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2015年5月17日 この命題は可逆的にもまた正しく(2)

 以前に私は、「この命題は可逆的にもまた正しく」という記事を書いて、「小岩井農場」の最後近くに出てくるこの一行が、何を意味しているのかということを考えようとしたことがありました。
 そして最近になって、「賢治がトシの死の苦悩をどのように昇華したのか」ということについて考えるうちに、前回とはまた違う解釈の可能性についても思い至るようになったので、今日はそれについて書いてみます。

 まず、「小岩井農場」パート九において、この一行が出てくる前後の箇所を、引用しておきます。この賢治最長の詩が、これからクライマックスに差しかかるところです。

  ちいさな自分を劃ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない

 引用部分の下から4行目に、「この命題は可逆的にもまた正しく」が位置しています。
 ここにおいて、「この命題」と呼ばれているのは、その箇所に先立つ部分の内容を指しているわけですが、あえてそれを大ざっぱに単純化すると、この命題は次のようにまとめられるでしょう。

  1. 正しい願いに燃えて、自分と他人と全ての生き物と一緒に至上福祉に至ろうとするのが、本来の「宗教情操」である
  2. 1.を追求しようとして挫折した結果、その代わりに自分がただ一人の人だけとともに、完全に永久にどこまでも一緒に行こうとするのが、「恋愛」である
  3. しかし2.を目ざしても現実には、(完全に永久にどこまでもというような)その本質部分を達成することは不可能なので、無理にごまかして人をそのように動かす傾向が、「性欲」である
  4. 上記1.→2.→3.というモチベーションの系列は、様々な生物の種類に対応している

 「この命題は可逆的にもまた正しく…」という言葉は、(1)まず上記の命題が正しいとともに、(2)その「逆の命題」もまた正しい、という二つのことを主張しているわけですが、ではその「逆の命題」とは、いったいどのようなことなのでしょうか。

 これについて考えてみたのが、前回の記事でした。この時はいろいろと理屈をこねた挙げ句、「人間よりも高次の存在(生物)であっても、場合によっては頽落して人間と同等の存在になったり、さらに人間もより下等な存在に墜ちることもありえる」というのが、ここで言われている「逆命題」であろうと考えました。
 これは、上記の4.において、「モチベーションの系列」→「生物の種類」という対応関係を、「生物の種類」→「モチベーションの系列」という風に、「逆」に入れ換えるという解釈でした。このように理解すれば、「小岩井農場」のこの部分と、同日にスケッチされた「〔堅い瓔珞はまっすぐ下に垂れます〕」という草稿との、内的なつながりがすっきりと腑に落ちる、という事情もありました。

 これに対して、今回考えるのは、1.→2.→3.という「モチベーションの系列の順序」における、「逆」の方向性です。

 賢治が、1922年11月の妹トシの死の苦悩を、自らのうちに受け容れ、昇華していく過程において、一つの大きな画期となったのは、1924年7月に書かれた「薤露青」という作品だったと思います。
 その中でも、終わり近くに現れる次の箇所が、トシの死を賢治が新たに位置づける上で、とくに重要な意味を持っていると、私は考えます。

・・・・・・あゝ いとしくおもふものが
     そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
     なんといふいゝことだらう・・・・・・

 これ以前の賢治は、「いとしくおもふもの=トシ」が、「そのまゝどこへ行ってしまったかわからないこと」の苦痛に耐えかねて、あちこちでトシに呼びかけたり、トシとの「通信」を試みたり、翌夏にはその行方を追うようにサハリンまで旅をしたりしました。
 しかし、これらの試みの結果は空しく終わり、賢治の孤独は癒されませんでした。ところが、「薤露青」のこの箇所においては、「どこへ行ってしまったかわからないこと」が、それまでとは逆に、「なんといふいゝことだらう」と認識されるという、価値の転倒が行われているのです。
 この作品以前には、このように明確にトシの死を肯定的に位置づけたものは見当たりませんので、それで私はこの作品のこの箇所を、賢治にとっての一つの重要な里程標と考えるのです。

 ただここで、「いとしくおもふものが/ そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/なんといふいゝことだらう」と言われても、なぜそれが「いゝこと」であるのか、この論理には謎のような部分が残されています。こう言われただけでは、誰もすんなり同意できるものではないでしょう。

 そこで、「薤露青」の草稿を参照してみると、この引用部分は、最初の第一形態においては下記のように書かれていたことがわかります(『新校本全集』第三巻校異篇p.247)

・・・・・・あゝ いとしくおもふものが
     そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことから
     ほんたうのさいはひはひとびとにくる・・・・・・

 この形であれば、賢治の「論理」はかなり理解しやすくなっています。
 すなわち、「愛しく思う者がどこへ行ってしまったかわからない」という厳然たる事実があるからこそ、人はそれを諦念とともに受け容れざるをえず、そのおかげで「一人だけ」にいつまでも執着しつづけられなくなり、結果として人はふたたび「みんなの幸い」について考えられるようになる、というわけです。これは、たとえば「銀河鉄道の夜」において、カムパネルラを失った後にジョバンニが目ざすべき方向性として、作者が暗示していることでもあります。
 「どこへ行ってしまったかわからないことから/ほんたうのさいはひはひとびとにくる」という第一形態の方が、意味としては直接的でわかりやすいのは明らかですが、おそらく賢治としては、これではあまりにも教訓的に響いてしまうという懸念から、より抽象化して、「なんといふいゝことだらう」と改めたのではないでしょうか。

 さて、「薤露青」のエッセンスがここにあるとすれば、これは冒頭の「小岩井農場」の「命題」につながります。

 ずっとトシという一人の魂に固執しつづけ、その行方をいつまでも追い求めようとした賢治の行動のモチベーションは、上に1.2.3.として要約した系列の中では、2.「恋愛」に相当します。もっとも、賢治とトシの場合は「兄妹愛」であって、一般的な意味での「恋愛」とは異なりますが、「じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする」という、この箇所の定義には合致しています。(以前、「オホーツク行という「実験」」という記事では、賢治はトシとともに「死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらう」と常々考えていたということについて書きました。)
 ですから、ここでは「恋愛」を広義に解釈して、賢治がトシに示したような「個別的な愛」を含むものと理解しておきましょう。
 さて、小岩井農場の命題によれば、一人の人と「完全そして永久にどこまでもいつしよに行かう」という方向でいくら努力をしても、そこには避けられない限界が存在します。この限界にぶつかっても、それでも強引に人を衝き進めようとする傾向として現れるのが、3.の「性欲」でした。
 つまり、人間は往々にして、2.→3.の方向へと堕落してしまうというのが、ここでの賢治の考えです。

 これに対して、「薤露青」の草稿第一形態で示されている論理は、逆の方向性を指し示しています。
 すなわち、「いとしくおもふもの」が、その死によって「そのまゝどこへ行ってしまったかわからない」状態になってしまうということは、確かに上記の命題の2.にあるように、「完全そして永久にどこまでもいつしよに行かう」とする願望が、挫折させられることまさにそのものです。もとの命題では、そうなると 3.の方向への頽落が起こったのですが、しかし「薤露青」第一形態では、むしろそのことのおかげで、「ほんたうのさいはひはひとびとにくる」と言うのです。これは、命題における1.「至上福祉」に相当する状態です。
 つまりここでは、2.→1.という方向へと、逆の向きへの進展が起こるというのです。

 私が今回の記事において書いておきたかったのは、「時にはこのようにして、2.→3.ではなく、2.→1.という逆も起こりうる」という事態こそが、賢治が「小岩井農場」パート九に記した「この命題は可逆的にもまた正しく」という字句の意味だったのではないか、ということです。
 その次の行に、「わたくしにはあんまり恐ろしいことだ」と賢治が書いているのは、愛する人の魂が「どこへ行ってしまったかわからない」というのは、彼にとっては本当に心の底から恐ろしいことだからでしょう。それでも、「けれどもいくら恐ろしいといつても/それがほんたうならしかたない」のです。
 そしてこの現実を、「ほんたうならしかたない」と受容するおかげで、人間が「個的な愛」にとどまらず、そこを越えて「至上福祉」へ向かうという可能性も、開けてくるというわけです。

 ただ、このように「小岩井農場」のテキストを解釈することは、賢治の考えの時間的な変遷からして、はたして妥当なのかという問題は残ります。
 「小岩井農場」がスケッチされた1922年5月21日は、トシの死のまだ半年以上も前のことです。この時点では、もちろん賢治の考えが上記のようなものになっていたことはありえませんし、1923年8月の「オホーツク挽歌」の章の時期でさえ、彼はまだトシの死を上のように受けとめるには至っていませんでした。
 先にも述べたように、賢治が今日述べたような考えに到達したのが明らかなのは、「薤露青」の1924年7月を待たなければなりません。

 となると、1922年5月の日付のある「小岩井農場」に、このような思想を読みとろうとするのは、後からの勝手なこじつけなのかもしれません。
 それは、ひょっとしたらそうなのかもしれません。しかし、『春と修羅』に収められている「小岩井農場」にしても他の作品にしても、1924年4月における『春と修羅』出版の直前ぎりぎりまで、かなりの推敲が重ねられつつ思想的にも深化を続けていたということは、たとえば杉浦静氏が『宮沢賢治 明滅する春と修羅』(蒼丘書林)で明らかにしておられるとおりです。
 ですから私としては、1924年7月の「薤露青」から3か月ほど前の『春と修羅』刊行時点までに、すでに賢治の心の中ではトシの死の受容を通した個別的愛の乗り越えへという大きな変化が起こりつつあって、その変化が「小岩井農場」の最終形態に反映されたという可能性も、一概に否定はできないのではないかと思っている次第です。

written by hamagaki : カテゴリー「作品について

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