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2010年10月21日 第3回 花園農村の碑 碑前祭

 去る10月17日、山梨県韮崎市で行われた「第3回 花園農村の碑 碑前祭」に参加してきました。
 賢治の生涯最高の友人であった保阪嘉内の出身地、山梨県北巨摩郡駒井村―現在の韮崎市藤井町を、私は3年前の11月にも一度訪ねたことがありました。この時は、前月に除幕されて間もない「花園農村の碑」を見学するとともに、嘉内の関連地を訪ねるツアーにも参加し、周囲をめぐる美しい山々とともに甲州の秋を堪能したのでした(「保阪嘉内の故郷を訪ねて(1)」「保阪嘉内の故郷を訪ねて(2)」参照)。
 今回は、それ以来3年ぶりの再訪で、碑前祭も「第3回」になっています。

 16日(土)の夜遅くに甲府に到着して1泊し、翌日の午前は「山梨県立文学館」で開かれていた「井伏鱒二と飯田龍太 往復書簡 その四十年」展を見学しました。親子ほども年の離れた二人の文学者の、師弟愛というのとも異なった独特の信頼と尊敬のあふれる交友の、一コマ一コマが印象的でした。
 お昼ごはんは、甲州名物の「ほうとう」。小麦粉でできた超極太の「きしめん」的なものを、野菜たっぷりの味噌味のだしで煮込んだものです。ボリュームもあって深い味。

ほうとう

 それから、嘉内の生家にも近い「東京エレクトロン韮崎文化ホール」に向かいました。このホールの前庭に、「保阪嘉内 宮沢賢治 花園農村の碑」が建てられていて、そこで「碑前祭」が行われるのです。
 私たちが到着すると、もう会場の準備は整い、すでに加倉井さんや中野さんもはるばる来ておられました。「アザリア記念会」事務局長の向山さんが、甲府中学生の保阪嘉内を模した学生服を着て、迎えて下さいました。新村さんも、暖かいお言葉をかけて下さいました。

 まるで3年前にタイムスリップしたかのような懐かしさでしたが、当時植樹された小岩井農場の「銀どろの木」の成長が、現実に経過した歳月を物語ってくれていました。
 下の写真が、3年前の銀どろ。

銀どろの木2007

 そして下の写真が、今回の銀どろ。

銀どろの木2010

 指くらいの太さだった幹がこんなに立派になり、葉もたくさん茂らせていました。賢治の父の政次郎氏が息子の死後に回想して、「賢治は早死することを悟っていたためか、こうした早く大きくなる木を植えるのが好きだったもなさ」と、森荘已池氏に語ったという言葉を思い出します。

 銀河鉄道をかたどり、嘉内の言葉と賢治の言葉を連結した「花園農村の碑」は、変わらず黒光りして健在でした。

碑前祭会場

 碑前祭では、向山さんの司会のもと、「アザリア記念会」の清水会長や、韮崎市の副市長さんらの挨拶の後、「韮崎市民合唱団」による歌が披露されました。曲目は、嘉内の「アザレア」「藤井青年団団歌」、そして賢治の「星めぐりの歌」。

韮崎市民合唱団

◇          ◇

 碑前祭が30分ほどで終わると、会場を屋内に移して、盛岡大学の望月善次さんの記念講演です。
 先生のお話は、いつも自由闊達とした雰囲気に溢れ、賢治の人となりや作品に、新鮮な光を当てて下さる感じです。自らも短歌創作をされ、石川啄木の研究でも高名な先生は、限られた時間の中で、賢治と嘉内の短歌を具体的に挙げながら、特に嘉内の短歌の魅力について紹介して下さいました。
 今回、特に私の印象に残った望月さんのお言葉。

  • 「アザリア」時代の賢治は、とりたてて特別な存在ではなかった。4人を中心とした仲間が切磋琢磨しあい、賢治にとっても貴重な経験となった。
  • 賢治が生涯において「文学的自立」を図ろうとした重要なポイント、それは家出上京中に関徳弥に、「私は書いたものを売らうと折角してゐます」と書き送った時点である。
  • 賢治は、生涯において何度も挫折を経験するそのたびに成長していった。
  • (会場から、「現代においてなぜ賢治がこんなに人気があるのか」との質問に答えて) いろいろな見方はあろうが、一つは「多面的だから」。

 講演が終わると午後4時、帰りの電車に遅れそうになり、後ろ髪を引かれながら会場を後にしました。
 そうそう、最後に階段を降りる手前で、いつもお世話になっている signaless さんにお声をかけていただき、念願の対面をすることができました。

 韮崎は3年ぶりで、まだたった2回目の訪問にもかかわらず、まるで何度も来ている場所のように心もなごみ、温かい雰囲気にひたることができました。

 「アザリア記念会」の皆様、裏方の皆様、今回もお世話になりましてありがとうございました。

「保阪嘉内の歌曲とDTM(1)」

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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コメント



甲州名物「ほうとう」は私も大好物です。それと同じように、韮崎に来ると心がほっとして温まる気がして、いつも元気をもらえます。私も2年前に初めて韮崎を訪問して以来、すっかり引き寄せられてしまって、その中にとけ込んでしまいました。

お急ぎだったのに声をかけてしまいすみません。電車には間に合いましたでしょうか。

そうそう、会報のミクちゃんはとっても話題になっていましたよ。次号も楽しみにしています。
賢治がミクの歌を聴いたら、びっくりすると同時にとっても喜ぶのではないでしょうか。

投稿者 signaless : 2010年10月22日 10:05

 signaless さん、先日はありがとうございました。声をおかけいただいて、本当にうれしかったです。

 あの後じつは、予定していた電車には乗り遅れてしまったんですね…。いえいえ声をかけていただいたからではなくて、タクシーを呼んでから、来てくれるまでの時間の読みの甘さでした。
 でも、韮崎駅に着いてから経路変更して、身延線でなくて新横浜経由で帰ることにしたら、距離も遠回りなのに、(遅く出て)京都には予定より早く帰り着くことができました。
 不思議な現象ですが、なんかのミステリーのトリックにでも使えるでしょうか。

 ところで、人間の女性との交際は苦手だった賢治も、「ミク」のような仮想キャラクターだったら、「萌え」られるかも?w

投稿者 hamagaki : 2010年10月23日 01:56

いつも臨場感あるご報告ありがとうございます。
木の成長は特に時の流れを示してくれるのでありがたいです。

「賢治は早死することを悟っていたためか、こうした早く大きくなる木を植えるのが好きだったもなさ」

は痛切ですね。
賢治後半の人生にはこのことが常に脳裏か心中深くに引っかかっていたと感じます。このような思いは生きる決意や実践にに結びつくことでしょう。

ところでsignalessさん、会場でご活躍だったそうですね。とある筋からの情報で「緑いろの通信」を覗いてみました。多分あの写真のあの当たりの方が・・・余談です。

投稿者 mishimahiroshi : 2010年10月23日 07:13

ひぇ〜、「ご活躍」だなどとめっそうもない。ただうろちょろして皆の邪魔をしていただけのような気がします…。
「緑いろの通信」にギンドロの成長記録が載っていましたね。最初はあんなにひょろひょろだったとは…。大きくなって感慨深いです。どうぞ皆さん、そちらをご覧下さい!

投稿者 signaless : 2010年10月23日 18:51

 mishimahiroshi 様、いつもありがとうございます。

 この政次郎氏の言葉は、ほんとに胸に響きますね。息子を亡くしてからの長い年月、いろいろと息子の生涯のことを回想する中から出てきた言葉なんでしょうね。

 signaless 様は謙遜しておられますが、本当にご活躍だったですよ〜。その働きの板についたご様子から、私はてっきり地元の方とばかり思っていたところ、最後に声をかけていただいて、びっくり・・・。

投稿者 hamagaki : 2010年10月24日 18:45


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