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2016年9月15日 埼玉県小鹿野町の新歌碑

 去る9月4日は、賢治が盛岡高等農林学校の地質学研修旅行で埼玉県小鹿野町を訪ねてから、ちょうど100周年にあたる日でしたが、これを記念して同町では、「宮沢賢治 小鹿野町来訪100年・生誕120周年記念祭」が行われました。

小鹿野町来訪100年記念祭

 この催しの「一幕」(上写真)では、埼玉大学名誉教授の萩原昌好さんや、宮沢和樹さんの講演、山梨県韮崎町の「アザリア記念会」の皆さんのステージなど、多彩で楽しい演目があり、会場一杯に詰めかけた町民の皆さんも盛り上がっておられました。
 私は、この催しに参加するかたがた、小鹿野町に今年7月に建立された新たな歌碑を、見学してきました。

「霧晴れぬ」歌碑

 上写真が、小鹿野町の中心部から国道299号線を西に9kmほど山奥に入ったところにある「古鷹神社」に、このたび立てられた歌碑です。

霧晴れぬ
分れて乗れる
三台の
ガタ馬車は行く
山岨のみち

 今回これを、当サイトの「石碑の部屋」に、「霧晴れぬ」歌碑としてアップしました。

 それにしても、小鹿野町というのは人口が1万2000人ほどの町ですが、これで町内の宮沢賢治の詩碑・歌碑は、実に4基めということになります。
 ちなみに、全国の市町村ごとの賢治詩碑・歌碑の数を見てみると、花巻市の47基は別格として、2位の盛岡市の15基、3位の滝沢市の8基に続いて、「一市町村内にある賢治詩碑・歌碑の数」としては、全国4位ということになりました。岩手から遠く離れた埼玉県の小さな町が、ここで堂々と単独第4位に入るというのは、この町の熱意の表れと言えるかもしれません。

 この歌碑は、直接的には「宮沢賢治小鹿野来訪100年」を記念して建立されたものですが、もう一つ、2011年の「田嶋保日記」(「嶋」の字は正しくは「」の左に「鳥」)の発見を記念する意味も、間接的にはあったようです。
 この日記は、小鹿野町の中心部で江戸時代から旅館を営んできた「本陣寿旅館」の店主が、明治から昭和に至る46年間にわたって付けていたもので、毎日の宿泊客の動静や、当時の世相などが記されています。そしてこの中の、大正5年9月4日のページに、「盛岡高等農林学校教授関豊太郎神野幾馬両氏ト生徒二十三人来宿ス」との記載があり、それまでは萩原昌好さんの研究によっても「賢治たち一行は本陣寿旅館に泊まったのではないか」として「推定」の段階にとどまってきた事柄が、晴れて「確定」されたのです。
 下写真が、その「田嶋保日記」の該当ページです。

田嶋保日記

 そして、同じページにはさらに、「午前中来館、三田川村源沢ニ向ハレ夜、帰宿セラル」との記載もあり、賢治たち一行は午前中にいったん宿に荷物を置いて身軽になった後、「三田川村源沢」に行き、夜に帰宿したということも判明しました。この「源沢(みなもとざわ)」は、現在は「皆本沢」という漢字があてられていますが、旅館のある小鹿野町の中心部からは、9kmほど西の山奥に入ったあたりの沢で、一行がこの場所に行ったということは、今回の発見によって初めて明らかになった事実でした。
 宮澤賢治の生涯については、これまでに数多くの研究者が様々な角度から資料を収集して分析しており、死後すでに80年以上が経過した今となっては、彼の伝記的事実を新たに追加するような「一次史料」が発見されるというのは、本当に珍しいことになっていますが、その「発見」が、つい最近なされたわけです。
 小鹿野町におけるこの画期的な出来事を記念するという意味もこめて、新たに賢治訪問が明らかになった「皆本沢」にほど近い「古鷹神社」の境内に、今回の歌碑が建てられたのでした。

 それにしても、「田嶋保日記」の上の2ページを見るだけでも、このご主人の「おもてなし」の心は、本当にひしひしと伝わってきます。
 すなわち、一行が到着する午後、主人は「盛岡高等農林学校御定宿ノ看板ヲ掲」げた上で、「原町箱屋辺迄ムカヒニユク」とあり、また翌5日の出発の前には、「三峯山宮沢到氏ニ宛テ封書ヲ生徒ナル塩井義郎氏ニ託シツカワス、便宜ヲハカルヤウノ手紙ナリ」と、一行のその晩の宿泊先に便宜を図るよう願う手紙を書いて持たせています。さらに、翌々日の宿泊先に対しても、「魚惣ヘモ書面中ニパン代金弐円入金シテ馬車要吉ニタノミツカワス、生徒一行ノ石モ送レリ」という配慮をしているのです。別の宿屋に泊まっている際の「パン代金弐円」まで、この旅館主人が負担して手紙の中にしのばせるなんて、信じられないような手厚い気配りですね。
 これら諸々の配慮をした上で、主人は9月5日朝、「盛岡高等農林学校関先生神野先生及生徒二十三人ヲ送リテ落合橋向フ迄至リテカヘル」のです。

 この「田嶋保日記」は、去る9月4日の小鹿野町のイベントでも、実物が展示されていましたが、毎年はるばる盛岡からやってくる学生たちを、遠く離れた小鹿野町で、旅館主人が精一杯歓迎しようとしていた様子が、ここにはしっかりと記録されていました。
 現代の小鹿野町の方々が、賢治来訪100年を記念して大きなイベントを行い、また町内に4基もの歌碑・詩碑を建立しておられるというのも、実は100年前の田嶋保氏の「志」を継いでおられるのだなあと、しみじみ思った次第です。

written by hamagaki
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