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2010年5月27日 稗貫郡役所→「早池峰と賢治」の展示館

 「郡」という地域の単位は今でもありますが、「県」や「市町村」がそれぞれ自律性を持ったまとまり(自治体)であるのに対して、現在は「郡」が公的に組織として動くわけではなく、いくつかの町や村を包括する単なる地理的区分にすぎません。
 しかし、1890年(明治23年)に公布された「郡制」の規定では、「郡」とは「府県」と「町村」の間の自治体として、「郡長」が任命され、「郡会議員」も選挙されるという、れっきとした自治体だったのです。

 賢治が暮らしていた花巻では、今の花巻森林事務所のあたりに「稗貫郡役所」が置かれていました。下の写真は、1908年(明治41年)の稗貫郡役所です。

稗貫郡役所

 しかし町村にとって郡の存在は、自治の制約になる上に郡費は財政上の負担となるので反対も根強く、結局1923年(大正12年)に郡会が廃止され、1926年(大正15年)には郡長と郡役所も廃止されました。
 ついさっきまで真面目くさって仕事をしていた役所が、急に「廃止」になるとは、これは賢治の「猫の事務所」と同じですね。それでこの「稗貫郡役所」は、「猫の事務所」のモデルとも言われます。
 その後も上の建物は、花巻町・花巻市によって使われていましたが、1963年に旧・大迫町に払い下げられ、解体移築されて町役場の第二庁舎として使用されていました。それがさらに、2008年にもう一度移築され、「「早池峰と賢治」の展示館」としてオープンしました。下写真がそれで、先の連休に撮ってきたものです。

「早池峰と賢治」の展示館

 色はちょっと童話的になっていますが、上の写真と比べていただいたらわかるとおり、昔のままの造りですね。微妙にシンメトリーを崩した玄関や窓の配置が、本当にかわいらしい感じです。

 そして、この建物の2階に行くと、下のような立派な事務長さんが迎えてくれます。

事務長の黒猫

――事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはゐましたが、眼などは中に銅線が幾重も張つてあるかのやうに、じつに立派にできてゐました。(「猫の事務所」)

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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コメント



「現存する郡役所」というページがあるのですが、解体移築されたからでしょうか、そこには稗貫郡役所は載っていませんね。(日詰にあった旧紫波郡役所は残っています。)
http://www.jmam.net/matikado/gunyakusyo.html
ところで、――話は賢治から離れてしまいますが――稗貫郡役所がいつ建設されたかは調べていませんが、郡長・郡役所は、1878年の「郡区町村編制法」以来の制度で、1888年の「市町村制」、1890年の「郡制」以前からあります。〔だいたい郡役所は1878年以降、郡の中心地域に――だいたいこの区域は後に「市」になってしまうのですが――建てられたのが普通です。そして「市町村制」後、「市」ができ市域が郡から独立しても、郡役所は、郡に属さなくなった市にそのまま存続することが多かったようです。(花巻の場合は、花巻町が稗貫郡の中心だった時代(「市」になる前)に、「郡制」が消滅し、郡役所が用済みになってしまったわけですが)〕

ちょっと余談ですが、郡役所は、現存物しているものの歴史的遺産としての価値は別として、建築史的にも意匠の面などでも貴重なものが多いように思います。我が富山県の上新川郡の郡役所(これも、この郡の中心が市町村制で富山市となってから、も富山市内にありました。)は、ユニークな建築家として知られている瀧大吉(瀧廉太郎の従兄)の設計でした。なお、瀧大吉は、同時期、石川県から独立した富山県の県会議事堂も設計しています。
さらに余談ですが、「郡(郡役所、郡長、郡会)」はどういう歴史的評価をうけているのでしょうか。一般論としてはhamagakiさんの書かれた通りだろうと思うのですが、仔細に検討してみたいと思っています。私の住むかつての射水郡の場合、大正6〜8年にかけて郡長に、私も初めて聞いた時、信じられなかったのですが、南原繁が赴任しています。彼の事績については、現在とても残念なことですが地元では忘れられていますが、とても大きな足跡を残しています。射水郡立農業公民学校という風変わりな農学校を構想したのも南原でした(計画実現の直前に内務省に呼び戻されてしまうのですが)。
・・・以前「郡役所」についていろいろ調べたことがある関係で、ついついおしゃべりをしてしまいました。お許しを。

投稿者 かぐら川 : 2010年5月30日 00:29

愛知県の北西部に「明治村」という博物館があります。
博物館と言っても広大な敷地に明治時代の建物が散在しているテーマパークです。名古屋鉄道という私鉄が運営管理しており、森や池の自然とマッチしたいいところです。

面白いことに明治を代表する建築物はほとんど洋館なのですね。
先だって行ってきたのですが、そこには三重県庁などが移築されていました。案内の人の話ですと当時、西欧に追いつけ追い越せということで官公庁の建造物は西洋建築にすることが義務付けられたようです。
きっとこの郡役所もその理由から洋館なのでしょう。

明治村には啄木が住んでいた床屋さんや、漱石と鴎外が時を別にして住んでいた家、ラフカディオ・ハーン由来の駄菓子屋も保存されています。これらは庶民の建物で江戸時代からのものだと思われます。

投稿者 mishimahiroshi : 2010年5月30日 01:21

> かぐら川 様

 お久しぶりです。いつもブログ拝見させていただいてます。
 この稗貫郡役所の建物は、1902年(明治35年)に建てられたそうです。以前に疑問が出ていた(花巻川口町になる前の)「里川口町」に、ですね。下画像は、この建物の玄関脇に設置されている説明板の一部です。


 「郡」の歴史的評価に関して検討された暁には、ぜひまたご教示下さい。


> mishimahiroshi 様

 明治の頃から、官公庁の建造物は西洋建築にすることが義務付けられていたんですね。現代の建築も、もちろん美しいものがありますが、この頃の建物には、何とも言えない魅力を感じます。

 「明治村」というところは、私も話には聞いていて、一度行ってみたいと思っています。日本全国から、時間と空間を越えて建築物が集まっているというのは、きっと壮観でしょうね。

 今後ともよろしくお願いします。

投稿者 hamagaki : 2010年5月31日 01:53


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