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2016年1月24日 「噴火湾(ノクターン)」のFuneral march

 トシの死の翌年のサハリン旅行における最後の作品が、「噴火湾(ノクターン)」です。
 この作品における賢治は、噴火湾(内浦湾)に沿って走る列車に乗って、車窓から夜明けの景色を眺めていますが、心の中はやはりトシのことでいっぱいです。
 詩の最後、すなわちこの悲しみの旅における賢治の最後の言葉は、次のように結ばれます。

噴火湾のこの黎明の水明り
室蘭通ひの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
駒ケ岳駒ケ岳
暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
そのまつくらな雲のなかに
とし子がかくされてゐるかもしれない
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
  (そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

 北の最果てへの旅を終えようとするこの時にも、やはり悲しみに沈む賢治の心は癒えていなかったということが、ここに如実に表れています。
 ちなみに、この箇所で「室蘭通ひの汽船」の二つの灯火が見えていることから、以前に私は「噴火湾で列車から汽船を見る」という記事において、賢治が乗っていたのは「急行2列車」で、これはおそらく午前4時14分頃のことであり、場所は「野田追」駅と「落部」駅の中間で、列車が海岸沿いに出たあたりではないかと推測してみたことがありました。
 しかし、今日取り上げるのはそこではなくて、作品の中ほどあたりの、次の箇所です。

一千九百二十三年の
とし子はやさしく眼をみひらいて
透明薔薇の身熱から
青い林をかんがへてゐる
フアゴツトの声が前方にし
Funeral march があやしくいままたはじまり出す

 ここに出てくる'Funeral march'とは、「葬送行進曲」のことです。もちろん、賢治のイメージにあるのは、前年のトシの「葬送」でしょう。
 花巻に帰った後の8月31日に書かれた「雲とはんのき」にも、「これら葬送行進曲の層雲の底・・・」という言葉が出てきますから、この時期の賢治の心象風景の BGM としては、ずっと何らかの Funeral march=葬送行進曲が、鳴り続けていたのでしょう。
 ところで、この「葬送行進曲」という言葉が、たんに象徴的な意味で使われているのではなくて、賢治にとって何かある特定の曲を指しているという可能性は、彼がクラシックレコードの蒐集家であったことを思えば、十分にありうることです。「フアゴツトの声が前方にし/Funeral march があやしくいままたはじまり出す」という描写の具体性も、ここで賢治の心の中には、実際にメロディーが流れていたのではないかと思わせます。

 そして、『宮澤賢治の聴いたクラシック』(小学館)の著者の萩谷由喜子氏も、そのように考えられたようです。

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 この本は、賢治とクラシック音楽の関わりについての詳しい解説とともに、当時のSPレコードから復刻した珍しいCDが2枚も付いているという素晴らしいものです。
 そのCDには、「噴火湾(ノクターン)」に登場する'Funeral march'の推定曲として、ベートーヴェンのピアノソナタ第12番「葬送」第3楽章の吹奏楽編曲版が収録されていて、本文p.72には次のような解説が付けられています。

賢治の心象スケッチ『春と修羅』には『オホーツク挽歌』として一挙収載された5編の口語詩がある。その5編は大正11年11月27日に24歳で世を去った最愛の妹トシを悼む一連の挽歌だが、その最終詩『噴火湾(ノクターン)』に「ファゴツトの聲が前方にしFuneral march があやしくいままたはじまり出す」という詩句がある。「ファゴツトの聲が前方にし」というヒントから、詩の中の「Funeral march」をピアノ・ソナタ第12番の第3楽章のバンド演奏盤と推定し、ヴェルセラ・イタリアン・バンドの録音を収録した。

 実際、ベートーヴェンのピアノソナタ第12番第3楽章は、作曲者によって'MARCIA FUNEBRE'と題されている、クラシック音楽の中でも代表的な葬送行進曲の一つです。ここに収録されているその吹奏楽編曲版は、CDとして世界初復刻ということでとても貴重なものなのですが、ただ私としては、これを「噴火湾(ノクターン)」の'Funeral march'だと推定するには、少なくとも次のような2つの問題点があるように思うのです。

 問題の一つは、確かにこの吹奏楽編曲にはファゴットも使われているようですが、低音部は常に金管楽器とユニゾンで重ねられており、「ファゴットの音色だけ」が聴こえるような箇所は、ほとんど存在しないのです。したがって、まず「フアゴツトの声が前方にし」て、次いで「Funeral march があやしくいままたはじまり出す」という、作品中の描写と具体的に対応するような部分は、この演奏には出てきません。
 一方、「フアゴットの声」とか、「いままた・・・はじまり出す」とかいうこの箇所の賢治の描写は非常に具体的ですので、私にはどうしても、これは実際の音楽の進行と対応しているのではないかと感じられるのです。

 問題点のもう一つは、この吹奏楽編曲版のベートーヴェンのピアノソナタ第12番第3楽章のSPレコードを、生前の賢治が聴いていたという証拠がないことです。
 賢治が実際にどんなレコードを聴いていたのかということについては、(1)賢治が遺品として残したレコード、(2)賢治が友人に贈ったレコード、(3)羅須地人協会時代に作った「レコード交換用紙」に賢治自身が記載したレコード、(4)友人等によるよる証言、という形で知ることができますが、このいずれにも、上記のレコードは含まれていないのです。もちろん、ここに含まれていないからと言って、賢治がこれを持っていた、あるいは聴いたことがあったという可能性を否定することはできませんが、この説をとるためには、そういう一つの「仮定」を追加する必要が出てくるわけです。

 これに対して私自身の考えは、「噴火湾(ノクターン)」における'Funeral march'とは、同じベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章なのではないか、というものです。
 この楽章も、作曲者自身によって、'Marcia funebre'(=葬送行進曲)と、イタリア語でタイトルが付けられています(下図)。

ベートーヴェン交響曲第3番第2楽章冒頭

 そして、生前の賢治がこの曲を実際に聴いていたことを、親交の深かった斎藤宗次郎氏が書き記しています。下記は、『四次元』第二巻第九号(昭和25年10月)に収載された斎藤宗次郎「懐しき親好」の一部です。(『宮澤賢治研究資料集成』第7巻p.214)

 何時の頃か忘れたが、賢治さんが始めて蓄音機を求めた時、私は妻とと共に賢治さんに招かれ、二階の広い室の一隅で父君と四人頭を聚めて色々のレコードを聴いたことがある。此頃の賢治さんは、音楽に対する興味其観賞の力が大いに進んで居られたであろう。名曲に魅せらるる様子は感心の至りであった。其後私も蓄音機を求めたので、賢治さんはベートーヴエンのクロイツエルソナタや第三第七交響楽などのレコードを借りに見えたこともあり、時には令弟を伴つて来て、私の求康堂の店頭に腰を下し、ヘンデル・シユーベルト・チヤイコフスキー・シヤリアピンなどのレコードを聴き楽んで帰られたこともあつた。

 すなわち、上の分け方で言えば「(4)友人等による証言」によって立証されるわけですが、賢治はベートーヴェン交響曲第3番のレコードを、少なくとも斎藤宗次郎に借りて聴いていたことは、確かなのです。

 すると次の課題は、「フアゴツトの声が前方にし/Funeral march があやしくいままたはじまり出す」というように音楽が進行する箇所が、この曲に実際に存在するのかということです。
 結論から言えば、それは第2楽章の43小節目から始まるファゴットのソロに導かれて、やがて50小節目からオーボエによる第一主題(すなわち葬送行進曲の主題)が現れるところだろうと、私は考えています。
 下に、その箇所の楽譜を引用します。

ベートーヴェン交響曲第3番第2楽章2

ベートーヴェン交響曲第3番第2楽章3

ベートーヴェン交響曲第3番第2楽章4

 上の1頁目および2頁目で、赤い色を付けてあるところが、「フアゴツトの声が前方にし」に相当する部分です。1頁目の最後の2小節からファゴットのソロが始まり、これは2小節後からは他の木管楽器と重ねられますが、さらにその2小節後には、六度の音程でクラリネットと美しく絡みます。
 そして、2頁目の最後の青い色を付けたところから、オーボエに第一主題(葬送行進曲の主題)が再び現れ、3頁目へと続きます。つまり、ここが「Funeral march があやしくいままたはじまり出す」に相当するのです。(以上、引用楽譜はいずれも全音楽譜出版社のポケットスコアによります。)

 音楽の流れとしてはこうなっているのですが、楽譜で見ていただくよりも「百見は一聞に如かず」ということで、この箇所の実際の演奏をお聴きいただきましょう。
 下の演奏は、カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団による、「ベルリンフィルハーモニー創立100周年記念演奏会」(1982)のライブです。第2楽章が始まる直前(15:05)から再生されるように設定してありますが、問題のファゴットのソロは、17:59頃から始まります。

 この17:59から、ファゴット高音域の、独特の哀愁を帯びた調子で推移的な旋律が奏でられ、そこにフルートや他の木管が加わり、一瞬クラリネットだけが残って、またファゴットが繊細に寄り添います。
 そして18:29頃からは、オーボエが再び第一主題を奏で始めます。この少し前の17:36には、流麗な長調の第二主題が導入され、いったん曲想が転換した後ですから、ここで再び短調の第一主題が現れた時の印象は、まさに「Funeral march があやしくいままたはじまり出す」という表現が、絶妙に当てはまる感じがします。

 以上、これは賢治が実際に聴いていた曲であること、また上のように作品中の描写と美しく対応している箇所も存在していることから、私としてはこれこそが、「フアゴツトの声が前方にし/Funeral march があやしくいままたはじまり出す」という部分だろうと、自分では深く納得している次第です。

 余談ながら、上のベルリン・フィルのライブにおいて、オーボエの首席を務めているのはローター・コッホ、クラリネットはカール・ライスター、そしてファゴットはギュンター・ピースクという面々であり、私としてはベルリン・フィルの木管セクションを「超人集団」として崇拝していた学生時代を思い出す、懐かしい演奏です。
 カラヤンによる端整な造型、弦楽器の圧倒的な力量とも相まって、これはベートーヴェン「英雄」の歴史的名演の一つとも言える記録ではないかと、今回YouTubeで視聴して感じました。

written by hamagaki : カテゴリー「作品について

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