「春と修羅」、「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」、「銀河鉄道の夜」、絶筆短歌二首など、たくさんです。

 興味深かったことの一つは、まさに上に示した「エピグラフ」に引用されている箇所の意味について、私は「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事に自分の解釈を書いていたのですが、この物語において夢枕獏氏が想定しておられるのも、その私の考えに通じるものがあるように感じられたことでした。
 この箇所については、上の記事にも書いたとおり賢治研究者の間でも様々な説があり、しかし大半が「そのありがたい証明」というのはヘッケルの唱えた「霊魂死滅説」の証明であるという前提に立っているのに対して、私は、これはヘッケルが唱えた「反復説」の証明のことではないかと考えたのでした。
 夢枕獏氏は、物語の中でそういった解釈を明示的に述べておられるわけではありませんが、上巻のp.234-235にかけて、次のような記載があります。

 イェーナ大学の動物学の教授であった、E.ヘッケル博士(1834-1919)は、1874年に “law of recapitulation”という説―ひとつの法則を発表した。それは、
“個体発生は系統発生を繰り返す”という説である。
 たとえば、人間でいうなら、人間の胎児は、母の子宮の内部で、胚の状態からそれまで人間がたどってきた進化の歴史をたどり、その後に生まれてくる、というものである。

 私はこれまで、多くの賢治研究者が、ヘッケルの代名詞と言えるほど有名な「反復説=個体発生は系統発生を反復する」は無視して、「霊魂死滅説」ばかりを問題にするのはなぜなのか、不思議でならなかったのですが、ここにすでに1980年代後半に、ちゃんと反復説に注目している人がいたわけですね。上記の私のブログ記事などは、その十数年遅れです。
 そして、実際に読んでいただいたらわかることですが、この『上弦の月を喰べる獅子』という物語の構造は、「反復説」なしには成立しないほど、それを重要な骨格としているのです。以前にスティーヴン・ジェイ・グールドを引用して、「文学に現れた「反復説」」をご紹介しましたが、間違いなくこのリストに堂々と並べられるべき大作です。

 あと、物語における宮澤賢治の描かれ方に関しては、たしかに賢治ファンにとっては「賛否両論」が出てくるものでしょう。(というか、かなりの人が「否」かな?)
 ただ作者もその辺は十分にわかった上で書いておられるようで、自らこの作品について、「彼の童話のファンのかたなどは違和感を持たれたのではないか」と述べているそうです(『SFマガジン』1989年12月号)。

 それにもかかわらず、この小説はたとえ賢治ファンであっても、各々の「賢治観」を超えたところで、十分に楽しめる読み物ではあると思います。

[関連記事]
エルンスト・ヘッケル博士とその業績(1)
エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)
文学に現れた「反復説」
《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見

 長大な「青森挽歌」のおよそ中ほど、「ヘッケル博士」が登場するところの前後を抜粋します。

わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
   《ヘツケル博士!
    わたくしがそのありがたい証明の
    任にあたつてもよろしうございます》
 仮睡硅酸の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……
 (宗谷海峡を越える晩は
  わたくしは夜どほし甲板に立ち
  あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
  からだはけがれたねがひにみたし
  そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)
たしかにあのときはうなづいたのだ

 ここで賢治は、トシの臨終のまさにその瞬間のことを思い出しているわけですね。そしてその最中に、問題の《ヘッケル博士!・・・》が唐突に現れます。
 テキストのこの部分について、秋枝美保氏は『宮沢賢治 北方への志向』(朝文社)の中で、次のように整理しておられます。

 この箇所の《 》内の言葉の解釈については、すでに、藤原定、小野隆祥、龍佳花、大塚常樹、萩原昌好、鈴木健司ら多くの言及があり、解釈の揺れが甚だしい。それは、妹を失ったことによる賢治の信仰の揺れがどこにあったかという、『春と修羅』第一集中、最も重要な問題と関わっており、それが、非常に難しい問題であるからだと思われる。その解釈は、大きく二つの立場に別れている。詩人自身が、ヘッケル博士と同じ霊魂死滅説をとっているとみるか、または、その反対の霊魂不滅説をとっていると見るかの二つの立場である。

 ここで示された「霊魂死滅説か霊魂不滅説か」という分類軸は、秋枝氏も含め、上に挙げられた研究者の、この箇所の解釈の問題意識を反映したものです。
 すなわちこれらの方々の多くは、「そのありがたい証明」とはいったい「何の」証明なのかという問題に関して、それは「(ヘッケルの主張した)霊魂死滅説の証明」である、と考えておられるのです。

 これに対して私は、この箇所における「そのありがたい証明」とは、ヘッケルの唱えた「反復説」の証明のことではないか、と思うのです。
 私がそう考える理由は、大まかに言えば次の二つです。

 まず賢治の側から見れば、そもそもこの「青森挽歌」という作品において賢治が悩んでいるのは、「トシの魂が死滅したのか不滅なのか」という点に関してではないからです。
 仏教を深く信じていた賢治は、死んだトシの魂がどこかに輪廻転生しているのは当然の前提とした上で、はたしてその転生先が「畜生」なのか(140行~148行)、「天」なのか(154行~177行)、「地獄」なのか(178行~191行)、ということを心配しています。そして、たとえ望むように通信がかなわなくても、賢治はトシの魂が死滅したなどとは考えもせず、相互の通信を阻むもの(「タンタジールの扉」など)のせいなのかと思いをめぐらせました。
 「青森挽歌」における賢治の葛藤は、トシが死後どこに転生したのかという問題、そしてそのような事柄にとらわれている自分自身は、結局は肉親の情への執着から抜け出せていないのではないか、という問題にあります。ここには、賢治がことさらヘッケルに託して「霊魂死滅説」を取り上げるべき文脈は見出せません。

 またヘッケルの側から見れば、彼の学説にはたしかに「霊魂不滅」を認めないという主張も含まれますが、逆に、「霊魂死滅」を直接的に主張しているわけでもありません。「不滅」を否定しながら単純な「死滅」でもないというのはわかりにくいですが、これは彼が唱えた「一元論哲学」の独特なところです(「エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)」参照)。
 その主張するところによれば、すべての「存在」はその一側面として、存在の性質によって異なる様々な段階の「精神性」を備えているというのです。個人的な魂が死後も存続するという考えは明確に否定しますが、一方で無機物にも、「精神的(霊的)」な側面があると考えます。したがってヘッケルの説によれば、人間が死んでも、その構成物質がそれぞれ帯びている「精神性」は存続することになり、他の一般の霊魂死滅説とは、やや異なったものです。
 ヘッケルの説はこのようなややこしいものですから、もし賢治が「霊魂死滅説」の代表的論客をここで登場させたかったのなら、適任者はもっと他にたくさんあったでしょう。いきなり「ヘッケル博士!わたくしがそのありがたい証明の・・・」と言われた時、「その」と指示された内容が「霊魂死滅説」であると解釈するのは、ヘッケルの学問体系全体から見ると、非常に偏った解釈であると私には思えます。
 もしもこれが、ヘッケルの「反復説」や哲学的「一元論」だったなら、当時のドイツにおいても日本においても、これらは彼の代表的学説として知られていた事柄ですので、「そのありがたい証明」として言及されるのも、より自然に感じられるところなのです。

 そういうわけで私は、「青森挽歌」のこの箇所で、賢治はヘッケルの「反復説」のことを持ち出しているのだと思うのです。
 「反復説」とは、ここに最近しつこく書いているように、「個体発生は系統発生を反復する」という生物学的仮説のことですが、これは賢治にとっては、「輪廻転生説の科学化」のように感じられていたのではないかと、私は思っています。

 仏教においては、衆生は「解脱」をしない限り、地獄―餓鬼―畜生―修羅―人―天、という「六道」に生まれ変わり続けるとされています。一方、反復説によれば、すべての生き物は誕生の際に、進化的により古い原始的な段階を順に経過した後、成体に達すると考えられます。人間も始めは卵から、魚や爬虫類の状態を連続的に経て、最後に人間になるというのです。ここでは、「畜生」と「人」の生命が直接つながっていることになります。
 また当時は、現生人類に至る前段階に、攻撃的な「野蛮人」的段階が想定されていましたから、これは「修羅」に相当すると考えることもできますし、ヘッケルが「未来の人類」として構想した理想的な「高等文化民族」は、現在の人間から見れば、超越的な「天」に相当する段階と言えなくもありません。
 すなわち、ヘッケルの「反復説」は、生き物がまるで「畜生→修羅→人→天」のように変態をとげるということを、科学の名のもとに主張したわけです。

 この問題に関連して、「小岩井農場」の中には、賢治が生物学と輪廻転生説をどう関係づけていたかということを、示唆してくれるような一節があります。終わり近くの次の部分です。

すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない

 初めの2行は、進化論的・個体発生的な生物の連鎖系列のことを指していると思われます。そして、次の「この命題は可逆的にも正しく」という箇所が、賢治にとっては重要なところです。
 すなわち、ほんらい生物学的には、種は自然選択によって適者生存の方向へ変化(=進化)し、個体は発生過程で未熟な段階から成熟した段階へと変化(=発生)していくのですが、賢治はその変化に「逆方向」もありうる、と言っているのです。上位の段階から下位の段階へ、「堕ちる」こともあるのだと考えているわけです。
 これは、生物学的には「退化」という概念を連想させますが、実際には「退化」は「進化」の逆方向の現象ではなく、「進化の一側面」と言えるものです。しかし見かけ上は、生物が進化によって獲得したものを失って原始的な状態に戻るように感じられる例もあり、これは「輪廻転生」において、「人」から「畜生」に堕ちることもあるという仏教的な生命観と似た印象もあります。

 仏教の輪廻転生説と生物学を結びつけて、それで何かの「証明」になるなどと考えるのは、現在から見るとちょっと変な感じですが、賢治は、将来は宗教が科学的に証明される可能性があると、半分は本気で考えていた面もあったようなのです。
 「銀河鉄道の夜 初期形三」においては、ブルカニロ博士がジョバンニに宗教的対立の現状について示した後、「もしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる」と、ジョバンニに説いて聞かせます。やはりここでブルカニロ博士は、そして作者は、宗教と科学の統一を理想としていたように思えます。
 ちなみに、ジョバンニはこの物語の最後で尊敬をこめて「博士」に呼びかけますが、その場面は、どこかヘッケル博士への呼びかけも連想させます。


 さて、話を「青森挽歌」に戻します。作品のこの部分で賢治は、「かんがへださなければならないことは/どうしてもかんがへださなければならない」として、つらさをこらえ、トシの臨終の場面の回想を始めます。この最中、彼女の最期の様子を生々しく思い出すうちに、賢治は何としてもトシともう一度話をしたいという衝動が抑えきれなくなり、その思いが、「ヘッケル博士」への呼びかけに象徴されたのではないでしょうか。
 もしも賢治が他の世界に転生したトシとの交信に成功して、彼女の現在の状況を知ることができれば、それは「輪廻転生説の証明」になります。そして、上に考察したような理屈に立てば、それはまた同時に、賢治が仏教的に拡大解釈した、「ヘッケルの反復説の証明」にもなるわけです。
 このように、賢治がこの時トシとの交信をあらためて強く願ったこと、そしてそれは間接的にヘッケルの反復説を裏付けるとの連想も同時に働いたこと、これが、《わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という箇所にこめられた意味なのではないかと、私は思うのです。

 ただここでもう一つ、このヘッケルへの呼びかけは、誰が・どこから発しているのか、という問題が残ります。この点に関しても、これまでの研究者の意見が分かれているところです。
 この「青森挽歌」という作品においては、「地」の文が作者による語りを、( )内の言葉は作者の心の中の独り言を、《 》内の言葉は作者の「外から」聴こえてきた声を、それぞれ表すという構造になっています。ヘッケル博士への呼びかけは《 》で括られていますし、次の行に「仮睡硅酸の雲のなかから/凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は…」と書かれているところからも、やはり賢治はこれをどこか外部から聴こえてきた声として感じとった、というのがテキストの示しているところです。

 私は、上に書いたように、この言葉は賢治の心の中の潜在的な願望であり声であろうと思いますが、ここであたかも外から聴こえたように描写されているのは、これがこの時作者にとっては「幻聴」として体験されたからだと考えます。そもそも幻聴というものは、実際には自分の心の中で起こっている言語的精神活動が、何らかの理由で外部に定位されて体験されたものにほかなりません。
 賢治にとって切なる願いでありながら、「凍らすようなあんな卑怯な叫び声」と否定的に形容されているのは、その4行後に「けがれたねがひ」と書かれているのと同じ理由のためでしょう。賢治は、自分がトシとの通信を願っていることを、肉親の情への過度の執着であり仏教の教えに反していると考え、罪悪感も持っていたために、このように「卑怯」「けがれた」として描写しているのだと思われます。
 非常に強く湧き上がる感情を、このように罪悪感などで無理に抑圧しようとした時、その感情はあたかも自分のものではないかのように、自己から切り離されて体験されることがあります。ある場合には、本人にはそれが外部から由来しているように感じられ、「幻聴」として体験されることになります。


 以上、「ヘッケル博士」問題について私の思うところを書いてみました。
 一方、「ありがたい証明」の内容を、「霊魂死滅説」であれ「反復説」であれヘッケルの学説の中には求めず、別の事柄とする考え方もありえます。鈴木健司氏は、『宮沢賢治という現象』(蒼丘書林)において、これは「トシが天界往生したと」ということの証明を意味していると解釈しておられます。
 どの考えが正しいと断定する根拠はなかなかないでしょうが、私としては、「わたくしがそのありがたい証明の任にあたつてもよろしうございます」と呼びかける言葉は、まるでヘッケルの弟子なり信奉者が言っているようなニュアンスに聞こえるので、証明の内容はヘッケルの学説と関係しているのではないかと思ったのです。

 いずれにしてもこの部分は、「青森挽歌」の中心をなしている賢治の葛藤のぎりぎりの切実な表現であり、読む者にも刃を突きつけてくるような感じがします。

文学に現れた「反復説」

 惜しくも2002年に悪性中皮腫で亡くなった古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドは、大著『個体発生と系統発生』の中で、「個体発生は系統発生を反復する」という「反復説」が、生物学の版図を越えていかに広汎な分野に影響を及ぼしていたかということを、多くの実例を挙げて検証しています。
 彼の博識ぶりにはいつも驚嘆させられますが、その中で文学の領域においては、次のような例が引用されています。

  • ウィリアム・ブレイク 『ユリゼンの書』(1794)より

数多の悲哀、数多の陰鬱な苦悶を示す
魚や、鳥や、獣たちの、数多の種族が
ここにまで幼児のかたちを押しすすめた
往古の虫ケラからここに至るまで

  • アルフレッド・テニソン 『イン・メモリアル』(1850)祝婚歌より(母の胎内にいる子供の描写)

下等な生命の相をすぎこして
あげくは人として生まれ、考えるものとなる。

  • セオドア・レトキ 「終末への讃歌!」(1950)より

蝸牛の連続、蛙蝦の跳躍をかさね、ここ、精神にいたる。
われに告げよ、皮膚なき身体に、魚は汗ばむか否かを?
われははや、かの血の流れを泳ぎ遡ることあたわざれば、
さらなる途をえらばんことをこそ希う。

  • J.G.バラード 「沈んだ世界」(1965)より

個々の生命は短い一生を送るものだという思いこみは間違いである。われわれの一人ひとりが生物界全体と同じように古く、われわれの血液の流れは全生命のあらゆる記憶の大いなる海から分かれ出た支流なのだ。胎内で育っている胎児の冒険の旅は、すぎ去った進化のすべてをくり返す。その中枢神経システムは、ニューロンの各ジャップ結合と脊髄の各レベルが象徴的な場、すなわちニューロンの時間を区分している。

  • W.H.オーデン: ストラビンスキーへの追悼の辞(1971)より

作曲家としてのストラビンスキーの一生は、一流と二流の芸術家の違いについて私が知っている範囲で、それをもっともよく証明するものである。・・・二流の芸術家とは、いわばひとたび円熟に達し自らを見出すと、自らの創造史にピリオドを打ってしまう。他方、一流の芸術家は、たえず自らを再発見し、自らの創造史を反復するか、芸術の歴史をそのまま映し出す。

  • ベンジャミン・スポック 『スポック博士の育児書』(1968)より

発育中の子供一人ひとりが、一歩ごとに、肉体的にも精神的にも人類の歴史を辿りなおしているのです。赤ん坊は、ちょうど大洋の中で最初の生物が現れたのと同じように、ちっぽけな単細胞として子宮のなかでスタートを切ります。数週間の後、子宮の羊水の中にいて、赤ん坊は魚のような鰓を持ちます。生まれてから1年近くなり、赤ん坊が二本の足でヨチヨチ歩きするときには、人間の祖先が四つん這いから立ちあがった何百万年も昔の時代をほめたたえているのです。

 これらの例は、「反復説」的な時間認識と生命観が、いかに人間の心の深いところまで浸透しているかということを、如実に示してくれていると思います。

 「青森挽歌」における「ヘッケル博士」も、はたしてこのような系列に加えられるような意味を帯びて登場しているのかどうか、ということが問題です。

 エルンスト・ヘッケルが生物学研究者としての経歴を開始したまさにその年、近代科学史上における最も重要な著作の一つが現れました。イギリスのチャールズ・ダーウィンが満を持して発表した、『種の起源』(1859)です。
 これを読んだヘッケルは直ちに熱烈な進化論者となり、ドイツにおけるダーウィニズムの「伝道者」とも言うべき役割を果たしていくことになります。たんに思想的に共鳴するだけでなく、無脊椎動物の形態学に関するヘッケル自身の広汎な業績を骨格として、彼はダーウィン説を自らの血肉としていきました。
 1866年にヘッケルがわずか32歳で発表した著書『一般形態学』は、イギリス生物学界の大御所であるT.H.ハックスリーから、「進化論の帰結の実践ヘッケルによる生物系統樹的な応用であり、19世紀の生物学史における記念碑的著作」との賞賛を受けますが、ダーウィン自身も、ドイツにおける自説の成功の最大の要因は、ヘッケルによる強力なプロパガンダにあったと考えていました。「進化という事実を世間に納得させる上で、ヘッケルはダーウィン以上の影響を及ぼした」と言う人さえあります(ノルデンシェルド『生物学史』1929)。

 上記『一般形態学』において、ヘッケルはかの有名な「生物発生の基本則」、すなわち「個体発生は系統発生を反復する」という「法則」を呈示します。さらに、生物進化における一番最初の段階に、彼が仮説的に「モネラ」と名づけた「核構造を持たない原形質塊」、いわば生物と無生物の境界にあたるような有機体の存在を提唱しました。
 また、皆さんの多くは中学生か高校生の頃に、生物の進化を図示した「系統樹」というものを、ご覧になったことがあるでしょうが、この種のシェーマを初めて描いたのもヘッケルで、その初めての試みは『一般形態学』第二巻に登場しています(上写真)。後にも触れるように、ヘッケルの素人離れした画才は、放散虫類やクラゲの研究書に自ら添えた図版にも遺憾なく発揮されていましたが、上の系統樹の絵におけるリアルな描写も、単なる模式図のレベルを越えて、生命の連鎖というものに圧倒的な存在感を与えています。

 さて、この「個体発生は系統発生を反復する(Die Ontogenese rekapituliert die Phylogenese)」とヒトの個体発生いうテーゼは、現在もヘッケルの名前とともに、多くの人々に記憶されています。これは簡単に言えば、あらゆる生物は誕生の際に、太古からそれまでの進化の歴史を繰り返して身体や組織が形成される、という仮説です。
 例えば人間の受精卵は子宮の中で胎児へと成長していきますが(左図)、ある時期には鰓(えら)ができてまるで魚のような形になり、次いで手足が形成され、最後に尻尾が退縮していくという変化をたどります。その様子は、まるで単細胞生物から多細胞生物へ、そして魚類から両生類・爬虫類的な段階を経て哺乳類に到達するかのように感じられ、まさに生物進化(=系統発生)のプロセスを、ここで短時間のうちに「反復」しているように見えます。様々な生物で、そのような実例は枚挙にいとまがありませんし、何よりも、一つ一つの「いのち」が、それぞれ何億年という悠久の生命の歴史をたどりなおしているのだという考えには、言葉では言い表せないようなロマンが漂っています。

 この「個体発生が系統発生を反復する」という説(反復説)そのものは、何もヘッケルのオリジナルではなくて、このような考えの萌芽はアリストテレスにまでさかのぼり、その後もいろいろな学者によって示唆されていました。しかし、当時の生物学界の最高権威と見なされていたヘッケルが、これを進化論という新たな装いのもとに、洗練された形で強烈に主張したことの波及効果は、非常に大きなものでした。
 例えば、精神分析学を創始したフロイトも、ヘッケルの反復説に強い影響を受け、人間の精神的な側面の成長も、生物の系統発生的な段階と並行した経過をたどるという理論を構築していきます。また、イタリアのロンブローゾが創始した「犯罪人類学」においては、「生来の犯罪者」は、「進化的に劣った類人猿的な形態的な印を帯びている」と考えられたり、あるいは教育学に応用されたり、はたまた人種差別主義の論拠とされたり、この「法則」はヘッケルの手を離れたところで、様々な波紋を生んでいきました。

 学者として功成り名遂げたヘッケルは、このような生物学分野における研究にとどまらず、さらに哲学の領域へも活動を広げていきます。『人類創造史』(1874)、『宇宙の謎』(1899)、『生命の不可思議』(1904)などの著作において、彼は既成の権威や宗教に対する厳しい批判論者として筆をふるい、科学の進歩の名のもとに、自由主義的な論陣を張りました。また、物質と観念を統一的にとらえる彼独特の「一元論」を唱え、例えば次のような論調でキリスト教をも攻撃します。

 この魂の闘いにおいて、一方には、精神的自由と真実、条理と文化、進化と進歩が、科学の鮮やかな旗の下にある。また一方には、精神的隷属と偽り、不条理と野蛮、迷信と退行が階層性の黒き旗の下にある。・・・進化は真実を求める闘争における重砲である。あらゆる部類の二元論的な詭弁は、この一元論の大砲の速射の下に崩壊し、不謬の教義の強力な砦であるローマカトリック教の位階制の尊大で強大な構造は、トランプの家のように崩れ落ちる。(『人類創造史』)

 ヘッケルの「一元論」とは、いわばそれまでの観念論と唯物論を折衷したようなもので、「存在」とはある面から見れば「物質」として物理的な延長を持ち、また別の面から見れば「精神」として知覚活動を行っている、とでも要約できるものです。彼自身の言葉で語ってもらうと、「一元論では、唯物論のいう精神をもたない物質は存在しないし、唯心論が認める物質なき精神も存在しない。認めるのはただ一つであり、その二つは同じものなのである」(『一般形態学』)、という感じです。
 このような基礎の上に、自然科学の成果を機械論的・還元論的に積み上げたものが、ヘッケルの構想する学問体系でした。そこでは、心理学は生理学の一分野となり、経済学・政治学・倫理学は、すべて「応用生物学」と見なされます。カントからヘーゲルに至るドイツ哲学の伝統からすると、何と変わり果てた姿かとため息が出ますが、しかし彼の「一元論」は当時一世を風靡し、1906年には自ら「ドイツ一元論者同盟」なる組織も創設して、社会的発言を拡大していきました。二代目会長になったノーベル賞化学者オストワルドをはじめ、この会には様々な著名人が所属し、社会的にかなりの影響力を持っていきます。
 ヘッケルのベスト・セラーである『宇宙の謎』は、1年目で10万部を売り、1919年までに10版を重ね、25の言語に翻訳され、1933年までにドイツ国内だけで50万部が売れるという人気を博し、出版史において最もめざましい成功を収めた本の一つに数えられました。当時のヘッケルの信奉者は、「彼の名は、何世紀にもわたって光を放ち続ける、輝ける象徴となるであろう。その間に世代は代わり、新たな逸材が世に現れ、国家は凋落し、王権は倒れることだろうが、かのイェナの賢き老天才の名は、何より長らえるだろう」とまで書いています。

 1919年、このような栄光のうちにヘッケルは、終生愛したイェナの地で85歳の生涯を閉じました。この年は、奇しくもアドルフ・ヒットラーが「国家社会主義ドイツ労働者党」に入党した年でもありました。そしてヘッケル亡き後の「ドイツ一元論者同盟」はしだいに人種的純血主義に傾き、ヒットラーに対する積極的な支持を鮮明にしていきます。
 これはヘッケルの死後のことだったとは言え、実はすでにヘッケル自身の著作にも、進化論の濫用とも言うべき人種差別的な見解が含まれていました。機械論と神秘主義が奇妙に同居したような彼の思想には、容易にナチスのイデオロギーの一部として利用される側面もあったのです。

 引き続き時代が変わっていくと、本来の生物学の分野でも、彼の権威は地に墜ちて行きます。「個体発生は系統発生を反復する」という命題を、ヘッケルは確かに多くの著作の中で繰り返し強調していますが、その論を冷静に読むと、この命題を論理的に説明するような科学的根拠は、結局何も挙げられていないのでした。「系統発生は、・・・生理学的な過程であり、生物が有するすべての生理学的な機能同様、機械的な原因により、絶対的な必然性をもって決定されるのである」というような言葉が、「内容の深まりもないまま、繰り返しによって同意を求める執拗さと熱意を持って」(S.J.グールド)何度も書かれているだけなのです。
 また、『自然創造史』の挿絵においては、ヒトとイヌの胎児の類似性を強調するために、ヘッケルが意図的に形を歪めて描いていたという疑惑が取り沙汰されたり、かつての名声が高かっただけに、その凋落ぶりも極端でした。

 生物学史として見ると、実験発生学の発展によってすでに20世紀前半から「反復説」の立場は危うくなっていましたが、その後さらに分子生物学がDNAレベルで個体発生のメカニズムを明らかにするに及び、この説はまさに「前世紀の遺物」というような位置に格下げされていきます。「お話」としては魅力的かもしれないが、とても「科学」と呼べる代物ではない、というのです。
 このような調子で、20世紀後半の生物学の潮流は、ヘッケルというこの往年の大学者に対して、ことさら冷淡な態度をとり続けていきます。ナチス・ドイツへの思想的親和性というイメージが、そのような扱いをさらに増幅していたのかもしれません。

 しかし、やっぱり「歴史はめぐる」ということはあるようです。古生物学者S.J.グールドは『個体発生と系統発生』という著作を準備している際の経験として、彼独特のユーモアもまじえ、その大著の冒頭で次のようなことを書いています。

 また私としても、こんなにも世にあまねく行きわたっているヘッケル説への非難という「壁」に、これほどの努力を傾けてまで、あえて挑戦するほど勇ましい科学者ではない。ところが私がちょっと探り針を入れてみると、すぐさま壁の中の亀裂が浮かび上がってきた。それについて私は20回以上も、次のようなきわめて奇妙な体験を味わった。
 私が研究者仲間に個体発生と系統発生の並行性に関する本を書いているんだと話すと、相手は私をわきへ連れていって誰も見ていないことを確かめ、盗聴器の有無までチェックしかねないようすで、ことさらに声を低めて告白するのだ。「ここだけの話にしときたいのだがね、それについては確かに何かがあると私も思っているんだよ。」

 実際、1990年代以降には、「進化発生生物学」という新たな分野が開拓され、ここではヘッケルが取り組んだと同じテーマに対し、最新の方法論を駆使したアプローチが始まっているということです。
 いったんはタブーのように封印されていた領域に、またもう一度正統的な研究の照準が合わせられているのです・・・。


 以上、当初の予定よりはかなり長々しくなってしまいましたが、エルンスト・ヘッケルという生物学者の業績について、私なりに概観してみました。その生涯における厖大な仕事を大きく分けると、(1) 無脊椎動物の解剖学・形態学に関する基礎的研究、(2) 進化論や「反復説」を中心とした理論生物学的領域における学説の提唱、(3) 「一元論」に集大成される哲学的論考の展開、という3つにまとめてみることができるでしょう。
 できれば近いうちに、宮澤賢治が《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》と書いたのは、このようなヘッケルの学説のどの部分を念頭に置いていたのかということについて、考えてみたいと思います。

 あと最後に、ヘッケルというかくも多面的な人物のもう一つ別の側面について、ここで少しだけご紹介しておきます。

 それは、先にも少し触れたことですが、ことあるごとにヘッケルが示していたその素晴らしい美術的才能です。この右上の方に5つほど挿入した黒地の美しい画像は、いずれもヘッケルがスケッチした放散虫類で、著書において挿絵として用いられたものです。その出典はこちらのサイトで、もっとたくさんの画像を、より高解像度で見ることができます。また、こちらのサイトからは、『自然の芸術的形態』という彼の著書に収められている100もの図版を見ることができます。
 学問的・思想的評価が大きく揺れ動こうとも、ヘッケルの仕事のこの側面は、これまで変わらずに静かな光彩を放ってきましたし、これからもそうあり続けるでしょう。

 下の絵は、ヘッケルが発見し名づけた Desmonema Annasethe というクラゲを、彼自身が描いたものです。学名は、その数年前に亡くなったヘッケルの最初の妻 Anna Sethe にちなんで命名されたものですが、彼によれば、流れるような無数の触手が、アンナの美しいブロンドの髪を思い出させるのだそうです。それにしてもここに見られる装飾的な様式は、アール・ヌーヴォーの絵画、例えばオーブリー・ビアズリーが描く女性の髪をも連想させるものですね。
 賢治の「挽歌」の中で呼びかけられた博士が、ここでやはり愛する者を悼む思いを、自らの筆に託していたというわけです。

Desmonema Annasethe

[参考文献]
S.J.グールド:個体発生と系統発生.工作舎,1987
倉谷 滋:個体発生は進化をくりかえすのか.岩波書店,2005
Encyclopaedia Britannica 11th ed., 1910-1911