← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →

2010年1月14日 神田区仲猿楽町

 図書館で調べもののついでに、1919年(大正8年)刊行の『白秋小唄集』という古い小さな素敵な本を見つけました。
 文庫本ほどの大きさで、ハードカバーの布装。表紙の縁は立体的に丸みを帯びています。

『白秋小唄集』(1)

『白秋小唄集』(2)

『白秋小唄集』

 すべてのページが、ご覧のようにアール・ヌーヴォー調の赤い蔓の図案で囲まれていて、お洒落ですね。装幀は矢部季という人で、北原白秋周辺の詩人だったようです。この人は他にもいろいろな本の装幀をしたり、後には資生堂の意匠部に入ってデザインの仕事をしています。あの資生堂のマークにも、ちょっと似た雰囲気を感じたり。

 「アルス」という出版社は、北原白秋の実弟・北原鐵雄の創業で、昭和初期に白秋の全集も出しています。奥付を見ると、その住所は、「東京市神田區仲猿樂町十五番地」とあって、これは賢治が1916年(大正5年)の夏に通った「東京独逸学院」の住所「神田區仲猿樂町十七番地」の、ほんの近くではありませんか。
 1916年当時はまだ「アルス」ではなく「和蘭陀書房」という名前だったようですが、中学生頃から北原白秋にも興味を持っていた賢治は、独逸学院の帰りなどに、この書房ものぞいてみたりしたでしょうか。

 (なお、「仲猿楽町」は慣用的表記で、正式には「中猿楽町」のようです。)

written by hamagaki : カテゴリー「雑記

トラックバック




コメント



賢治はこの詩の最初の部分を織り込んだ詩を書いているのですね。

しかし、この表紙、小学校の図書館にあった文学全集に似ている。気のせいかもしれませんが・・・。
もっとも古い小学校だったので古い本しかありませんでした。

投稿者 游氣 : 2010年1月16日 00:15

 游氣さん、こんばんは。
 はい、2枚目の「恋の鳥」は、『春と修羅』の「習作」に部分的に引用されています。

 「アルス」という出版社は、昭和2〜5年に『日本児童文庫』という76巻シリーズを刊行して、これは戦後昭和28年から改訂版が出たということですが、小学校で目にされたのが、そういうものだった可能性もあるのでしょうか。
 それにしても游氣さんは、小学生の頃から読書家でいらっしゃったんですね。

投稿者 hamagaki : 2010年1月16日 01:45

「東京独逸学院」の跡地を訪ねた際、「アルス」のそれも立ち寄ったはずです――というのはあらかじめ地図で場所を確認し訪問予定にしていたことは確かなのですが――が、なぜか具体的な記憶がありません。
これも不確かな記憶のままに書くのですが、アルスからはのちに賢治がチェロの練習用に使った本が、楽器シリーズの中の一冊として出ていたのではなかったでしょうか。そう言えば、オルガンの教則本もアルスだったですよね。

投稿者 かぐら川 : 2010年1月16日 02:00

 いつもありがとうございます。
 かぐら川さんは2004年2月に、仲猿楽町あたりも歩いて調べておられたのですね。

 チェロ教則本に関しては、「アルス」から出版された叢書『西洋音楽講座』の中の、平井保三著「ヴィオロン・セロ科」を、賢治が筆写したものが残っています。『新校本全集』の第十四巻に収録されていて、その「校異篇」には、「かなり丹念な筆写であるから、賢治は原本を購入したのではなく、どこかで借覧したのであろう」という推定が述べられています。

 またオルガンに関しては、賢治が元教え子の沢里武治あてに贈ったオルガンの本が、草川宣雄著『オルガン奏法の研究』(京文社)であったとの記載が、佐藤泰平著『宮沢賢治の音楽』にあります。
 賢治が用いていたオルガン教則本は不明ですが、佐藤泰平氏は、島崎赤太郎編『オルガン教則本・壱』(共益商社)だったと推測しておられます。賢治が歌詞を付けた「耕母黄昏」の原曲や、『新校本全集』第十四巻「本文篇」p.266に掲載されている賢治筆写楽譜が、この教則本には収録されているからです。
 ただ佐藤氏によれば、上記「アルス」の『西洋音楽講座』の中の「オルガン科」(草川宣雄)は、ほぼこの島崎の教則本によったものだということです。

投稿者 hamagaki : 2010年1月17日 17:07


コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)



← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →