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花巻でうたう賢治の歌

 「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」から、無事帰ってきました。独唱、合唱、クラシック系からバンド系まで、さまざまな「賢治の歌」が集まり、あっという間の楽しい4時間でした。
 下写真は、「コーラスライオット風」による、「敗れし少年の歌へる」「絆 三部作」。

「コーラスライオット風」による「敗れし少年の歌へる」

12月2日の京都と9月2日の花巻

 いま準備をしている「第4回イーハトーブ・プロジェクトin京都」のチラシが、刷り上がってきました。今回は12月2日(日)に、賢治の歌曲のコンサートをするのですが、来週にはチケットもできてくるので、正式にご案内ができると思います。
 あと少しお待ち下さい。

「第4回イーハトーブ・プロジェクトin京都」チラシ

 それからこんどの日曜、9月2日に花巻で開かれる「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」というイベントに出演するというお話は、先日ここにも書かせていただきましたが、その紹介記事が新聞に載っていました。

 しかし、知らないうちに名前だけでなく年齢まで公開とは・・・(^^;)

 ところで、記事の中にも出てくる合唱団「コーラス・ライオット風」は、北三陸の野田村、普代村、田野畑村の3村の主婦で作るコーラスグループです。団体名の「ライオット(riot)」とは、英語で一揆・叛乱のことで、幕末にこの三陸地方で「三閉伊一揆」という大規模な一揆が起こったことからとっています。この一揆には、農民だけでなく様々な職業の人が参加し、とくに女性も多く、互いに助け合い、組織された行動をとったということです。これを合唱団の名前に冠するとは、このような郷土の歴史に対する誇りがあってこそ、ですね。
 折りしもロシアでは、「プッシー・ライオット」という名前のフェミニスト・パンク・ロック集団が、教会でプーチン大統領を批判する曲を歌ったために逮捕・拘束されていますが、彼女たちに勝るとも劣らぬ、元気な三陸のライオット・ガールズです。
 あと3日!

 今回の岩手行きの主な目的の一つは、普代村で合唱の練習をしてくるということでした。
 この9月2日(日)に、花巻市で「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」というイベントが開かれます。各地から、いろいろな個人や団体が出演して歌声を競うのですが、この大会に、三陸の普代村・野田村・田野畑村の合同の合唱団「コーラスライオット風」が出るにあたり、何と私が指揮をすることになったのです。
 下の写真は8月13日の岩手日報朝刊ですが、二段目に紹介されている「コーラスライオット風」が、それです。

岩手日報8/13朝刊 

◇          ◇

 普代村の合唱団と私のご縁は、7年前にさかのぼります。2004年10月に、普代村に「敗れし少年の歌へる」詩碑が建立されたことを受けて、詩碑オタクの私は、2005年1月に普代村を訪ねました。碑を見学したり、ちょうど80年前に賢治が泊まったと言われる旅館に宿泊し、賢治が歩いた道をたどったりしたのですが、この時に、花巻の阿部弥之さんのご紹介で、森田眞奈子さんをはじめ合唱団「コーラスライオット風」のメンバーの方々に、初めてお会いしたのです。
 皆でいろいろと賢治についてお話をしていたのですが、たまたま数年前に私の大学の後輩にあたるオーケストラが、普代村でホームステイをさせていただき合唱団とジョイントコンサートを開催したという奇遇も明らかになって、遅くまで話題は尽きませんでした。そのうちになぜかその場で、普代村に「敗れし少年の歌へる」の碑もできたことだから、これを記念してこの詩に曲を付けてくれないかという話が私に持ちかけられ、それで思いもかけず生まれたのが、当サイトでも公開している女声二部合唱曲「敗れし少年の歌へる」でした。
 この曲は、2005年10月に「コーラスライオット風」の定期演奏会において、当時の岩手県知事も来場されている中で初演されました(「普代村へ(2)」参照)。

「コーラスライオット風」第17回定期演奏会
2005年10月8日

 その後も、北三陸の「コーラスライオット風」は、「敗れし少年の歌へる」をレパートリーの一つとして、地元で歌い継いで下さっていたということですが、そこにまたこの2年というもの、合唱団の活動に大きな山がやってきます。

◇          ◇

坂本博士さんと森田眞奈子さん(1967) 合唱団の代表を長年務められた森田さんは1967年に、普代村を訪れたバリトン歌手・作曲家・音楽教育家である坂本博士さんに出会われました(右写真は森田さんと坂本さん)。
 当時はNHKテレビにも頻繁に出演する有名歌手だった坂本さんは、昭和三陸大津波を題材としたミュージカルを作曲するにあたり、取材のためにスタッフとともに三陸地方を旅していたのです。森田さんの家族が当時経営していた旅館に宿泊していたので、音楽が大好きだった森田さんは、坂本さんと親しく語らう時間を持てたのだそうです。
 翌年に、ミュージカル「海から黒い蝶がくる」が完成した際には、森田さんたちも東京に招待されて、聴きに行ったのだそうです。

 それから43年がたちました。2010年に普代村の小学校が統合されるにあたって、記念コンサートの開催が検討されていましたが、森田さんの働きかけもあり、そこに坂本博士さんを招待することになったのです。
 森田さんと坂本さんは、43年ぶりに普代村で再会しました。

再訪感謝

  2010年6月に開かれた「小学校統合記念ふれあいコンサート」では、坂本さんはミュージカル「海から黒い蝶がくる」の名場面を歌い、43年前に取材した津波の恐ろしさについても語られたということです。後半では、小中学生、村の人々も一緒になって、会場全体が歌声で包まれました(「普代村教育長だより」参照)。

 ところが、それから1年もたたないうちに、東日本大震災が起こったのです。三陸地方は、津波による甚大な被害を受けました。東京在住の坂本氏は、普代村の人々の声を録音したテープによって村の状況を知ったということですが、前年に村で津波の話をしていた時には、こんなことになるとは夢にも思わず、言葉を失ったそうです。
 坂本さんは、「自分にできることは、音楽で皆を支えたり励ましたりすること」と考え、2011年4月から5月にかけて、「絆」「希望の道」「ふるさとにおくる愛の歌」という3曲の合唱曲(絆三部作)を作曲し、7月に神奈川県でチャリティコンサートを開催しました(「タウンニュース」参照)。

 そして2011年12月、坂本さんは3度目となる普代村訪問を果たします。そしてその指揮のもとに、普代小学校や普代中学校や「コーラスライオット風」のメンバーは、「絆三部作」を歌ったのです(岩手日報「復興ソング 浜に勇気」参照)。

◇          ◇

 このような普代村における活動に、「賢治の里 花巻でうたう賢治の歌 全国大会2012」実行委員会代表の照井潔子さんも注目しました。そして、その勧めもあって「コーラスライオット風」は、今回の大会で「絆三部作」を歌うことになりました。ただしこの大会は、「賢治作品を1曲と自由曲」を歌うことが条件とされているされているため、自由曲としての坂本博士氏の「絆三部作」に加え、私の「敗れし少年の歌へる」が演目に加えられたというわけです。
 私は、この5月に津波後の三陸地方の賢治詩碑を見るために普代村に行っていたのですが、そこで7年ぶりに再会した合唱団の皆さんと食事をしている時に、またなぜか「こんどの9月に指揮をしてくれませんか」という話を持ちかけられました。カレンダーを見ると本番は日曜日だったので、私は調子に乗って思わずOKをしてしまいました。
 本当に私でいいのか?というのが正直言って心配なのですが、個人的には三陸も花巻も大好きなものですから、少しでもお役に立てるなら私にできることはやってみよう、というのが今の心境です。

 そんなわけで、去る8月15日の午後、主婦の皆さんにとっては一番あわただしいお盆の最中に、「コーラスライオット風」のメンバーとピアノ伴奏の方に集まっていただき、3時間ほどの練習を行いました。
 暑い中、汗をかきながらみんなの心は、かなり一つになった感じです。

 あとは、9月2日の本番を、乞うご期待、というところ・・・。

「敗れし少年の歌へる」楽譜

普代村へ(2)

 羽田空港から搭乗するのは、朝7時50分発の青森県三沢空港行きの便です。6時に起きて、急いで仕度をして、6時半にホテルを出れば間に合うはず・・・だったのですが、出発ロビーに行ってみると、連休初日とあってあたりはものすごい混雑です。すべての自動チェックイン機や手荷物検査窓口に、長蛇の列ができています。
 まだ列の中にいるうちに、「7時50分の便の方はおられませんか」と呼び出され、別の窓口で手続きをしてもらうと、入場検査のあと搭乗口まではかなりの距離を走り、どうにか間に合いました。

 ところが、こんどは飛行機が定時になっても離陸しないのです。「搭乗可能人数よりも予約人数が多い(?!)」ためだそうで、「次の12時55分の便へ変更していただいた方には、現金1万円かマイレージ7,500を進呈いたします」と機内では何度もアナウンスが流れますが、時間はどんどん経っていきます。
 具体的にどうなったのかはわかりませんが、けっきょく離陸予定時刻から30分も過ぎた頃、「予約された方全員がお乗りになりました」とアナウンスがあり、飛行機が動き始めたのは40分遅れでした。
 この時点で、三沢空港から乗り継ぐ予定にしていたJR八戸線の列車には、間に合わないことがはっきりしてしまいました。

 機内では、今日のコンサートには大幅に遅刻してしまうことも覚悟していましたが、無事に着陸もしてくれましたので、まだ一応あきらめずにチャレンジはしてみることにしました。三沢空港からタクシーに乗り、途中で当初の計画に追いつくことができないか、行けるところまで行ってみます。
 国道45号線を走り、タクシーが八戸に着いたのも、やはり乗り継ぐ予定の列車が発車した後でした。しかし、差はかなり縮まっています。そしてその後の運転手さんのおかげもあって、なんとか久慈駅に12時前に着くことができ、ここを12時14分発という三陸鉄道の予定列車に、どうにか乗り込むことができたのです。
 これで当初の計画どおり、私たちは12時55分に普代駅に降り立つことができました。

 1月に来た時には二戸から久慈までバスに乗りましたが、今回八戸から海岸沿いに南下してきたところは、80年前の賢治のルートと共通です。賢治は花巻を夜に発ち、八戸線で種市に朝6時5分に到着すると、ここから徒歩で下安家まで南下したとも言われていますが、木村東吉氏は、当時八戸から久慈まで運行していた「乗合自動車」に、途中から便乗した可能性も指摘しています(『宮澤賢治≪春と修羅 第二集≫研究』)。当時の乗合自動車の八戸から久慈までの所要時間は3時間30分だったということですが、今日のタクシーでは約1時間でした。

自然休養村管理センター入口 コンサート会場の「自然休養村管理センター」に着くと、1月の詩碑見学の際にお世話になった金子功さんが声をかけて下さいました。館内では合唱団がまだ最後のリハーサル中でしたが、代表の森田さんや事務局の金子さんも出てこられてご挨拶をかわし、こちらは三脚を立ててビデオカメラや録音のセッティングです。
 2時を少しまわった頃、増田岩手県知事夫妻も到着されて、コンサートが開演しました。

 今日、第17回の定期演奏会を迎える「コーラスライオット風」は、北三陸の3つの村にある、「コール・わさらび」(野田村)、「てぼかい合唱団」(普代村)、「しゃくなげ合唱団」(田野畑村)という3つの地元合唱団が、ことあるごとに合体して結成する合唱集団です。「ライオット(riot)」とは、英語で「一揆」のことで、江戸時代末期にこの地を中心に起こされた「三閉伊一揆」にちなんでいます。(三閉伊一揆については、田野畑村の公式サイトに絵入りの解説ページが、「歴史と人」というサイトに社会背景に注目した分析があります。)
 「コーラスライオット」=「合唱一揆」とは不思議な名前ですが、きっとこの命名には、「日本近世史上で唯一、勝利の証文を勝ち取った」と言われる三閉伊一揆に表れた民衆の力への深い共感、あるいは地方の文化に新たな「風」を吹き込みたいという団員の熱意が込められているのだろうと思います。私がお会いした合唱団のメンバーは、みんな「田舎の合唱団です」と謙遜しながらも、活動にかける思いの強さに関しては感動的でした。

 コンサートの構成は、まず「ステージ I 」で「コーラスライオット風」が秋にちなんだ3曲、それから「ステージ II 」では、盛岡から賛助出演の混声合唱団「北声会」による黒人霊歌、そして「ステージ III 」でふたたび「コーラスライオット風」による童謡3曲と「敗れし少年の歌へる」の披露、最後にエンディングで「コーラスライオット風」と「北声会」の合同合唱、というものです。
 会場は3つの村から詰めかけた人々で満員で、歌の合間には村長さんや知事の挨拶も入ります。知事のお言葉によると、この普代あたりの地区は、広い岩手県の中でも、盛岡からやって来るのにおそらく最も長時間を要する場所だということで、その昔「陸の孤島」と呼ばれたことも、あながち比喩ではありません。しかし、知事が公務の合間を縫って夫妻でコンサートに顔を出し、地元の人々と気軽におしゃべりをしている姿には、都会にはないような人々のつながりを感じました。

 さて、「敗れし少年の歌へる」のコーナーでは、金子さんから詩碑建立1周年にあたってのご挨拶の後、私にまで挨拶のマイクがまわってきました。今年の1月に普代にやってきた時の、金子さんや森田さんとの予想もしない「出会い」について、話をさせていただきました。
 私のような音楽の素人が、賢治の詩に曲を付けるなど誠に分不相応でおそれ多いことですが、賢治自身も音楽の才能や技術はともかく、自ら一人のアマチュア音楽家として歌曲を作ったりして楽しんでいたこと、落ちこぼれ音楽家のゴーシュが、やはり不思議な「出会い」を通して最後は音楽的達成をなしとげることなど、ちょっと弁解じみた話も付け加えました。

 挨拶が終わると、団員による詩の朗読に続いてピアノの前奏が始まり、ついに「敗れし少年の歌へる」が歌われました。その時になったらどんな気持ちがするだろうと、これまであれこれと考えていましたが、ゆったりとしたテンポで、しっかりと感情をこめて、合唱団の皆さんは歌って下さいました。
 終わったら拍手の中で、お辞儀をする指揮者や団員の方々とともに、私も立ってお辞儀をしていました。

コーラスライオット風