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発表のスライド

 以前に「1921年と1931年」という記事において、その1枚目のスライドをご紹介した発表を、昨日してきました。
 とくに賢治に関心を持った人の集まりではないので、準備しながら心配でしたが、暖かく真面目に聞いていただけたのでほっとしました。

 賢治の作品からの引用スライドもいろいろ出したのですが、下はその発表の最後のスライド4枚です。

自他の未分→「心象スケッチ」

『宗教的経験の諸相』(W.James)

神秘体験のファントム仮説(安永)

「心象」の体験線モデル

 これだけでなんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、要は、賢治の特異な体験を「解離」という機制によってとらえようとする柴山雅俊氏の説は、作品における記述にも非常にあてはまると思われ、またこのような特性は、賢治が「心象」という言葉によって自他未分の形で自らの体験を記述しようとしたことにも通底しているのではないかということが、言いたかったのです。

 「自他(主客)未分」という観点は、賢治だけでなく当時の海外や日本(西田幾多郎など)の思想にも共通したものがあったのだろうというご指摘などもいただき、私にとって非常に参考になりました。
 賢治の世界観が形成される背景には、仏教やウィリアム・ジェイムズにとどまらず、もっと他にも源流があったのではないかということは、私もかねてから感じていたところです。今後も微力ながら考えてみたいと思っています。

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「心象」の体験線モデル
『解離性障害』
「写生」と「心象スケッチ」

William James (1842-1910) ウィリアム・ジェイムズ(William James, 1842-1910)は、アメリカの心理学者・哲学者です。心理学の分野では、「意識の流れ」という概念の提唱や、「情動に関するジェームズ=ランゲ説」に現在も名を残し、哲学においては「プラグマティズム」の代表的論客の一人でした。

 20世紀初頭には名声の高かったジェイムズの著書を宮澤賢治も読んでいて、かなりの影響を受けていたことが知られています。
 賢治の作品そのものの中にも「ジェームス」の名前が出てきたり、このブログにおいても「William James の名前いろいろ」や「井戸に落ちる話」の中で両者の関連に触れたり、「〔黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり〕」という作品への影響については昨年に発表してみたりして、いろいろと賢治とのつながりは感じているところなのですが、先日、ジェイムズの「多元的宇宙(A Pluralistic Universe,1909)」という最晩年の講演録を読んでいると、次のような一節がありました。

 ・・・たしかに、われわれを包むもっと高位の意識、つまりフェヒナーのいう地球の魂などの概念が、オーソドックスなものとなり流行するようになれば、ありとあらゆる迷信や狂信がはびこり出すに違いありません。フレデリック・マイヤーズは、いわゆる心霊現象を科学的に承認すべきだと熱心に主張しており、私自身もこういう現象のほとんどが実在に根づいていると確信していますが、科学がそれらを認めようものなら、迷信や狂信はさらにあふれかえることでしょう。
 けれども、そんな臆病な考えから、最大の宗教的な可能性を明らかにもたらしてくれる道をたどることを、本気で思いとどまるべきでしょうか? この複雑な世界において、何かよいものが、独立した純粋な形で与えられたことが今までにあったでしょうか?(中略)砂金は、石英の砂からふるい出されます。この条件は、他のすばらしいものを手に入れる場合と同様、宗教にもあてはまります。
 ふるいにかけること、つまり生存競争が必要なのです。しかし、最初は土も宝石も混ざり合っているはずです。それをいったんふるいにかけると、宝石だけを取り出して、検査し、概念化し、定義し、分離することができます。けれども、このふるいの過程を避けるわけにはいきません。そんなことをすれば、すでに述べたように、薄っぺらで劣った抽象物、つまり、スコラ神学の、中身のない非実在的な神か、理解できない汎神論的な怪物を得るはめになります。一方、経験的な方法を用いれば、人は想像のなかで、もっと生き生きとした神的な実在と結びつくようになるはずです。
        (日本教文社『ウィリアム・ジェイムズ入門』,本田理恵訳より)

 前半の部分からは、ジェイムズが、当時の「心霊現象」というものについてどのように考えていたかがわかります。「心霊現象のほとんどが実在に根づいている」という考えは、様々な超自然的体験をしたり、「異空間の実在」を信じていた賢治にも、共通するところがあります。
 後半では、宗教というものについて、「石英の砂から砂金をふるい出すように」、価値のあるものとないものを「分ける」ことが重要であると説いています。
 これを読んでいると、『銀河鉄道の夜(初期形 三)』において、ブルカニロ博士がジョバンニに語ってきかせたことを、連想してしまいました。

 ブルカニロ博士がジョバンニに対して、「しづかな場所で遠くから私の考を人に伝へる実験」を行ったという設定も、一種の心霊現象の科学的実験だったわけですが、この時に博士はジョバンニに、宗教に関して次のように言ったのです。

 みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる。

 賢治がジェイムズの「多元的宇宙」を読んでいたかどうかはわかりませんが、多種多様な宗教的思想を、「検査し、分離する」などと考えるところは、よく似た発想をするなあと思いました。
 ちなみに夏目漱石も、ウィリアム・ジェイムズの影響を受けた人として知られていますが、生前の漱石の蔵書の中には、‘A Pluralistic Universe’もあったそうです。

「或る心理学的な仕事」

 また昨日に続き、『宗教的経験の諸相』の話です。

 賢治が1925年2月に森佐一あてに出した手紙(書簡200)に、次のような一節があります。

・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。・・・

 これは、賢治が自らの「心象スケッチ」についてどう考えていたかということを示す、貴重なコメントです。通常なら「口語詩」として分類されるはずのテキストについて、作者は「詩ではありません」と主張しますが、それならその目的であると彼の言う「或る心理学的な仕事」とは、いったい何なのでしょうか。
 また、岩波茂雄あての手紙(書簡214a)では、「わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました・・・」と述べていますが、この「あとで勉強」というのも、上で言う「或る心理学的な仕事」に対応しているに違いありません。
 賢治は、「心象スケッチ」という未曾有の作業を通して、はたしてどんな「仕事」を企画しようとしていたのでしょうか。

 じつは私は最近、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』という本を読んで、その「心理学的な仕事」とは、まさに賢治がこの著作をモデルにして構想したものだったのではないかと思うようになりました。

 ジェイムズはこの自著について、「私は『宗教的経験の諸相』を、ある意味で、病的心理学 morbid psychology の研究だと見なしている」と述べています。
 これは、古今東西の有名・無名の陳述者が書き残した様々な宗教的な異常体験を克明に収集・記載し、それをもとに、人間にとって「宗教的経験」とははたして何であるかということを、分析し帰納しようとしたものです。集められた体験の大半は、今日の医学から見れば幻覚や妄想と分類されてしまうものですが、もちろんそれらが事実として人々に体験されたものであったことは、言うまでもありません。それを検討する著者の姿勢も、まさに「科学的」たろうとするものです。

 賢治は、おそらく上野の帝国図書館の閲覧室でジェイムズの『宗教的経験の種々』を繙いて、そこには自らも昔からしばしば経験するような不思議な「異空間」の出来事が、あたかも片山正夫著『化学本論』におけるように、客観的に記載されているのに驚いたのではないでしょうか。そして、自分も同じようにおのれの一風変わった「心象」を「科学的に記載」しておくことによって、異空間の存在の根拠づけに寄与できるかもしれない、彼はそう考えたのではないでしょうか。
 そしてそこから生まれたのが、自分の「意識の流れ」を、その深さによってさまざまな「字下げ」も駆使して記述する、彼独特の「心象スケッチ」だったのではないかと思います。

 『宗教的経験の諸相』の最後で、ジェイムズは結論として次のように述べています。
一.目に見える世界は、より霊的な宇宙の部分であって、この宇宙から世界はその主要な意義を得る。
二.このより高い宇宙との合一あるいは調和的関係が、私たちの真の目的である。
   (後略)

 この結論は、賢治にとっては自らの世界観・宗教観と、どこか通ずるものがあったのではないでしょうか。
 「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」あるいは「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」など、『農民芸術概論綱要』の一節の雰囲気も、ここからは立ちのぼってくるではありませんか。

井戸に落ちる話

 ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』(先頃触れた 『宗教的経験の種々』の岩波文庫版)を読んでいると、トルストイの『わが懺悔』の一節として、次のような文章が引用されていました。

 東洋には、旅人が荒野で猛獣におびやかされる、という大へん古い寓話がある。
 旅人は、猛獣から逃れようとあせって、水のない井戸に飛びこんでしまう。しかし、彼は、その井戸の底に、一匹の竜が口を開いて自分をむさぼり食おうと待ちかまえているのを見る。
 そこで、その不幸な男は、猛獣の餌食にならないようにあえて井戸から出ることもならず、 竜に食べられないようにあえて底へ飛び降りることもならず、井戸の割れ目の一つから生えている野生の灌木の枝にすがりついた。手が疲れてきた、彼はやがてある運命に屈しなければならぬことを感じた。しかし、それでもなお彼はすがりついていた、すると、白い鼠と黒い鼠との二匹の鼠が、彼のぶら下がっている灌木のまわりをむらなくまわりながら、その根を噛み切っているのを見た。
 旅人はそれを見て、自分がどうしても死なねばならぬことを知った。しかし、そうやってぶら下がっているいる間に、彼は自分のまわりを見まわして、灌木の葉の上に、数滴の蜜のあるのを発見する。彼は舌を伸ばして、それをなめてうっとりするのである。

 この「東洋の古い寓話」とは、ネットで調べてみると、『法句譬喩経』の中の「黒白二鼠」 という喩え話だったのですね。

 そしてこの話は言うまでもなく、「銀河鉄道の夜」において女の子が語る、「蠍の火」の逸話に関連しています。途中からの展開とその寓意はまったく異なってきますが、「荒野(バルドラの野原)で猛獣(いたち)に追われて井戸に落ち、そこで自らの死を悟る」という導入は、同型です。
 もちろんすでに誰かが指摘していることとは思いますが、この印象的な蠍のエピソードは、賢治が上記の寓話を下敷きにして、食物連鎖・自己犠牲という得意のテーマを結晶化したものなのでしょう。
 一瞬、賢治はジェイムズあるいはトルストイの本から着想を得たのだろうかとか思いましたが、仏教に博識な彼のことですから、もちろん直接『法句譬喩経』からでしょうね。

William James の名前いろいろ

 「春と修羅 第二集」所収の「林学生」という作品に、‘ジェームス’ という人名が出てきます。「赤い歪形」 と題されたその下書稿(一)の方がわかりやすいので、そこから引用すると、

  (先生 先生 山の上から あれ)
  (お月さんだ まるっきり潰れて変たに赤くて)
(それはひとつの信仰だとさジェームスによれば)

という箇所です。
 これは賢治が、岩手山かどこかへ農学校の生徒を引率してやってきて、赤く変形した月が昇るのを生徒と一緒に見ているところと思われます。

 この‘ジェームス’とは、アメリカの哲学者・心理学者であるウィリアム・ジェイムズ(William James, 1842-1910) のことですが、赤い月が「ひとつの信仰だ」とは、いったい James のどのような学説と関係があるのか、 よくわかりません。あるいは、「それはひとつの信仰」の「それ」とは、月のことではなくて、何か別の事柄を指しているのでしょうか。

 ここでちょっと、賢治による James の名前表記に注目してみます。正しくは‘ジェイム’ と濁音(有声音)で発音される所を、賢治は ‘ジェーム’と清音で記しているのが、 ちょっと特徴的です。そしてこの表記は、下書稿(二)や(三)になっても、同じままです。
 そこで、彼の名前は当時の日本でどう呼ばれるのが一般的だったのか、調べてみました。下書稿(一)が書かれた1924年までに、 日本で刊行された William James の翻訳書を、国会図書館の蔵書目録から検索して表にすると、以下のようになります。これは、 賢治の頃には、彼が何度も通った上野の帝国図書館に所蔵されていたと思われる書籍でもあります。

訳書名
訳書出版年
著者名表記

 教授的心理学

1901

 ウィリヤム・ゼームス

 心理学精義

1906  

 ウィリアム・ゼームス

 教育心理学講義

1908  

 ウィリアム・ゼームス

 実際主義

1910  

 ウヰリアム・ゼームス

 宗教的経験の種々

1914  

 ジエームス

 自我と意識

1917  

 ヰリアム・ヂエイムス

 最新心理学概論

1918  

 ウイリアム・ゼイムス

 信仰の哲学

1919  

 ゼームス

 人生の哲学

1921  

 ヰリアム・ジエームズ

 宗教経験の諸相

1922  

 ジエームズ

 根本経験論

1924  

 ウイリアム・ヂエイムズ

 心理学

1927  

 ヰリアム・ジエームス

 実用主義の哲学

1930  

 ジェームズ

 

 これを見ると、当時は現在よりもはるかに、外国人の名前表記はバラバラだったという感じがします。そして、 この作品が書かれた1924年までに出版された訳書の中で、賢治の‘ジェームス’という表記とほぼ同じなのは、1914年刊行の 「宗教的経験の種々」(ジエームス)だけです。これ以外にもたくさん訳書は出ていますが、ご覧いただければわかるように、他は‘ゼームス’ ‘ヂエイムス’ ‘ゼイムス’‘ジエームズ’など、どれも何かしら異なっています。
 つまり、「赤い歪形」~「林学生」という作品を書くにあたって、賢治が下敷きにした William James の翻訳書は、この 「宗教的経験の種々」である可能性が高いのではないかと私は思うのです。

 この翻訳書を開いてみると、その第三講「見えざる實在」という章の冒頭には、次のように書かれています。

 宗教生活を出來るだけ最も廣い最も一般的な言葉で特示するやう請はれると、 宗教生活は見えざる秩序がありその見えざる秩序に我等自身を調和する様整へる所に我等の此上もない善があるといふ信仰から成立するものであると人は答へるだらう。 此見えざる世界ありといふ信仰とそれに適合させる事とが心の中の宗教的態度である。

 James の考えでは、宗教の本質は、宗W.James: Varieties of Religious Experience.教的「経験」よりも、「信仰」の方にあるとされています。 「観念」よりも「行動」を重視する、 プラグマティストとしての立場です。

 この作品の書かれた晩、赤く変形した月の出現を見た賢治は、 何か宗教的な感覚にとらわれたのではないでしょうか。これを「赤く歪んだ月」と書かずに、あえて「赤い歪形」と表現したのは、James のいう「純粋経験」として、すなわち「それは月である」という認識以前の、心象の段階のものを書きとめようとしたのではないかと思います。
 賢治は不思議な体験をよくする方で、「見えざる實在」としばしば遭遇し、それをたいてい直観的に宗教的な性質のものとしてとらえています。 しかし James によれば、宗教的な経験を宗教的たらしめているのは、「信仰」という精神活動なのだというのです。

 「それはひとつの信仰だとさジェームスによれば」という作品中の言葉は、 このような文脈におけるものなのではないでしょうか。
 賢治は、赤く歪んだ不思議な物体を見て、それを生徒たちのようにたんに「変」とか「おかしな」と感じるにとどまらず、 宗教的な色彩を帯びて体験します。ここで彼は、その宗教感覚の背後にあるものに考えをめぐらし、「それ (=感覚に宗教的色彩を与えているもの)」は、James の説によれば「信仰」だったよな、と思い出しているのではないでしょうか。

 右上に掲げた扉写真は、 先日国会図書館に行った時にマイクロフィッシュからコピーしてもらったものです。賢治の蔵書の中にこの本は見つかっていませんから、 彼はその昔に、帝国図書館に置かれていたこの本そのものを、手に取っていたのかもしれません。
 そう考えると、ちょっとうれしくなります。