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富山英俊著『挽歌と反語』

 明治学院大学教授で宮沢賢治学会イーハトーブセンターの前代表理事の、富山英俊さんによる賢治研究書『挽歌と反語 宮沢賢治の詩と宗教』が、刊行されました。

挽歌と反語―宮沢賢治の詩と宗教 挽歌と反語―宮沢賢治の詩と宗教
富山英俊 (著)

せりか書房 (2019/3/20)

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 この本の装幀に使われているのは、上の写真からも少し見ていただけるように、賢治の「青森挽歌」の自筆稿の、美しくも緊迫感のあふれる画像で、これがまず何よりも私にとっては、比類のない魅力を持って目に入ってきます。
 上には写っていませんが、本書の黒色の帯に記されている言葉は、下記です。

『春と修羅』挽歌群の最高峰
「青森挽歌」全篇の音数律と楽曲的な
主題構成を分析し、賢治文学の
反語性・多声性の源泉を(キリスト教
との接触の諸相を読解しつつ)
日本仏教の「本覚」的な性向へと遡り、
仏教思想が「心象スケッチ」を主観性の
表出から離脱させた経緯を展望し、
ゲーリー・スナイダーの賢治詩英訳を
検討し、T・S・エリオットとの類縁
を指摘し、新たな賢治像を提示する

 とても長い一つのセンテンスで書かれていますので、複雑に曲がりくねった印象を与える紹介文ではありますが、この本全体の本質的な要素は、もう全てここに凝縮され詰め込まれています。本の内容紹介としては、もうここに尽きてしまうのですが、これで記事を終わってしまっても何ですので、とりあえず本を開いてみましょう。
 まず本文の最初に位置して圧倒的な存在感を放っているのは、上記のように装幀にも使われている「青森挽歌」を取り上げた「第一章 「青森挽歌」を読む、聴く」です。そこでは、「音数律」という道具を、まるで地質学者のルーペのように丹念に使用しつつ、一片の鉱石も見逃さないような足どりで綿密に進行していくテキストの分析が、とりわけ印象的です。

 音楽に喩えれば、この「音数律」というのは、旋律や対旋律の構成単位としての「動機(モチーフ)」のようなものでしょうが、この章で著者は、賢治という詩人が多彩な言葉のリズムを巧みに駆使する能力において、いかに類い稀な資質をもっていたのかということを、細かく実証的に示してくれています。著者の言葉では、「賢治の詩は、生来の抜群の音感によって細部にいたるまで構成され、定型とそこからの離脱との行き来を精妙に演奏し、長篇詩であっても単調に陥らず多彩に展開する」(p.30)のです。

 この言葉はまさに、私がこれまで賢治の詩を読みつつ感じてきた、その喩えようのない魅力を、具体的な形で表現してくれるものでした。
 例えば、古今東西に「美しいメロディー」というのは数限りなくあるでしょうが、その中でも(少なくとも私にとっては)モーツァルトやベートーヴェンの作った音楽が、その一部を聴いただけでも他に代えがたい魅力を備えているように感じられるのは、個々の動機(モチーフ)が組み合わされ、絡み合い、展開し、変化していく様子が、まさに「精妙」としか言いようのない素晴らしさだからでしょう。それが「なぜ美しいのか」と言われても、何とも説明しがたいですが、単調でもなく、ランダムでもなく、一見気まぐれのように変移しつつも、どこかで均整がとれていて、何とも心地よいのです。
 賢治が自らの詩において用いた音数律も、言わばそういう絶妙なものとしか言いようのないものなのでしょう。

 さらに、このように精妙な「音数律」によって紡ぎ出されていく言葉の連なりは、積み重ねられることによって自ずとさらに大規模で高次の階層の「構造」を形成して行きますが、その「音楽的構成」について、著者の富山さんは次のように述べます(p.63-64)。

 そして、作品の音楽的構成にもう一度戻るなら、この詩篇のここまでの展開は、いくつかの主題や要素の暗示と布置から始まって、妹の死という問いが次第にはっきりと想起され、それから死後の世界の三つの像が出現するというものだった。それらは、異なった方向性をもつ諸主題の対話、交渉という意味で「弁証法的」であり(その衝突からより高い「綜合」が生じる、という意味ではそうではないかもしれないが)、それらの主題がいわば交響曲におけるように展開される。それは「大局的」に言えば、日本の伝統的な詩が十分に発達させえなかった展開ということになるだろうが、しかし賢治のこの作品は、思想の「弁証法的」な展開を詩文の音楽的な構成として劇化するという志向を、近代日本のどんな作品よりも卓越して実現している。じっさい、この詩篇での賢治の詩行は、たとえば英詩の伝統でいえばロマン派の長大なオードに匹敵するものだ。(またT・S・エリオットの長篇詩に。それについては本書第九章で論じる。)

 そして、いったいなぜ、他ならぬ賢治が、これほど長大な詩においてその形式と内容を高度な次元で連関させつつ有機的に構築するという離れ業を、「近代日本のどんな作品よりも卓越して実現」できたのか、ということが、私たちにとっては最大の疑問として現れます。これについて富山さんは、次のように述べます(p.64)。

 東北という地方にいて、英語やドイツ語はかなりできたらしいが、けっしてそれらの言語の長詩を原文で研究する機会が多かったはずはないかれに、なぜそれができたのか? その答えは、だがとうの昔に詩人の弟の宮沢清六によって与えられている。クラシック音楽のレコードのたいへんな愛好家だった賢治は、ベートーベンなどの交響曲を熟知していた。賢治は蓄音機のラッパに耳を突っ込んで、さまざまな音色とメロディを視覚的な像として感受していたというが、交響曲的な構成、構築もまた、そこから獲得したものだろう。われわれは、「兄とレコード」での、「此のころ兄の書いた長い詩などは、作曲家が音符でやるように言葉によってそれをやり、奥にひそむものを交響曲的に現わしたい思ったのであろう」という宮沢清六の発言を文字通りに受け取る必要がある。また、浅野晃は前掲論で「青森挽歌」を「構築し得たこと」が「驚異である」「壮大なマーラー的交響曲」と呼んでいる。(クラシック音楽の愛好家である詩人などは日本に無数に存在してきたが、ほかに賢治のように長篇詩を構成し、かつ多彩にことばを動かせた詩人がいただろうか?)

 私はこの箇所を読んで、かつて自分が高校生だった時代に、ここまで長篇詩ではありませんが「春と修羅」を読んで何とも言えず感動し、自分でその全文をわら半紙に書き写しては読み、これはまるでベートーヴェンの交響曲やソナタの一楽章のようだと感じたことを、懐かしく思い出しました。
 浅野晃氏は、「青森挽歌」を「マーラー的交響曲」と呼んだということですが、さすがにここまで長大になり、また構造も複雑でいわゆる古典的な均整を志向するものではないところからは、これは確かにベートーヴェンではなくてマーラーの交響曲に譬えられるものでしょう。
 (ちなみに以前から私は、賢治の「小岩井農場」は、当該作者の最長の作品であること、全体が6つのパート(楽章)から成っていること、途中では現実的・象徴的な様々な苦悩が描かれながらも最後には若々しい肯定に至るという全体の構成などから、マーラーでいえば交響曲第3番に相当するなぁと、浅野晃氏の指摘は知らないままに思っていました。それでは、「青森挽歌」をマーラーの交響曲で言えば、何番になるのでしょう。その悲壮感の深さからは、かなり対照的ではありますが6番や9番などに当たるでしょうか……。)

 ……などということで、第一章の一つの側面のご紹介だけでも、もうかなりの字数を費やしてしまいましたが、本書の後半部では、キリスト教や仏教の思想への富山さん独自の視点と、それを通した賢治作品の読みが、非常に深く展開されます。本書副題の「宮沢賢治の詩と宗教」が示すように、これもこの本の二本柱のもう一方を成す、重要なテーマなのです。
 その中でも、今回の書き下ろしという「第六章 ヘッケル博士と倶舎―諸説の検討と私見」においては、「青森挽歌」のテキスト中で最も研究者による解釈の分かれる「謎」の部分について、現時点での諸説を丁寧に包括的に整理して、著者の見解を付してくれており、この問題に関心を持っておられる方には、必見の章かと思います。私も「ヘッケル博士」については、「「青森挽歌」における二重の葛藤」の中でも自分なりの解釈を書いてみたりして、相当の関心を持ってはいるのですが、それでも今回の富山さんの論考を読ませていただいて、「やっぱりこの問題は難しいなあ」というのが、率直な感想でした。

 また、宗教的側面からの分析においては、キリスト教における「反律法」という方向性と、仏教における「(天台)本覚思想」を、アナロジーとしてとらえようとする著者の視点は、比較宗教学的に見ても非常に斬新なものではないかと、私には感じられます。しかし現時点で、その検討は私の能力を越えてもいますので、今回の記事での本書のご紹介はこのくらいにし、あとはまた可能ならば、いつか別の記事を立てて考えてみたいと思います。

 ちなみに私は本書を読みながら、これまで賢治学会のセミナー等で謦咳に接してきた富山英俊さんの、理知的で淡々として鋭く、しかしどこかにユーモアもこめられたご発言の様子が、行間から浮かび上がってくるようで、これは研究書としてとても高度で専門的な内容であるとは思いますが、同時に私にとっては暖かく楽しい読書体験でした。

【本書の目次】

はじめに

第一章 「青森挽歌」を読む、聴く
第二章 宮沢賢治の詩の実現(音数律と主題構成)
第三章 賢治仏教学への予備的な覚書(日蓮と親鸞)
第四章 宮沢賢治とキリスト教の諸相―「天国」と
    「神の国」のいくつかの像
第五章 宮沢賢治とキリスト教の一面(反律法)と
    仏教の一面(本覚)
第六章 ヘッケル博士と倶舎―諸説の検討と私見
第七章 心象スケッチ、主観性の文学、仏教思想
第八章 ゲーリー・スナイダーの宮沢賢治
第九章 T・S・エリオットと宮沢賢治

あとがき
参照文献

 お正月の記事では、佐藤恵子著『ヘッケルと進化の夢』という本についてご紹介しましたが、正月休みにこの本を読みながら、私はあらためて「青森挽歌」に登場する《ヘツケル博士》の意味について考えてみました。すなわち、《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という一節は、いったいどういう意味なのか、「そのありがたい証明」とは、いったい何の証明なのか、という問題です。

 これについては、もう10年以上も前に、「《ヘツケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事で、その時点での私の考えを書いてみたことがありました。当時の論旨を要約すると、「そのありがたい証明」とは、ヘッケルが提唱した「反復説」、すなわち「個体発生は系統発生を反復する」という学説の証明であり、賢治の考えでは、自分がトシと「通信」を交わすことによって仏教の「輪廻転生説」を検証することができれば、それは「輪廻転生説の科学化」とも言える「反復説」を証明することにもつながる、というものだったのではないかということでした。
 一方、今年のお正月以来私は、この箇所についてまた違った考えをするようになってきたので、今日はそのことを書いてみようと思います。

 まず、以前に「「青森挽歌」の構造について(1)」という記事において、この作品を<I>から<V>までに区分した中から、ヘッケル博士の登場する<III トシの死の状況の具体的回想>の部分を、下記に掲げておきます。右側に行番号を付けていますので、以下の説明中で適宜ご参照下さい。

「青森挽歌」<III>

 作品のこの部分では、トシの臨終の様子が具体的に回想されるわけですが、ここで賢治はただ手当たり次第にその時の出来事を思い出しているのではありません。
 内容を見ていただいたらわかるとおり、86行目では耳が聞こえなくなったこと、93-95行目では目が見えなくなったということをまず確認し、97-98行目では、その後もトシはこの世の幻視や幻聴を感じたのではないか、という推測を述べています。
 つまりここで賢治は、トシの臨終前後の「感官」の状態について、意識的に記憶を整理しているのです。

 そして、このようにしてトシの感官の状態を振り返った上で、賢治が本題として持ち出すテーマは、彼が「いみじい生物の名を/ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき」に、はたしてトシがそれに対して「うなづいた」のか、という問題です。賢治はこれについて、執拗なまでに考えをめぐらします。
 すなわち、まず104行目では、「あいつは二へんうなづくやうに息をした」と、事実をそのまま記していますが、次に108行目では、「けれどもたしかにうなづいた」と、彼女が「うなづいた」ことを断定的に述べます。そして、「ヘッケル博士」への言及をはさんで119行目では、実に三度目に「たしかにあのときはうなづいたのだ」と記すのです。
 この一連の流れにおいて、「うなづいた」という言葉を畳みかけるように繰り返して、作品の声調が高まってくるところは、「青森挽歌」前半部における一つのクライマックスを形づくっていると言えるでしょう。

 そして、賢治がこれほどまでに、「トシが『うなづいた』かどうか」という問題にこだわっている理由は、この問題が、作品全体を貫くテーマであるところの「トシは天界に往生したのか?」という問題に対して、重要な意味を持っていたからだと思われます。
 すなわち、トシの「臨終正念」に関する問題です。

 「臨終正念」とは、「邪念のない正しい信仰を持って臨終を迎える」ということで、人は最期の時にこれが正しくできておれば、浄土真宗ならば浄土への往生が、日蓮系の宗派ならば天界への往生が、かなえられるという教えになっています。
 賢治が、トシの臨終に際してこの「臨終正念」をはっきりと意識していたであろうことは、早くも1976年に杉浦静氏が、「賢治文学における「死」のイメージと<臨終正念>」(『近代文学論』7号)という論文において指摘されました。
 杉浦氏は、日蓮が臨終正念について触れた書簡「妙法尼御前御返事」を引用し、人の死に際の顔色が白い場合は天に往生するのだと述べていることを、紹介しておられます。

 天台云はく「白々は天に譬ふ」と。大論に云はく「赤白端正なる者は天上を得る」云云。天台大師御臨終の記に云はく「色白し」と。玄奘三蔵御臨終を記して云はく「色白し」と。一代聖教の定むる名目に云はく「黒業は六道にとゞまり、白業は四聖となる」と。此等の文証と現証をもってかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか。(『平成新編 日蓮大聖人御書』より)

 杉浦氏によれば、賢治が「無声慟哭」においてトシの顔貌や匂いについて記しているのも、あるいは「青森挽歌」後半部では《おいおい、あの顔いろは少し青かつたよ》とか《…あのときの眼は白かつたよ/すぐ瞑りかねてゐたよ》 などと、その顔色を中傷する「魔」の声が入るのも、賢治が「臨終正念」という観点から、トシの最期の顔の相を特に気にかけていたからです。

 ではここで、トシにおける顔の肌の色が実際にどうであったかを確かめてみると、「青森挽歌」105行目に「白く尖ったあごがゆすれて…」とあるように、幸いなことに白かったのです。
 そうであれば、日蓮の「妙法尼御前御返事」を読んでいたであろう賢治は、安心してトシの天界往生を信じてもよいはずです。ところが、それでも賢治が安心しきれなかったのは、実は日蓮自身が臨終正念において本当に重視していたのは、顔色という外面的な事柄だけでなく、心や行いにおける信仰のあり方だったからだと思われます。下記は、やはり「妙法尼御前御返事」からの引用です。

 しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととはねさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏と申す法門なり。(『平成新編 日蓮大聖人御書』より)

 すなわち、臨終において「南無妙法蓮華経」の題目を唱えながら亡くなった者は、成仏間違いないというのです。
 もちろん賢治も、このことは強く意識していたはずで、彼が死に近いトシに題目を熱心に唱えさせていたことを、トシに看護婦としてついていた細川キヨという女性が、森荘已池氏に語っています。

 豊沢町にうつってくると、やっぱり目にみえてよくありませんでした。古い家で、陰気でしたし、その上カヤをつってびょうぶでかこいますから、とてもくらくて穴ぐらにでも入ったようなのです。賢さんはいっしょにうつってきて、二階のへやにおられました。そしてときどき二階からおりてきては、ナムメョウホウレンゲキョウ何に彼にうんぬんと大きなこえでとなえて、としさんにも寝たまま手を合わさせて、ナムメョウホウレンゲキョウととなえさせるのでした。
 私は、まったくハラハラとして気が気でありませんでした。とても弱っている病人に、あんなマネをさせてはよくないと思ったのです。うしろから、小指でつついただけで、つんのめってしまって倒れるような病人があるものです。としさんはそれと同じことです。でも信仰のためなら、それもしかたのないことだろうと思って黙っておりました。お父さんお母さんとちがう信仰に一生けんめいなのですから、付添いの私なんか何かいえる筋合いのものでもありませんでした。(森荘已池『宮沢賢治と三人の女性』より)

 このように、衰弱したトシに相当の無理をさせながらも、「南無妙法蓮華経」を唱えさせ続けていた賢治でしたが、しかし彼女のまさに最期の場面においては、題目を唱えさせることができなかったのだろうと思われます。
 もしも、トシが臨終に際して唱題を行ったとすれば、賢治はその事実を「青森挽歌」の上掲の部分に記さないはずはありません。ところが、テキストにはそのようなことは何も書かれておらず、それに作品中の記述を読めば、賢治は実際のところトシの呼吸と脈が止まってしまってから後に、その枕元へ「はしつて行つた」のです。

にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた

 愛する妹の死の瞬間、すなわち「呼吸がとまり脈がうたなくな」ったまさにその時点に立ち会えなかったことは、賢治にとっては悔やんでも悔やみきれないことだったろうと思います。
 賢治が駆けつけた時、もはや意識を失ったトシに、自ら題目を唱えさせることは不可能でした。

 そして、その時に賢治がとった行動は、トシの「耳もとで」、「万象同帰のそのいみじい生物の名を/ちからいつぱいちからいつぱい叫」ぶということでした。私が思うには、賢治のこの行動は、「本人自身が題目を唱えつつ臨終を迎える」という、臨終正念のための最善の方法を実行できなかったため、それに代わる次善の策として、行われたものだったのではないでしょうか。
 先日、「万象同帰のそのいみじい生物の名」と題した記事において私は、この時に賢治が叫んだのは「生物の名」であるということから、日蓮の描いた「本尊」に記されている諸仏や諸菩薩の名前ではないかと推測してみました。後で触れる日寛の「臨終用心抄」の中で、臨終の際には「本尊と我と一躰也と思惟して…」ということを重視していることにもよります。しかし本日の議論においては、これは鈴木健司氏らが考えておられるように、賢治が叫んだのは「南無妙法蓮華経」だったと考えても、同じことです。
 いずれにせよ賢治はこの時、トシの天界往生を助けようとして、とにかくそのために効力があるとされる言葉を、力の限りに叫んだのだと思います。


 しかし、たとえそれがいくら偉大な力を持った言葉だったとしても、まだ賢治にとっては問題が残ります。
 すでに少し前に耳が聞こえなくなり、そして今や呼吸も脈も止まってしまい、明らかに「死」の境を越えてしまったように見えるトシ(の遺体)に対して、今さら言葉を聴かせてやることに、果たして意味はあるのでしょうか?

 この問題に関しては、「万象同帰のそのいみじい生物の名」でも引用した日寛の「臨終用心抄」という文書に、賢治にとっては一縷の望みが記されています。

一、唯今と見る時本尊を病人の目の前に向へ耳のそばへより臨終唯今也、祖師御迎ひに来り給ふ可し、南無妙法蓮華経と唱へ給へとて病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし、已に絶へ切つても一時ばかり耳へ唱へ入る可し、死ても底心あり或は魂去りやらず死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し。

 すなわち、命が「已(すで)に絶へ切つても」、題目を「一時ばかり耳へ唱へ入る可し」ということを、日寛は推奨しているのです。何となれば、「死ても底心あり或は魂去りやらず」とのことで、人間は死んでもその深い奥底には「底心」というものがあり、魂はまだ去らないのだというのです。そして、「死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し」とも述べて、死んでからでも唱題を聞かせれば、「悪趣」(=地獄・餓鬼・畜生)に転生することはないと、保証してくれています。
 この、「已に絶へ切つても…耳へ唱へ入る」という行為こそ、まさにトシの息が絶えた後に賢治が行った、「その耳もとで…ちからいつぱいちからいつぱい叫んだ」という行為そのものであり、この箇所は、彼がとった行為の有効性を、根拠づけてくれるものだと思います。

 「青森挽歌」のテキストでは、上掲の<III トシの死の状況の具体的回想>の後半部のほとんど、すなわち120行目から139行目までずっと、臨終後のトシに日寛の言う「底心」が存在したということを、何とかして確かめようとする賢治の思索が、縷々記されています。
 すなわち、「わたくしたちが死んだといつて泣いたあと/とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ/ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで/ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない」とか、「たしかにとし子はあのあけがたは/まだこの世かいのゆめのなかにゐて/落葉の風につみかさねられた/野はらをひとりあるきながら/ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ」という箇所などがそうです。
 このように、死後のトシにも「底心」が残っていて、「魂」の活動がまだかすかにでも続いていたのだとすれば、賢治が耳もとで「ちからいつぱいちからいつぱい叫んだ」ことにも、何らかの意味があったことになるわけです。


 さてこのように考えれば、賢治はトシの臨終への遅刻を挽回して、彼女の天界往生を助ける行為ができたのではないかと思われるのですが、しかしご存じのように賢治という人は、上記ような教えを信ずる「宗教者」としての側面とはまた別に、「科学者」としての側面も兼ね備えていました。科学者として合理的に考えてみると、日寛が言うような理屈は、かなり危ういものにも感じられます。
 科学者・賢治は、ここでまだトシの天界往生を安心して信ずるまでには、至らなかったかもしれません

 ところがここに、「生」と「死」を隔てる深い溝を強引にも乗『生命之不可思議』り越えて、生物と無生物、あるいは有機体と無機体というものは、本来はシームレスに繋がっており、両者は連続しているのだという説を唱えた科学者がいました。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、その大胆な「一元論」によって一世を風靡したドイツの生物学者、エルンスト・ヘッケルです。

 生前の賢治は、ヘッケルの代表的著作の“Die Lebenswunder”(邦訳『生命の不可思議』)を、原書で持っていました。
 下記は、『生命之不可思議』上巻(大日本文明協会事務所刊,1915)の、「第十三章 感覚」の一部です。

 有機体を分析する時、無機自然物体に発見せられざる原素を見ることなし。吾人は有機体の運動は、無機体と同じく重学の法則に従ふを見る、又、吾人は生活物質に於ける力の変化、即ちエネルギー代謝は、無機物に於けると同様に生じ且同じ刺激に依りて惹起せらるゝを信ず。以上の経験よりして、吾人は『刺激の知覚』(客観的意味に於ける感覚、及び主観的意味に於ける感情)も一般に両者に存在すると結論せざるべからず。総ての自然物体は、或意味に於て悉く『感覚を有す』。一元論が『死せる』物の一部を無感覚と認むる唯物論的解釈と相異する点は、物質に対する此のエネルギー説的理解に存す。

 すなわち、ヘッケルが提唱した「一元論」に立てば、「死せる物」も、生物と程度こそ違え、「感覚を有す」のです。このように、生物と無生物を連続した存在としてとらえる考え方は、やはり同様のアニミズム的な感性を持っていた賢治にとっては、共感するところも多かったのではないでしょうか。
 そして、もしもヘッケルが言うように「生ける者」と「死せる物」の活動(エネルギー代謝)が連続しているのならば、ついさっきまで生きていたトシが息絶えた後にも、何らかの「感覚」があり、それ相応の「意識」があっても、おかしくないように思えます。

 さて、ここでついに問題の箇所に到達しました。「青森挽歌」109-111行目に出てくる、《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という言葉の意味するところは、このようなヘッケルの考え(=一元論)のことであり、これが真実であるということを確認することこそが、「そのありがたい証明」なのではないかと、私は考えるのです。

 本文中でこの言葉は、臨終直後のトシが賢治の叫びに応えて、「二へんうなづくやうに息をした」(104行目)、「けれどもたしかにうなづいた」(108行目)と続き、彼女の感覚や運動がまだ保たれていたと信ずる気持ちが、頂点まで高まった瞬間に現れます。そしてこの言葉のさらに少し後で、賢治は三たび「たしかにあのときはうなづいたのだ」(119行目)と繰り返すのです。
 すなわち、このテキストの構造からすると、ヘッケルの「ありがたい証明」とは、「賢治の声がトシに届き、トシはそれにうなずいたに違いない」という問題の、ど真ん中に関わっているはずです。そして、ヘッケルの「証明」を上記のように理解すれば、これは上記の問題の解決につながるのです。

 もしもトシからの「通信」が得られて、あの時たしかに彼女は「うなづいた」のだということが確認できれば、それはヘッケルが言うところの「無機体も感覚を有す」という説の「証明」にもなると賢治は考えたのではないか、これがこの箇所に関する私の解釈です。
 そして、114-118行目の、(宗谷海峡を越える晩は/わたくしは夜どほし甲板に立ち/あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり/からだはけがれたねがひに みたし/そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)という箇所に描かれている賢治の決意は、この「挑戦」によってトシとの「通信」を実現しようということだと考えます。

 ただ、このように自分の妹の天界往生を確信するという目的のために、ヘッケルの説の「証明」をしようというのは、賢治の倫理観からするとあまりに利己的な動機にもとづいたものと言えるでしょう。このヘッケル博士に対する呼びかけが、「凍らすやうなあんな卑怯な叫び声」という風に否定的に位置づけられているのはこのためでしょうし、また宗谷海峡での挑戦の動機が、「けがれたねがひ」と表現されているのも、同じ理由によると思われます。
 作品の最後で、《けつしてひとりをいのつてはいけない》として現れる言葉の伏線が、すでにここにあるとも言えます。

 ところで、この《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という言葉は、二重括弧《 》で括られていますから、「「青森挽歌」の構造について(1)」で述べたように、これは賢治の潜在意識の底から発せられ、彼にとっては「幻聴」として体験された言葉と思われます。
 賢治としては、臨終のトシが自分の叫んだ言葉にうなずいてくれたと信じたい、そしてその天界往生を信じたい、という願望が非常に強かった一方で、そんなに自分の妹の幸せばかりを祈ってはいけないとして、そういう思いを抱くことに対する内的な禁止・抑圧も、また強かったのだろうと思います。このように、自分の心の中に激しい二律背反が存在する時に、一方を自我から切り離して(=解離)自分の外部に投影し、あたかも外から声が聴こえるような体験が起こるということがあります。
 これが、この《ヘツケル博士!…》という言葉が、この時の賢治にとっては「幻聴」として感じられたことの原因だったのだろうと、私は思っています。

 以上のような、賢治が「青森挽歌」において抱えていた問題群と、その解決のための典拠を図にすると、下記のようになります。

「青森挽歌」の問題群

 トシの天界往生の問題は、右側の様々な論拠を参照しつつ段々と下の問題に置き換えられていき、最下段でヘッケルが説くように無機体にも感覚があるのか、という問題に行き着きます。
 もしもこのヘッケルの学説が「証明」できれば、今度は左側を段々と昇って、まずこれは臨終直後のトシが賢治の声を知覚できたことの尤もらしい説明となり、次にそれはトシが「うなづいた」ことを根拠づけ、すると臨終時のトシは「本尊」(または「題目」)と一体であったことになり、これはすなわち「臨終正念」ということであり、最後にトシは天界往生したという結論が導かれる、というわけです。

 なお、右側に並べている論拠のうち、日蓮の書簡とヘッケルの著書は、確かに賢治は読んでいたと思われるのですが、日寛の「臨終用心抄」という文献は、日蓮系の教団においては重要なもののようですが、賢治が読んでいたという証拠は何もありません。
 ただ、ちょうど「幾何」の問題を解く際に適当な「補助線」を引いてやると筋道がきれいに見えてくるように、「青森挽歌」が孕んでいる数々の謎に対して、この「臨終用心抄」という足場を置くと、全体が論理的に繋がるように見えてくるのです。

 最後に、上の図を動画にしてみたものを下に載せておきます。「青森挽歌」の前半部において、賢治の心の底にあった理屈の流れを表そうとしたものです。

「青森挽歌」前半部のフローチャート

 あけましておめでとうございます。

 今年は、賢治生誕120周年という節目の年で、「十干十二支」においても賢治と同じ丙申(ひのえさる)にあたりますが、はたしてどんな1年になりますでしょうか。

 私自身は、この年末も年始もごろごろと過ごしていたのですが、休みの間に、『ヘッケルと進化の夢 一元論、エコロジー、系統樹』という本を読んでみました。

ヘッケルと進化の夢 ヘッケルと進化の夢
佐藤恵子

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 本の帯には、「日本初紹介!エルンスト・ヘッケルの実像」とあります。思えば私も10年ほど前に、ヘッケルについて少し調べて、当ブログの「エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)」という記事などに書いたことがあるのですが、確かにこの当時も、日本語の文献でヘッケルについて詳しく書かれたものは、なかなか見つかりませんでした。
 戦前までさかのぼれば、単行本として出されたものとしても、岩崎重三著『進化論者ヘッケル』(1921年刊)や、シュミット著『ヘッケル伝:ひとつの偉大な人生の記念碑』(1942年邦訳刊)など、ヘッケルの業績や生涯について詳述した書物がありますので、今回の本に「日本初紹介!」とまで銘打つのは、厳密にはやや言い過ぎになるのかもしれません。
 しかしそれにしても、当時からまた格段に進歩した現代の科学的視点に立って、ヘッケルが残した厖大な著作やその理論体系を、わかりやすく一望できる書物が登場したということは、とても意義のあることと思います。

 著者の佐藤恵子氏は、東大薬学部在学中に「医学や薬学の根底にあるドイツ思想の影響に関心を抱き」(「あとがき」より)、ふたたび学士入学してドイツ地域研究や科学史科学哲学を、さらに大学院で比較文学比較文化を学ばれたということです。そのような経歴も反映して、この本の特色は、生物学をはじめとしたヘッケル本来の自然科学的業績を紹介するする「理系」的な部分と、それを当時の文化や思想など人文科学的背景に位置づけていく「文系」的な部分とが、うまく有機的にかみあっているところにあると言えるでしょう。
 「まえがき」にある著者の次の言葉は、まさにそのような本書の魅力を言い表してくれていると思います。

 ヘッケルを読むことはまた、十九世紀末ドイツという、私たちにとっての異文化空間で、自然科学と文化と社会がどう影響し合いながら歴史を推し進めてきたかを見出す一つのヒントを示すことでもあり、さらには、その流れが織り糸の一本となって、私たちの今を織り上げていることを知るヒントにもなるだろう。

 著者によれば、ヘッケルは「単なる生物学者」ではありませんでした。「彼は、私たちの常識を覆すほど多方面で活躍してきた人物」であり、「十九世紀後半のドイツにおいてヘッケルは、良くも悪くも、計り知れない威力と影響力をもっていた」のです。
 そしてその圧倒的な存在感は、遠く日本岩手の宮澤賢治にも到達し、賢治はヘッケルの思想から、「何か」を感じとっていたのは確実です。

 それが「何か」ということに関しては、賢治研究者の間でもまだ議論が錯綜しているのが現状ですし、本書においても、

また、日本への影響も、三木成夫、夢野久作に関しては生物発生原則の影響の箇所で少し触れたが、宮沢賢治、森鴎外、加藤弘之をはじめとする知識人への影響については力が及んでいない。

と「あとがき」に書かれているように、賢治がヘッケルをどう受容したのかということについては、残念ながら触れられていません。
 しかし、上のように本書の著者が賢治との関連についても問題意識を持って下さっているということは、賢治愛好家の一人としても嬉しいことですし、また今後の展開を楽しみにお待ちしたいと思っています。

 ところでその、「賢治はヘッケルの思想に何を感じとっていたのか」という問題については、私自身これも以前に「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事において考えたことがありましたが、この時はヘッケルの「反復説」と、仏教の「輪廻転生説」との関連に、注目してみたのでした。
 今回また、ここでご紹介した『ヘッケルと進化の夢 一元論、エコロジー、系統樹』を読んだことをきっかけに、あらためて「青森挽歌」におけるこの問題についてお正月の間にあれこれ考えつつ、ヘッケル著『生命之不可思議』を読んでみたり、いろいろな賢治研究者の説を読んでみたりしたのですが、そのうちに前回の拙記事とは少し違った解釈の可能性について、考えるようになりました。

 いずれ、またそのことについて書いてみたいと思っています。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 先日、竹田恵子さんを聴きに行くために東京へ往復する新幹線の車中で、夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子』という小説を読みました。

『上弦の月を喰べる獅子』(上)   上弦の月を喰べる獅子〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)
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『上弦の月を喰べる獅子』(下)  上弦の月を喰べる獅子〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)
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 私がこの本のことを知ったのは去年の秋のことでした。ある大学の日本文学科でこの『上弦の月を喰べる獅子』について研究しているという学生さんからメールをいただき、この小説の中に賢治の「青森挽歌」が出てくるのだけれども、以前に私が「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事に書いていた内容を、その研究に引用してもよいかということを、問い合わせてこられたのでした。
 もちろん、無断で引用していただいても構わないものである旨をお答えするとともに、夢枕獏氏の小説に「青森挽歌」が出ているとは知らなかった、ということを返事に書きましたら、またお返事があり、この小説には「青森挽歌」だけでなく賢治の他の作品の引用も多くあること、さらに「主人公の一人として宮沢賢治が使われてい」て、「賢治ファンからは賛否両論あるようです」ということを教えて下さいました。
 私自身、いちおう「賢治ファン」の端くれであるつもりでいましたので、自分の無知を恥じるとともに、そのうちに時間を見つけてこの小説を読んでみようと、ひそかに思っていたのです。

 その心づもりを、今回「のぞみ号」に揺られつつ果たすことができたのですが、たしかに、この小説はその冒頭、扉の裏の「エピグラフ」からして、下のようになっているんですね。本を開いた瞬間から、これにはちょっと感動しました。

『上弦の月を喰べる獅子』エピグラフ

 そして先にメールで教えていただいていたとおり、宮澤賢治が「主人公の一人」として、実に重要な役割を担って活躍するのです。

 これは文庫版では上下巻ともにそれぞれ400ページを越える「大作」ですが、その分量に十分見合うほど、奥深さと重さを持った小説でした。
 その内容についてここに具体的に書くと「ネタバレ」になってしまいますので、興味を持たれた方は実物をお読みいただくとして、簡単に言えばこの小説は、「螺旋」という象徴を鍵として、「仏教的な輪廻転生観」と、「生物の進化」という自然科学的な認識を統合し、壮大な物語を構築したものと言えます。
 物語においては、宮澤賢治の「業」や「縁」やその仏教的背景が巧みに取り込まれ、「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」という「南無妙法蓮華経」の「賢治読み」も、何度も繰り返されます。引用される作品も、「青森挽歌」以外に、『春と修羅』の「」、「春と修羅」、「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」、「銀河鉄道の夜」、絶筆短歌二首など、たくさんです。

 興味深かったことの一つは、まさに上に示した「エピグラフ」に引用されている箇所の意味について、私は「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事に自分の解釈を書いていたのですが、この物語において夢枕獏氏が想定しておられるのも、その私の考えに通じるものがあるように感じられたことでした。
 この箇所については、上の記事にも書いたとおり賢治研究者の間でも様々な説があり、しかし大半が「そのありがたい証明」というのはヘッケルの唱えた「霊魂死滅説」の証明であるという前提に立っているのに対して、私は、これはヘッケルが唱えた「反復説」の証明のことではないかと考えたのでした。
 夢枕獏氏は、物語の中でそういった解釈を明示的に述べておられるわけではありませんが、上巻のp.234-235にかけて、次のような記載があります。

 イェーナ大学の動物学の教授であった、E.ヘッケル博士(1834-1919)は、1874年に “law of recapitulation”という説―ひとつの法則を発表した。それは、
“個体発生は系統発生を繰り返す”という説である。
 たとえば、人間でいうなら、人間の胎児は、母の子宮の内部で、胚の状態からそれまで人間がたどってきた進化の歴史をたどり、その後に生まれてくる、というものである。

 私はこれまで、多くの賢治研究者が、ヘッケルの代名詞と言えるほど有名な「反復説=個体発生は系統発生を反復する」は無視して、「霊魂死滅説」ばかりを問題にするのはなぜなのか、不思議でならなかったのですが、ここにすでに1980年代後半に、ちゃんと反復説に注目している人がいたわけですね。上記の私のブログ記事などは、その十数年遅れです。
 そして、実際に読んでいただいたらわかることですが、この『上弦の月を喰べる獅子』という物語の構造は、「反復説」なしには成立しないほど、それを重要な骨格としているのです。以前にスティーヴン・ジェイ・グールドを引用して、「文学に現れた「反復説」」をご紹介しましたが、間違いなくこのリストに堂々と並べられるべき大作です。

 あと、物語における宮澤賢治の描かれ方に関しては、たしかに賢治ファンにとっては「賛否両論」が出てくるものでしょう。(というか、かなりの人が「否」かな?)
 ただ作者もその辺は十分にわかった上で書いておられるようで、自らこの作品について、「彼の童話のファンのかたなどは違和感を持たれたのではないか」と述べているそうです(『SFマガジン』1989年12月号)。

 それにもかかわらず、この小説はたとえ賢治ファンであっても、各々の「賢治観」を超えたところで、十分に楽しめる読み物ではあると思います。

[関連記事]
エルンスト・ヘッケル博士とその業績(1)
エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)
文学に現れた「反復説」
《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見

 長大な「青森挽歌」のおよそ中ほど、「ヘッケル博士」が登場するところの前後を抜粋します。

わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
   《ヘツケル博士!
    わたくしがそのありがたい証明の
    任にあたつてもよろしうございます》
 仮睡硅酸の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……
 (宗谷海峡を越える晩は
  わたくしは夜どほし甲板に立ち
  あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
  からだはけがれたねがひにみたし
  そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)
たしかにあのときはうなづいたのだ

 ここで賢治は、トシの臨終のまさにその瞬間のことを思い出しているわけですね。そしてその最中に、問題の《ヘッケル博士!・・・》が唐突に現れます。
 テキストのこの部分について、秋枝美保氏は『宮沢賢治 北方への志向』(朝文社)の中で、次のように整理しておられます。

 この箇所の《 》内の言葉の解釈については、すでに、藤原定、小野隆祥、龍佳花、大塚常樹、萩原昌好、鈴木健司ら多くの言及があり、解釈の揺れが甚だしい。それは、妹を失ったことによる賢治の信仰の揺れがどこにあったかという、『春と修羅』第一集中、最も重要な問題と関わっており、それが、非常に難しい問題であるからだと思われる。その解釈は、大きく二つの立場に別れている。詩人自身が、ヘッケル博士と同じ霊魂死滅説をとっているとみるか、または、その反対の霊魂不滅説をとっていると見るかの二つの立場である。

 ここで示された「霊魂死滅説か霊魂不滅説か」という分類軸は、秋枝氏も含め、上に挙げられた研究者の、この箇所の解釈の問題意識を反映したものです。
 すなわちこれらの方々の多くは、「そのありがたい証明」とはいったい「何の」証明なのかという問題に関して、それは「(ヘッケルの主張した)霊魂死滅説の証明」である、と考えておられるのです。

 これに対して私は、この箇所における「そのありがたい証明」とは、ヘッケルの唱えた「反復説」の証明のことではないか、と思うのです。
 私がそう考える理由は、大まかに言えば次の二つです。

 まず賢治の側から見れば、そもそもこの「青森挽歌」という作品において賢治が悩んでいるのは、「トシの魂が死滅したのか不滅なのか」という点に関してではないからです。
 仏教を深く信じていた賢治は、死んだトシの魂がどこかに輪廻転生しているのは当然の前提とした上で、はたしてその転生先が「畜生」なのか(140行~148行)、「天」なのか(154行~177行)、「地獄」なのか(178行~191行)、ということを心配しています。そして、たとえ望むように通信がかなわなくても、賢治はトシの魂が死滅したなどとは考えもせず、相互の通信を阻むもの(「タンタジールの扉」など)のせいなのかと思いをめぐらせました。
 「青森挽歌」における賢治の葛藤は、トシが死後どこに転生したのかという問題、そしてそのような事柄にとらわれている自分自身は、結局は肉親の情への執着から抜け出せていないのではないか、という問題にあります。ここには、賢治がことさらヘッケルに託して「霊魂死滅説」を取り上げるべき文脈は見出せません。

 またヘッケルの側から見れば、彼の学説にはたしかに「霊魂不滅」を認めないという主張も含まれますが、逆に、「霊魂死滅」を直接的に主張しているわけでもありません。「不滅」を否定しながら単純な「死滅」でもないというのはわかりにくいですが、これは彼が唱えた「一元論哲学」の独特なところです(「エルンスト・ヘッケル博士とその業績(2)」参照)。
 その主張するところによれば、すべての「存在」はその一側面として、存在の性質によって異なる様々な段階の「精神性」を備えているというのです。個人的な魂が死後も存続するという考えは明確に否定しますが、一方で無機物にも、「精神的(霊的)」な側面があると考えます。したがってヘッケルの説によれば、人間が死んでも、その構成物質がそれぞれ帯びている「精神性」は存続することになり、他の一般の霊魂死滅説とは、やや異なったものです。
 ヘッケルの説はこのようなややこしいものですから、もし賢治が「霊魂死滅説」の代表的論客をここで登場させたかったのなら、適任者はもっと他にたくさんあったでしょう。いきなり「ヘッケル博士!わたくしがそのありがたい証明の・・・」と言われた時、「その」と指示された内容が「霊魂死滅説」であると解釈するのは、ヘッケルの学問体系全体から見ると、非常に偏った解釈であると私には思えます。
 もしもこれが、ヘッケルの「反復説」や哲学的「一元論」だったなら、当時のドイツにおいても日本においても、これらは彼の代表的学説として知られていた事柄ですので、「そのありがたい証明」として言及されるのも、より自然に感じられるところなのです。

 そういうわけで私は、「青森挽歌」のこの箇所で、賢治はヘッケルの「反復説」のことを持ち出しているのだと思うのです。
 「反復説」とは、ここに最近しつこく書いているように、「個体発生は系統発生を反復する」という生物学的仮説のことですが、これは賢治にとっては、「輪廻転生説の科学化」のように感じられていたのではないかと、私は思っています。

 仏教においては、衆生は「解脱」をしない限り、地獄―餓鬼―畜生―修羅―人―天、という「六道」に生まれ変わり続けるとされています。一方、反復説によれば、すべての生き物は誕生の際に、進化的により古い原始的な段階を順に経過した後、成体に達すると考えられます。人間も始めは卵から、魚や爬虫類の状態を連続的に経て、最後に人間になるというのです。ここでは、「畜生」と「人」の生命が直接つながっていることになります。
 また当時は、現生人類に至る前段階に、攻撃的な「野蛮人」的段階が想定されていましたから、これは「修羅」に相当すると考えることもできますし、ヘッケルが「未来の人類」として構想した理想的な「高等文化民族」は、現在の人間から見れば、超越的な「天」に相当する段階と言えなくもありません。
 すなわち、ヘッケルの「反復説」は、生き物がまるで「畜生→修羅→人→天」のように変態をとげるということを、科学の名のもとに主張したわけです。

 この問題に関連して、「小岩井農場」の中には、賢治が生物学と輪廻転生説をどう関係づけていたかということを、示唆してくれるような一節があります。終わり近くの次の部分です。

すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない

 初めの2行は、進化論的・個体発生的な生物の連鎖系列のことを指していると思われます。そして、次の「この命題は可逆的にも正しく」という箇所が、賢治にとっては重要なところです。
 すなわち、ほんらい生物学的には、種は自然選択によって適者生存の方向へ変化(=進化)し、個体は発生過程で未熟な段階から成熟した段階へと変化(=発生)していくのですが、賢治はその変化に「逆方向」もありうる、と言っているのです。上位の段階から下位の段階へ、「堕ちる」こともあるのだと考えているわけです。
 これは、生物学的には「退化」という概念を連想させますが、実際には「退化」は「進化」の逆方向の現象ではなく、「進化の一側面」と言えるものです。しかし見かけ上は、生物が進化によって獲得したものを失って原始的な状態に戻るように感じられる例もあり、これは「輪廻転生」において、「人」から「畜生」に堕ちることもあるという仏教的な生命観と似た印象もあります。

 仏教の輪廻転生説と生物学を結びつけて、それで何かの「証明」になるなどと考えるのは、現在から見るとちょっと変な感じですが、賢治は、将来は宗教が科学的に証明される可能性があると、半分は本気で考えていた面もあったようなのです。
 「銀河鉄道の夜 初期形三」においては、ブルカニロ博士がジョバンニに宗教的対立の現状について示した後、「もしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる」と、ジョバンニに説いて聞かせます。やはりここでブルカニロ博士は、そして作者は、宗教と科学の統一を理想としていたように思えます。
 ちなみに、ジョバンニはこの物語の最後で尊敬をこめて「博士」に呼びかけますが、その場面は、どこかヘッケル博士への呼びかけも連想させます。


 さて、話を「青森挽歌」に戻します。作品のこの部分で賢治は、「かんがへださなければならないことは/どうしてもかんがへださなければならない」として、つらさをこらえ、トシの臨終の場面の回想を始めます。この最中、彼女の最期の様子を生々しく思い出すうちに、賢治は何としてもトシともう一度話をしたいという衝動が抑えきれなくなり、その思いが、「ヘッケル博士」への呼びかけに象徴されたのではないでしょうか。
 もしも賢治が他の世界に転生したトシとの交信に成功して、彼女の現在の状況を知ることができれば、それは「輪廻転生説の証明」になります。そして、上に考察したような理屈に立てば、それはまた同時に、賢治が仏教的に拡大解釈した、「ヘッケルの反復説の証明」にもなるわけです。
 このように、賢治がこの時トシとの交信をあらためて強く願ったこと、そしてそれは間接的にヘッケルの反復説を裏付けるとの連想も同時に働いたこと、これが、《わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という箇所にこめられた意味なのではないかと、私は思うのです。

 ただここでもう一つ、このヘッケルへの呼びかけは、誰が・どこから発しているのか、という問題が残ります。この点に関しても、これまでの研究者の意見が分かれているところです。
 この「青森挽歌」という作品においては、「地」の文が作者による語りを、( )内の言葉は作者の心の中の独り言を、《 》内の言葉は作者の「外から」聴こえてきた声を、それぞれ表すという構造になっています。ヘッケル博士への呼びかけは《 》で括られていますし、次の行に「仮睡硅酸の雲のなかから/凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は…」と書かれているところからも、やはり賢治はこれをどこか外部から聴こえてきた声として感じとった、というのがテキストの示しているところです。

 私は、上に書いたように、この言葉は賢治の心の中の潜在的な願望であり声であろうと思いますが、ここであたかも外から聴こえたように描写されているのは、これがこの時作者にとっては「幻聴」として体験されたからだと考えます。そもそも幻聴というものは、実際には自分の心の中で起こっている言語的精神活動が、何らかの理由で外部に定位されて体験されたものにほかなりません。
 賢治にとって切なる願いでありながら、「凍らすようなあんな卑怯な叫び声」と否定的に形容されているのは、その4行後に「けがれたねがひ」と書かれているのと同じ理由のためでしょう。賢治は、自分がトシとの通信を願っていることを、肉親の情への過度の執着であり仏教の教えに反していると考え、罪悪感も持っていたために、このように「卑怯」「けがれた」として描写しているのだと思われます。
 非常に強く湧き上がる感情を、このように罪悪感などで無理に抑圧しようとした時、その感情はあたかも自分のものではないかのように、自己から切り離されて体験されることがあります。ある場合には、本人にはそれが外部から由来しているように感じられ、「幻聴」として体験されることになります。


 以上、「ヘッケル博士」問題について私の思うところを書いてみました。
 一方、「ありがたい証明」の内容を、「霊魂死滅説」であれ「反復説」であれヘッケルの学説の中には求めず、別の事柄とする考え方もありえます。鈴木健司氏は、『宮沢賢治という現象』(蒼丘書林)において、これは「トシが天界往生したと」ということの証明を意味していると解釈しておられます。
 どの考えが正しいと断定する根拠はなかなかないでしょうが、私としては、「わたくしがそのありがたい証明の任にあたつてもよろしうございます」と呼びかける言葉は、まるでヘッケルの弟子なり信奉者が言っているようなニュアンスに聞こえるので、証明の内容はヘッケルの学説と関係しているのではないかと思ったのです。

 いずれにしてもこの部分は、「青森挽歌」の中心をなしている賢治の葛藤のぎりぎりの切実な表現であり、読む者にも刃を突きつけてくるような感じがします。

文学に現れた「反復説」

 惜しくも2002年に悪性中皮腫で亡くなった古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドは、大著『個体発生と系統発生』の中で、「個体発生は系統発生を反復する」という「反復説」が、生物学の版図を越えていかに広汎な分野に影響を及ぼしていたかということを、多くの実例を挙げて検証しています。
 彼の博識ぶりにはいつも驚嘆させられますが、その中で文学の領域においては、次のような例が引用されています。

  • ウィリアム・ブレイク 『ユリゼンの書』(1794)より

数多の悲哀、数多の陰鬱な苦悶を示す
魚や、鳥や、獣たちの、数多の種族が
ここにまで幼児のかたちを押しすすめた
往古の虫ケラからここに至るまで

  • アルフレッド・テニソン 『イン・メモリアル』(1850)祝婚歌より(母の胎内にいる子供の描写)

下等な生命の相をすぎこして
あげくは人として生まれ、考えるものとなる。

  • セオドア・レトキ 「終末への讃歌!」(1950)より

蝸牛の連続、蛙蝦の跳躍をかさね、ここ、精神にいたる。
われに告げよ、皮膚なき身体に、魚は汗ばむか否かを?
われははや、かの血の流れを泳ぎ遡ることあたわざれば、
さらなる途をえらばんことをこそ希う。

  • J.G.バラード 「沈んだ世界」(1965)より

個々の生命は短い一生を送るものだという思いこみは間違いである。われわれの一人ひとりが生物界全体と同じように古く、われわれの血液の流れは全生命のあらゆる記憶の大いなる海から分かれ出た支流なのだ。胎内で育っている胎児の冒険の旅は、すぎ去った進化のすべてをくり返す。その中枢神経システムは、ニューロンの各ジャップ結合と脊髄の各レベルが象徴的な場、すなわちニューロンの時間を区分している。

  • W.H.オーデン: ストラビンスキーへの追悼の辞(1971)より

作曲家としてのストラビンスキーの一生は、一流と二流の芸術家の違いについて私が知っている範囲で、それをもっともよく証明するものである。・・・二流の芸術家とは、いわばひとたび円熟に達し自らを見出すと、自らの創造史にピリオドを打ってしまう。他方、一流の芸術家は、たえず自らを再発見し、自らの創造史を反復するか、芸術の歴史をそのまま映し出す。

  • ベンジャミン・スポック 『スポック博士の育児書』(1968)より

発育中の子供一人ひとりが、一歩ごとに、肉体的にも精神的にも人類の歴史を辿りなおしているのです。赤ん坊は、ちょうど大洋の中で最初の生物が現れたのと同じように、ちっぽけな単細胞として子宮のなかでスタートを切ります。数週間の後、子宮の羊水の中にいて、赤ん坊は魚のような鰓を持ちます。生まれてから1年近くなり、赤ん坊が二本の足でヨチヨチ歩きするときには、人間の祖先が四つん這いから立ちあがった何百万年も昔の時代をほめたたえているのです。

 これらの例は、「反復説」的な時間認識と生命観が、いかに人間の心の深いところまで浸透しているかということを、如実に示してくれていると思います。

 「青森挽歌」における「ヘッケル博士」も、はたしてこのような系列に加えられるような意味を帯びて登場しているのかどうか、ということが問題です。

 エルンスト・ヘッケルが生物学研究者としての経歴を開始したまさにその年、近代科学史上における最も重要な著作の一つが現れました。イギリスのチャールズ・ダーウィンが満を持して発表した、『種の起源』(1859)です。
 これを読んだヘッケルは直ちに熱烈な進化論者となり、ドイツにおけるダーウィニズムの「伝道者」とも言うべき役割を果たしていくことになります。たんに思想的に共鳴するだけでなく、無脊椎動物の形態学に関するヘッケル自身の広汎な業績を骨格として、彼はダーウィン説を自らの血肉としていきました。
 1866年にヘッケルがわずか32歳で発表した著書『一般形態学』は、イギリス生物学界の大御所であるT.H.ハックスリーから、「進化論の帰結の実践ヘッケルによる生物系統樹的な応用であり、19世紀の生物学史における記念碑的著作」との賞賛を受けますが、ダーウィン自身も、ドイツにおける自説の成功の最大の要因は、ヘッケルによる強力なプロパガンダにあったと考えていました。「進化という事実を世間に納得させる上で、ヘッケルはダーウィン以上の影響を及ぼした」と言う人さえあります(ノルデンシェルド『生物学史』1929)。

 上記『一般形態学』において、ヘッケルはかの有名な「生物発生の基本則」、すなわち「個体発生は系統発生を反復する」という「法則」を呈示します。さらに、生物進化における一番最初の段階に、彼が仮説的に「モネラ」と名づけた「核構造を持たない原形質塊」、いわば生物と無生物の境界にあたるような有機体の存在を提唱しました。
 また、皆さんの多くは中学生か高校生の頃に、生物の進化を図示した「系統樹」というものを、ご覧になったことがあるでしょうが、この種のシェーマを初めて描いたのもヘッケルで、その初めての試みは『一般形態学』第二巻に登場しています(上写真)。後にも触れるように、ヘッケルの素人離れした画才は、放散虫類やクラゲの研究書に自ら添えた図版にも遺憾なく発揮されていましたが、上の系統樹の絵におけるリアルな描写も、単なる模式図のレベルを越えて、生命の連鎖というものに圧倒的な存在感を与えています。

 さて、この「個体発生は系統発生を反復する(Die Ontogenese rekapituliert die Phylogenese)」とヒトの個体発生いうテーゼは、現在もヘッケルの名前とともに、多くの人々に記憶されています。これは簡単に言えば、あらゆる生物は誕生の際に、太古からそれまでの進化の歴史を繰り返して身体や組織が形成される、という仮説です。
 例えば人間の受精卵は子宮の中で胎児へと成長していきますが(左図)、ある時期には鰓(えら)ができてまるで魚のような形になり、次いで手足が形成され、最後に尻尾が退縮していくという変化をたどります。その様子は、まるで単細胞生物から多細胞生物へ、そして魚類から両生類・爬虫類的な段階を経て哺乳類に到達するかのように感じられ、まさに生物進化(=系統発生)のプロセスを、ここで短時間のうちに「反復」しているように見えます。様々な生物で、そのような実例は枚挙にいとまがありませんし、何よりも、一つ一つの「いのち」が、それぞれ何億年という悠久の生命の歴史をたどりなおしているのだという考えには、言葉では言い表せないようなロマンが漂っています。

 この「個体発生が系統発生を反復する」という説(反復説)そのものは、何もヘッケルのオリジナルではなくて、このような考えの萌芽はアリストテレスにまでさかのぼり、その後もいろいろな学者によって示唆されていました。しかし、当時の生物学界の最高権威と見なされていたヘッケルが、これを進化論という新たな装いのもとに、洗練された形で強烈に主張したことの波及効果は、非常に大きなものでした。
 例えば、精神分析学を創始したフロイトも、ヘッケルの反復説に強い影響を受け、人間の精神的な側面の成長も、生物の系統発生的な段階と並行した経過をたどるという理論を構築していきます。また、イタリアのロンブローゾが創始した「犯罪人類学」においては、「生来の犯罪者」は、「進化的に劣った類人猿的な形態的な印を帯びている」と考えられたり、あるいは教育学に応用されたり、はたまた人種差別主義の論拠とされたり、この「法則」はヘッケルの手を離れたところで、様々な波紋を生んでいきました。

 学者として功成り名遂げたヘッケルは、このような生物学分野における研究にとどまらず、さらに哲学の領域へも活動を広げていきます。『人類創造史』(1874)、『宇宙の謎』(1899)、『生命の不可思議』(1904)などの著作において、彼は既成の権威や宗教に対する厳しい批判論者として筆をふるい、科学の進歩の名のもとに、自由主義的な論陣を張りました。また、物質と観念を統一的にとらえる彼独特の「一元論」を唱え、例えば次のような論調でキリスト教をも攻撃します。

 この魂の闘いにおいて、一方には、精神的自由と真実、条理と文化、進化と進歩が、科学の鮮やかな旗の下にある。また一方には、精神的隷属と偽り、不条理と野蛮、迷信と退行が階層性の黒き旗の下にある。・・・進化は真実を求める闘争における重砲である。あらゆる部類の二元論的な詭弁は、この一元論の大砲の速射の下に崩壊し、不謬の教義の強力な砦であるローマカトリック教の位階制の尊大で強大な構造は、トランプの家のように崩れ落ちる。(『人類創造史』)

 ヘッケルの「一元論」とは、いわばそれまでの観念論と唯物論を折衷したようなもので、「存在」とはある面から見れば「物質」として物理的な延長を持ち、また別の面から見れば「精神」として知覚活動を行っている、とでも要約できるものです。彼自身の言葉で語ってもらうと、「一元論では、唯物論のいう精神をもたない物質は存在しないし、唯心論が認める物質なき精神も存在しない。認めるのはただ一つであり、その二つは同じものなのである」(『一般形態学』)、という感じです。
 このような基礎の上に、自然科学の成果を機械論的・還元論的に積み上げたものが、ヘッケルの構想する学問体系でした。そこでは、心理学は生理学の一分野となり、経済学・政治学・倫理学は、すべて「応用生物学」と見なされます。カントからヘーゲルに至るドイツ哲学の伝統からすると、何と変わり果てた姿かとため息が出ますが、しかし彼の「一元論」は当時一世を風靡し、1906年には自ら「ドイツ一元論者同盟」なる組織も創設して、社会的発言を拡大していきました。二代目会長になったノーベル賞化学者オストワルドをはじめ、この会には様々な著名人が所属し、社会的にかなりの影響力を持っていきます。
 ヘッケルのベスト・セラーである『宇宙の謎』は、1年目で10万部を売り、1919年までに10版を重ね、25の言語に翻訳され、1933年までにドイツ国内だけで50万部が売れるという人気を博し、出版史において最もめざましい成功を収めた本の一つに数えられました。当時のヘッケルの信奉者は、「彼の名は、何世紀にもわたって光を放ち続ける、輝ける象徴となるであろう。その間に世代は代わり、新たな逸材が世に現れ、国家は凋落し、王権は倒れることだろうが、かのイェナの賢き老天才の名は、何より長らえるだろう」とまで書いています。

 1919年、このような栄光のうちにヘッケルは、終生愛したイェナの地で85歳の生涯を閉じました。この年は、奇しくもアドルフ・ヒットラーが「国家社会主義ドイツ労働者党」に入党した年でもありました。そしてヘッケル亡き後の「ドイツ一元論者同盟」はしだいに人種的純血主義に傾き、ヒットラーに対する積極的な支持を鮮明にしていきます。
 これはヘッケルの死後のことだったとは言え、実はすでにヘッケル自身の著作にも、進化論の濫用とも言うべき人種差別的な見解が含まれていました。機械論と神秘主義が奇妙に同居したような彼の思想には、容易にナチスのイデオロギーの一部として利用される側面もあったのです。

 引き続き時代が変わっていくと、本来の生物学の分野でも、彼の権威は地に墜ちて行きます。「個体発生は系統発生を反復する」という命題を、ヘッケルは確かに多くの著作の中で繰り返し強調していますが、その論を冷静に読むと、この命題を論理的に説明するような科学的根拠は、結局何も挙げられていないのでした。「系統発生は、・・・生理学的な過程であり、生物が有するすべての生理学的な機能同様、機械的な原因により、絶対的な必然性をもって決定されるのである」というような言葉が、「内容の深まりもないまま、繰り返しによって同意を求める執拗さと熱意を持って」(S.J.グールド)何度も書かれているだけなのです。
 また、『自然創造史』の挿絵においては、ヒトとイヌの胎児の類似性を強調するために、ヘッケルが意図的に形を歪めて描いていたという疑惑が取り沙汰されたり、かつての名声が高かっただけに、その凋落ぶりも極端でした。

 生物学史として見ると、実験発生学の発展によってすでに20世紀前半から「反復説」の立場は危うくなっていましたが、その後さらに分子生物学がDNAレベルで個体発生のメカニズムを明らかにするに及び、この説はまさに「前世紀の遺物」というような位置に格下げされていきます。「お話」としては魅力的かもしれないが、とても「科学」と呼べる代物ではない、というのです。
 このような調子で、20世紀後半の生物学の潮流は、ヘッケルというこの往年の大学者に対して、ことさら冷淡な態度をとり続けていきます。ナチス・ドイツへの思想的親和性というイメージが、そのような扱いをさらに増幅していたのかもしれません。

 しかし、やっぱり「歴史はめぐる」ということはあるようです。古生物学者S.J.グールドは『個体発生と系統発生』という著作を準備している際の経験として、彼独特のユーモアもまじえ、その大著の冒頭で次のようなことを書いています。

 また私としても、こんなにも世にあまねく行きわたっているヘッケル説への非難という「壁」に、これほどの努力を傾けてまで、あえて挑戦するほど勇ましい科学者ではない。ところが私がちょっと探り針を入れてみると、すぐさま壁の中の亀裂が浮かび上がってきた。それについて私は20回以上も、次のようなきわめて奇妙な体験を味わった。
 私が研究者仲間に個体発生と系統発生の並行性に関する本を書いているんだと話すと、相手は私をわきへ連れていって誰も見ていないことを確かめ、盗聴器の有無までチェックしかねないようすで、ことさらに声を低めて告白するのだ。「ここだけの話にしときたいのだがね、それについては確かに何かがあると私も思っているんだよ。」

 実際、1990年代以降には、「進化発生生物学」という新たな分野が開拓され、ここではヘッケルが取り組んだと同じテーマに対し、最新の方法論を駆使したアプローチが始まっているということです。
 いったんはタブーのように封印されていた領域に、またもう一度正統的な研究の照準が合わせられているのです・・・。


 以上、当初の予定よりはかなり長々しくなってしまいましたが、エルンスト・ヘッケルという生物学者の業績について、私なりに概観してみました。その生涯における厖大な仕事を大きく分けると、(1) 無脊椎動物の解剖学・形態学に関する基礎的研究、(2) 進化論や「反復説」を中心とした理論生物学的領域における学説の提唱、(3) 「一元論」に集大成される哲学的論考の展開、という3つにまとめてみることができるでしょう。
 できれば近いうちに、宮澤賢治が《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》と書いたのは、このようなヘッケルの学説のどの部分を念頭に置いていたのかということについて、考えてみたいと思います。

 あと最後に、ヘッケルというかくも多面的な人物のもう一つ別の側面について、ここで少しだけご紹介しておきます。

 それは、先にも少し触れたことですが、ことあるごとにヘッケルが示していたその素晴らしい美術的才能です。この右上の方に5つほど挿入した黒地の美しい画像は、いずれもヘッケルがスケッチした放散虫類で、著書において挿絵として用いられたものです。その出典はこちらのサイトで、もっとたくさんの画像を、より高解像度で見ることができます。また、こちらのサイトからは、『自然の芸術的形態』という彼の著書に収められている100もの図版を見ることができます。
 学問的・思想的評価が大きく揺れ動こうとも、ヘッケルの仕事のこの側面は、これまで変わらずに静かな光彩を放ってきましたし、これからもそうあり続けるでしょう。

 下の絵は、ヘッケルが発見し名づけた Desmonema Annasethe というクラゲを、彼自身が描いたものです。学名は、その数年前に亡くなったヘッケルの最初の妻 Anna Sethe にちなんで命名されたものですが、彼によれば、流れるような無数の触手が、アンナの美しいブロンドの髪を思い出させるのだそうです。それにしてもここに見られる装飾的な様式は、アール・ヌーヴォーの絵画、例えばオーブリー・ビアズリーが描く女性の髪をも連想させるものですね。
 賢治の「挽歌」の中で呼びかけられた博士が、ここでやはり愛する者を悼む思いを、自らの筆に託していたというわけです。

Desmonema Annasethe

[参考文献]
S.J.グールド:個体発生と系統発生.工作舎,1987
倉谷 滋:個体発生は進化をくりかえすのか.岩波書店,2005
Encyclopaedia Britannica 11th ed., 1910-1911

Ernst Haeckel (1834-1919) 「青森挽歌」において、《ヘツケル博士!/わたくしがそのありがたい証明の/任にあたつてもよろしうございます》という言葉で登場する「ヘッケル博士」なる人物が、ドイツの生物学者 Ernst Heinrich Häckel (1834-1919:右写真)のことだということは、賢治研究者のあいだでも異論はないようです。

 エルンスト・ハインリヒ・ヘッケルは、政府の法律家の息子として1834年にポツダムで生まれました。ヴュルツブルク、ベルリン、ウィーンで医学を修め、1858年に医師の資格を取って、父親の意向もありベルリンで開業しました。
 しかし彼の本来の関心は、臨床医学にはなかったようです。まもなく彼は、医者をやめてイェナ大学に行き、当時の偉大な解剖学者であるカール・ゲーゲンバウアーのもとで動物学を学びました。早くも1862年に、ヘッケルは同大学の比較解剖学の教授に、1865年には動物学研究所の所長に就任しています。

 生物学研究者としてのヘッケルの活動は、まず無脊椎動物の解剖学からスタートしました。とりわけ、放散虫類、石灰海綿類、クラゲに関する詳細な形態学的研究は他の学者の追随を許さないもので、例えば放散虫に関して1887年に彼が刊行したモノグラフは、彼自身が描いた140もの図版を載せ、何と4000種もの新種を収録したものでした。

 1860年代から1880年代までに発表された解剖学におけるこれらの業績は、それだけでも卓越した学者の一生分の仕事と言えるものでしたが、彼はさらに「理論生物学」的分野においても、活発な著述活動を行っていきます。[つづく]