タグ「よだかの星」が付けられている記事

 ブログ更新環境の不調のためご報告が遅くなってしまいましたが、去る7月28日(日)に、「ひとり語り」の林洋子さんとアイリッシュ・ハープの梅津三知代さんをお迎えして開催した「第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都」が、無事終了いたしました。おかげ様で満員の盛況で、ご来場いただきました皆様には、心より御礼申し上げます。

 会場は、昨年の3月にも「第3回」を開催した、京都府庁旧本館正庁。下の写真で、正面の2階部分にある部屋です。

京都府庁旧本館

◇          ◇

 プログラムは、まず「やまなし」。日本画家・鈴木靖将さんが描かれた美しい「幻燈」の絵をパワーポイントで映し出しつつ、蟹の親子の会話です。

林洋子「やまなし」

 アイリッシュ・ハープの繊細な音色は、まるで谷川の流れやあぶくのように響きました。

 つづいて、私が林さんにインタビューする形式で、20分ほど「対談」を行いました。
 お話いただいたのは、一昨年の震災からまだ間もない時期に、三陸沿岸の避難所をまわって公演をされた時のこと、それから今回の京都公演のきっかけともなった、林さんと私の間に隠れていた「不思議なご縁」のこと。
対談 実は、私が仕事をしている医院の開設者は、故・高木仁三郎氏の実兄なのですが、林洋子さんは生前の仁三郎氏と無二の親友で、宮澤賢治に関して対談をしたり、仁三郎氏が創設した「高木学校」のサポートの会のキャプテンを務めたり、会議のために京都に来た際には兄弟と一緒に懇談したり、いろいろな交流があったのです。
 昨年の9月に花巻で林さんにお会いして名刺をお渡しした際に、林さんがこのご縁に気づいて下さって、今回の公演の準備も一気に盛り上がりました。当日は、その実兄である高木隆朗氏も会場に来て、仁三郎氏について思い出を語りました。
 本当は林さんには、若い頃から水俣に関わり、また上記のように反原発運動にも関わってこられた経験から、現在の福島についてどんな思いを持っておられるかなど、いろいろ他にもお話をお聴きしたかったのですが、時間の関係でかないませんでした。
 機会があれば、ぜひうかがってみたいと思っています。

◇          ◇

 後半は、本日のメインプログラム「よだかの星」です。

「よだかの星」

 小柄な林さんが、凛とした姿勢で立ち、力強い声で語り出すと、会場は圧倒的な迫力に包まれました。
 私の知人はこれを聴いていて、「よだかの星」の終わりの方では、会場の壁も床も消えて無くなってしまい、まるで宇宙空間の中に林さんが浮かんで語っているように感じ、最後によだかの体が「燐の火のような青い美しい光になって」燃えるという場面では、林さんの体が青く光っているように見えたと、後から話してくれました。
 そんな体験談も、みんなで「そう、そう」とうなずき合うような、林さんの「ひとり語り」でした。

 最後は、会場の参加者がハミングで歌う「ふるさと」に乗せて、林さんが「雨ニモマケズ」を読まれました。これはまさに絶妙の演出で、「ふるさと=イーハトーブ」に今回の震災のことを重ね合わせると、林さんによる「雨ニモマケズ」の言葉に、胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。

◇          ◇

 実行委員会で話し合った結果、今回の公演の収益は、福島の子供たちが安心して海や野山で遊べるようにと親子を八丈島のキャンプに招待する活動を行っている、「福八子どもキャンププロジェクト」に寄付させていただくことにいたしました。このプロジェクトの発起人は京都の医師なのですが、寄付のご連絡をすると、これからまだ5年は企画を続けたいと思っているので、たいへん力になると喜んで下さいました。

 さて、また次の「第6回」に向けて、現在はいろいろと検討をしているところですが、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都

 一昨年から続けている宮澤賢治をテーマとした震災復興支援チャリティ企画「イーハトーブ・プロジェクトin京都」の第5回を、7月28日(日)に、京都府庁旧本館正庁にて開催することになりました。

 下の画像は、今回のチラシです。「よだか」にちなんで、埼玉県在住の画家鈴木広美さんの木版画「とり」を使わせていただきました。(クリックすると、別窓で拡大表示されます。)

「第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都」チラシ表

「第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都」チラシ裏

 今回は、林洋子さんをお招きして、「やまなし」、「よだかの星」、そして最後に「雨ニモマケズ」を語っていただきます。
 林さんは、長年にわたり日本全国を巡って賢治作品の「ひとり語り」を続けてこられ、その奥深い表現には定評があります。今回は、「吟遊詩人の楽器」とも呼ばれるアイリッシュ・ハープとの共演です。

 終了後には、私と少し対談をさせていただく予定ですが、林さんと賢治の出会いや、30年以上・1600回にもわたって賢治作品を演じ続けてこられた力は何なのか、などということについてもお話をお聴きしたいと思っています。また林さんは、一昨年の夏には三陸沿岸の避難所をまわる公演も実施されました。今回の震災について感じられたことも、うかがいたいですね。
 さらに、これは偶然のご縁なのですが、林さんは故高木仁三郎氏の活動に共鳴され、高木氏が市民科学者育成のために創設した「高木学校」のサポーターの会の「キャプテン」を務めておられます。一方、高木仁三郎氏の実兄は私の仕事先の理事長をしているので、林さんは以前にそういう関係でも、京都に来られたことがあるということでした。
 というわけで当日は、高木仁三郎氏が生前に行った活動についても、少し話が出ることでしょう。

 会場の「京都府庁旧本館」は、明治37年に建てられたルネサンス様式の重厚な洋館で、国の重要文化財にも指定されています。
 公演を行う「正庁」という部屋は、その旧本館の中でも最も格式の高い場所で、公式行事や公賓の接遇のために使われていた特別な空間です。大正4年の「大正天皇即位の礼」の際、および昭和3年の「昭和天皇即位の礼」の際には、内閣全体が京都に移動してきて、この「正庁」の部屋で閣議が行われたということです。
 現在はこういうイベントなどに使われていますが、当時の雰囲気をそのままに伝えています。

 祇園祭も終わって、その前週の日曜日には参議院選挙が行われ、京都は暑い盛りでしょうが、林洋子さんの情感あふれる「ひとり語り」とアイリッシュ・ハープの音色を、ぜひお楽しみ下さい。

第5回イーハトーブ・プロジェクトin京都
  ~ 林洋子ひとり語り ~

【演目】
  一、 やまなし
  二、 よだかの星
   三、 雨ニモマケズ
            作: 宮沢賢治
            語り・演出: 林 洋子
            アイリッシュ・ハープ: 梅津 三知代
【日時】
  2013年7月28日(日) 午後3時開演
                              (午後2時半開場)
【場所】
  京都府庁旧本館正庁 (京都市上京区)
【参加費】
  2000円 (必要経費以外は義援金とします)

※ 参加ご希望の方は、必ず事前にご予約下さい。
予約は、当サイト管理者あてメールにて、承ります。



 忙しくて、なかなか記事を更新できずにいましたが、そんな中でも、サイトの外観に少し手を加えたりしていました。
 宮沢賢治学会イーハトーブセンターからは、この5月17-18日に行われるセミナー「巨きなりんごのなかをかける 「青森挽歌」と「函館港春夜光景」への旅」の案内が届き、非常に魅力的な企画でぜひ行ってみたいのですが、スケジュール的に難しそうで、つらいところです。

 ところで賢治関係で最近出た本として、下のような本を読んでみました。

 宮澤賢治童話のオイディプス  宮澤賢治 童話のオイディプス
 高山 秀三

 未知谷 2008-01
 売り上げランキング : 330455

 Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 「オイディプス」というのは、ギリシャ悲劇「オイディプス王」のことで、それと知らずに「父を殺して母と結婚する」という行為をおこなったことから、フロイトがこれにちなんで「エディプス・コンプレックス」という概念の名前の由来としました。
 すなわち、この『宮澤賢治 童話のオイディプス』という本は、エディプス・コンプレックスなどを中心とした精神分析的な視点で、賢治の童話を解釈しようとしたものと言えます。宮澤賢治の父子関係というのは、独特なところがありますから、こういう論点そのものには興味を引かれるところです。

 ところが本書はその冒頭において、童話「よだかの星」を根拠としつつ、賢治自身がその執筆当時、「醜貌恐怖」という神経症(=自分の容貌が異常に醜い思いこんで、悩み苦しむ状態)に罹患していたと推定します。いったいどうしてそんなことが言えるのかと思いますが、著者の論理は、次のようなものです(本書p.21-22)。

 話を容貌の美醜という点に戻そう。『よだかの星』という童話が物語る醜さへのこだわり、異形の者であるという意識は、誇張を含んではいるだろうが宮澤賢治その人のものであったと考えられる。賢治については自然に没入して行く浮世離れした詩人、あるいは世のため人のために生きることに生涯を捧げた聖人で、まるっきり容貌のことなど意に介さない偉い人であると見なす向きもあるかもしれないが、実際には人並み以上に外見にこだわっていたことをうかがわせる証言が少なくない。たしかに生涯を通じてほとんどいつも坊主頭であったことはおしゃれとまるで無縁なイメージにつながるし、四六時中鏡を見て己の容貌をためつすがめつしていたという類の逸話も存在しない。服装もたいていは古ぼけた洋服にゴム靴といった地味ないでたちだった。ところがその一見かまわない服装のなかに賢治は独自の美学を忍ばせていた。つまり、それらはよれよれであっても実は大変清潔にしてあったし、そのなかにたとえばネクタイのとびきり上等なものをつけることで、全体が引き立つように工夫していた。
 賢治の服飾美学とはすなわち、「破れもなく垢もあまりつかぬもので、きちっと身につくもの」であればそれでよく、「そして何か一つ、上等なものをちょっと身につけさえすれば、それでぴしっと引き立つ」という類のものだった(佐藤隆房『新版宮沢賢治』)。つまり賢治は決して気障にならない、おしゃれの極意(?)を知る人だったのである。また、その言葉も教師をしていたころは、「礼節ある青年紳士のように、きれいで、りっぱで、田舎ナマリの少しもない、東京人のように、すっきりと、はきはきした言葉使い」(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)だったという。『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などにはしゃれた西洋趣味がちりばめられているが、そのダンディズムは作者の外見をもさりげなく飾っていたのである。こうした外見へのこだわりは、負の方向に反転すれば自分の表層の醜い部分への過剰なこだわりとなる。『よだかの星』が物語る、妄想レベルといってよい強度のこだわりは、賢治の容貌への固執が少なくともこの童話を書いた時期(二十代半ばと推定される)において神経症の域に達していたことを示すものといっていいだろう。

 「示すものといっていいだろう」と言われても、話についていけず当惑してしまいますが、結局この箇所で著者が根拠として挙げている証言は、「賢治は、普段の服装から受ける印象よりも、意外におしゃれな側面も持っていたらしい」ということを示しているだけです。これらからは、著者が問題にするほど賢治が服装に対して「人並み以上のこだわり」を持っていたとは私には感じられないのですが、たとえかりに彼が服装に強いこだわりを持っていたとしても、それは別に、「自分の容貌が異常に醜いと思いこんで悩む病的状態」に陥っていたと推定する根拠にはなりえません。教師時代の言葉づかいが洗練されていたことも、同様です。

 まともな根拠もなく、人を病気と決めつけてしまうのは、いったいどういう魂胆があってのことだろうと不思議でたまりませんが、その背景には、「病跡学」というものの影響があるのかもしれません。
 「病跡学(pathography)」とは、「芸術家や著名人の言動、作品、周囲の人の証言などをもとに、その人が精神医学的に何らかの病的傾向がなかったかということを検討し、それを通じてその人に関する理解を深めようとすること」、とでも定義できるでしょうか。賢治に関してこの分野では、福島章著『宮沢賢治 芸術と病理』(1970)という著作があり、賢治が「躁うつ病」の傾向を持っていたと結論づけて、これはそれなりに説得力があり、賢治の生涯を考える上で一つの視点を提供してくれました。しかし、同じ著者の本でも、後の『不思議の国の宮沢賢治』(1996)になると、内容的にあまり面白くありませんでした。

 近年、一見「病跡学」のような体裁をとりながら、論拠が薄弱な一方的な決めつけであったり中身が空疎だったりする論考を目にすることがあり、私としてはこれを「似而非病跡学」と呼びたいと思いますが、押野武志著『童貞としての宮沢賢治』(2003)も、先行的に賢治を「対人恐怖・醜形恐怖」あるいは「摂食障害」と論じて、その一翼を担うものであったと思います。
 今回の『宮澤賢治 童話のオイディプス』も、まさに「似而非病跡学」的な側面を持った賢治論と言えるでしょう。

 以下に、本書の典型的な表現を抜粋してみます。皆さんなら、どのようにお感じでしょうか。
 まず、「どんぐりと山猫」について。

 型にはまったものであるが、あえて精神分析風の解釈をすれば、とがり具合や大きさや長さを競って大騒ぎするどんぐりたちは屹立するファルスであり、陣羽織を着てしゃっちょこばった山猫はそれらを去勢しようとして容易になしえない父であるだろう。どんぐりたちの争いは一郎の権力意志がイメージされ外在化されたものとも理解できる。一郎は悟りすましたように借り物の思想を語って、実は自分の権力意志を表象化したものであるどんぐりたちの争いを他人事として裁いた。裁判好きの一郎は他人事を裁くのは大好きだが、自分のなかにある生臭い欲望には鈍感なのである。(p.80)

 「虔十公園林」について。文中に出てくる「グレゴール」は、カフカ『変身』の主人公の名前ですね。

 『虔十公園林』にも、オイディプス的なテーマは非常にねじれたかたちで内在している。従順きわまりない虔十は、父を殺すオイディプスとはまったく対極の存在である。母との関係にも近親姦的な癒着はなく、むしろ十分に愛されなかった印象がつよい。しかも、グレゴールやホモイの物語とは違って、虔十の物語は明らかに天に祝福された結末で終わっている。しかし、虔十は父と対立する息子の忌まわしい宿命ゆえに、あらかじめ知的障害者として、つまり絶対的弱者であるがゆえに父に逆らうことを封じられた存在として、生まれついているのだと考えることができる。グレゴールは、父権簒奪への「罰」として毒虫に変身するが、虔十は父権を脅かす息子であること自体の罪ゆえに、あらかじめ一切の牙を抜かれて誕生したのである。(p.272-273)

 このように「精神分析風」に解釈することで、作品や作者に対する理解がより深まるのならば、それはそれで有意義な営みであると思うのですが、私にはあまりそうなっているとは思えません。

 賢治と父親の関係というのは、奥深く興味のそそられるテーマであるだけに、こんな不自然なアプローチでなく、普通の理屈で論じていただければよかったのに、と思いました。

うさぎの心

  • 記事分類:

 「兎角亀毛」という言葉があって、『楞伽経』など仏典においては、兎に「ツノ」がなく、亀に「毛」がないのと同様に、「実在しない物」のたとえとして使われるのだそうです。
 一方、「とかく」とか「とにかく」という副詞を、「兎角」「兎に角」と表記するのは、夏目漱石に始まったという説もありますが、こちらはまったくの「当て字」です。動物の兎や、その「ツノ」には、何の関係もありません。

 さて、賢治が家出上京をする直前の1921年1月中旬(推定)に、保阪嘉内にあてた[書簡181]に、次のような部分があります。

保阪さん。もし、あなたに「信じたい」といふ心があるならそれは実に実に
大聖人の御威神力があなたに下ってゐるのです。(中略)
この時あなたの為すべき様は まづは心は兎にもあれ
                   甲斐の国駒井村のある路に立ち
                   数人或は数十人の群の中に
                   正しく掌を合せ十度高声に
                  南無妙法蓮華経
                   と唱へる事です。
決して決して私はあなたにばかりは申しあげません。実にこの様にして私は正信に入りました。竜ノ口御法難六百五十年の夜(旧暦)私は恐ろしさや恥づかしさに顫えながら燃える計りの悦びの息をしながら、(その夜月の沈む迄座って唱題しやうとした田圃から立って)花巻町を歩いたのです。(中略)
その夜それから讃ふべき弦月が中天から西の黒い横雲を幾度か潜って山脉に沈む迄それから町の鶏がなく迄唱題を続けました。

[書簡181](保阪嘉内宛て) 恥ずかしながら、私はついこの間まで、この手紙の中の「まづは心は兎にもあれ」という部分を、「まづは心はウサギにもあれ」と読んでいたのです。
 兎というのは憶病な動物ですから、賢治自身が初めて「南無妙法蓮華経」と唱えながら花巻町を歩いた時、「私は恐ろしさや恥づかしさに顫えながら」という気持ちであったように、嘉内もそういった「兎みたいに怯えるような心持ち」になるかもしれないけれど、「まづは」自分の故郷の路で声高く唱題をしてみなさい、と勧めているように思っていたのです。
 しかし、ふと気づいてみると、「兎にもあれ」とは、冒頭に触れた漱石流の当て字であって、「とにもあれ」と読むのですね。「とにかく」と「ともあれ」を一緒にしたような感じでしょうか。「心の中身はどうでもよいから、とにかくまず、群衆の中で唱題をするという<行動>をしてみなさい」と、強引に勧めているわけでしょう。

 この賢治の主張は、家出上京後の[書簡186](1月30日)においては、

けれども、それでは、心はとにかく形だけでそうして下さい。国柱会に入るのはまあ後にして形丈けでいゝのですから、仕方ないのですから
   大聖人御門下といふことになって下さい。
全体心は決してそうきめたってそう定まりません。

と述べていることに、相当しています。上の手紙では「心はとにかく」と書かれていますが、これが前の手紙においては、「心は兎にもあれ」だったわけですね。
 この頃の賢治は、嘉内に執拗に入信を勧めるにあたって、しきりに「心」と「形」について論じています。上の手紙のまた次の[書簡187]においては、

この上はもはや私は「形丈けでも」とは申しません。なぜならあなたにやがて心と形と一諸に正しい道を旅立たれるその日が近く、いや最早その日になってゐるからです。

と、さらに一歩踏み込んでいます。

 ということで今回は、お恥ずかしい「思い込み」に関する告白でした。
 ところで下の写真は、先月に保阪嘉内の故郷を訪ねた折、案内して下さった向山三樹さんが、「もしも賢治の勧めどおり、嘉内が故郷の路上で唱題をしたとすれば、それはこの場所だっただろう」とおっしゃっておられた所です。嘉内の生家のすぐ近くで、旧駒井村の中心部の「辻」です。

旧駒井村中心部


 それから、記事のタイトルを「うさぎの心」としたので、あと「蛇の足」を一本だけ。

 兎はたんに憶病なだけの動物ではなくて、仏教説話「ジャータカ」や「今昔物語」に収められている「月の兎」というお話においては、別の面も見せています。詳しくは、「Wikipedia-月の兎」や「生活の中の仏教用語(大谷大学)-月の兎」をご参照いただくとして、ともかく兎は、ふだんは力弱いようでいて、いざとなったら「捨身」という最高に大胆な功徳を行う心も、持っていたというわけです。
 これは、いかにも賢治が好きそうなお話ですが、童話「貝の火」において、他ならぬ兎の子であるホモイが、溺れていたひばりの雛を「捨て身で」救うことなどを連想します。
 また、自己犠牲の末に身体が燃え上がるところ、天に昇って月(星)になるところなどは、「よだかの星」に通ずるようでもあります。

 賢治の初めての路上唱題行も、月夜の晩であったことは、上の手紙が示してくれていました。

よだかのフォークロア

Caprimulgus veciferatus 右の写真は、レヴィ=ストロースの最晩年の著書『やきもち焼きの土器つくり』の表紙絵です。あんまり綺麗でユーモラスなので、ここに拝借しました。
 この本は、「土器製作」と「嫉妬」と「ナマケモノ」と「よだか」という、一見すると何の関係もないようなもの同士の間に、神話的なアナロジーを見事に解き明かしていきますが、その過程で、よだかに関する厖大な神話を収載しています。

 集められたよだかの呼び名に関しては、フランス語では「山羊の乳吸い」「枝乗り」「空飛ぶヒキガエル」(cf.「まあ、あの口の大きいことさ。きっと、かへるの親類か何かなんだよ」)、英語では「牛こうもり」「夜の鷹」、ドイツ語では「乳吸い」「夜のヒキガエル」「死の鳥」「魔女の頭目」「昼寝屋」など、ヨーロッパのどこでもほとんど好意的なものはありません。
 アメリカ大陸に渡っても、「大口」「土食い」など同様の傾向で、日本では「夜鷹」が「下級の女郎」を意味するという話も紹介されます。そのなかで、ブラジルでよだかが「月探し鳥」「月泣き鳥」と呼ばれるというのが、ちょっと目につきます。

 よだかは世界各地で、「死霊」や「地下世界」に近い存在と考えられていることが多く、各種の神話においても非常にグロテスクな役回りを演じさせられていることがしばしばです。
 賢治の作品でも「よだかの星」は、その冒頭の「よだかは、実にみにくい鳥です。」という端的な提示から始まって、情け容赦のない描写がこれでもかと続くところなどは、彼の童話でも珍しい部類です。

 さて、レヴィ=ストロースならば、童話「よだかの星」と、「銀河鉄道の夜」に出てくる「蠍の火」の挿話との間に、「構造的類同性」を指摘するところでしょう。よだかと同じく、蠍も憎まれ役の代表格ですし、賢治の童話でも「双子の星」に出てくる蠍は、最初はほんとに嫌な奴です。

 よだかも蠍も、とりわけ嫌われ憎まれ蔑まれている存在だからこそ、その価値づけを正反対に脱構築しようとしたのが、賢治の物語なのでしょうね。

 ほとんどグロテスクなものばかりのような、よだかに関する世界の神話の中で、唯一ちょっと違った雰囲気のものがありました。ウルグアイの国境付近に居住するグアラニ族の神話です。

ある首長の娘と、ただのインディアンが互いに見染めたが、娘の親は、この身分違いの結婚に反対した。ある日娘は失踪し、やがて、丘陵地帯で人里離れ獣と鳥に囲まれて住んでいるところが見つかった。家にもどるよう説き伏せるための使いが何度となく送られたが無駄であった。あまりの悲しみに彼女は耳も聞こえず何も感じなくなってしまっていたのだ。心神喪失からの回復には、精神的ショックを与えるしかない、とある呪医が断言した。そこで娘に、恋人は死んだと嘘を伝えた。すると娘は、ヨタカに変身して飛び上がり、姿を消してしまった。