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2009年7月 9日 西域の「騒乱」

 新疆ウイグル自治区のウルムチで起こったウイグル族と漢族の衝突では、公式報道で今日までに156人が死亡、1080人が負傷したと伝えられ、警察に拘束された人は1434人に上るとされています。また、ミュンヘンにある「世界ウイグル会議」は、死者の数を600人から800人と発表しています。
 いずれにしても、1949年の新中国発足以来60年の歴史において、当局が認めた「騒乱」としては最大の規模だということで、今後の行方が心配です。

 ところで「新疆ウイグル自治区」などと言うと、私たちにはあまり馴染みがない地域のような気がしてしまいます。しかし、このあたりは中国側が古くから呼ぶところの「西域」で、賢治の「西域もの」と言われる童話の舞台としても、しばしば取り上げられていたところです。詩にも、けっこう出てきます。

 作品の舞台を地図で確認してみたいのですが、日本や欧米を見る時には便利この上ない Google map も、中国領内となるとほとんど情報が表示されないので、下に簡単な地図を作ってみました。黄色く色づけしてある範囲が、「新疆ウイグル自治区」です。

新疆ウイグル自治区

 北はアルタイ山脈、南は崑崙山脈によって挟まれた新疆は、中ほどを東西に走る「天山山脈」によって、大きく2つの地域に分けられます。
 「南疆」と呼ばれる天山以南の地域には、中心にタクラマカン砂漠を抱くタリム盆地があります。南疆では、古来より砂漠の周縁に点在するオアシス都市が栄え、シルクロードの中継点として重要な役割を担っていました。
 一方、北疆と呼ばれる天山以北の地域にはジュンガル盆地があり、こちらには緑豊かな草原地帯が広がっています。
 このように、3つの山脈と、それに区切られた2つの盆地によって形成されていることから、新疆の地形は、ちょうどその「疆」の字の右側のようだとも言われるそうです。

◇          ◇

 さて、まず「天山山脈」は、「春と修羅」において、

砕ける雲の眼路をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ

として登場しましたね。
 『春と修羅 第三集』の「饗宴」という作品には、

 ……われにもあらず
   ぼんやり稲の種類を云ふ
   こゝは天山北路であるか……

という一節もありました。「天山北路」とは、上の地図でトルファンからウルムチ、イリを通るシルクロードの一部です。西域で賢治が好きな場所の多くは、むしろ「天山南路」に沿っていたようなのですが、農民同士の宴会で疎外感を味わっている賢治は、よほど知らない場所に迷い込んだような気持ちだったのでしょうか。

 また、「小岩井農場(下書稿)」には、

向ふから農婦たちが一むれやって来る。
実にきちんと身づくろってゐる。
たしかにヤルカンドやクチャールの
透明な明るい空気の心持ちと
端正なギリシャの精神とをもってゐる。
みんなせいが高くまっすぐだ。
黒いきものも立派だし
白いかつぎもよく農場の褐色や
林の藍と調和してゐる。

という一節がありました。農婦たちを西域の女性に喩えているところですが、ヤルカンドは「莎車」、クチャールとは上の地図では「クチャ(庫車)」のことで、古くから西域においては、「ハミの瓜、トルファンの葡萄、クチャの女」と言われ、クチャは女性の美しいところとして有名だったのだそうです(金子民雄著『宮沢賢治と西域幻想』より)。ヤルカンドもクチャも、賢治作品において重要な場所のようで、後でもまた出てきます。
 また同じ「小岩井農場(下書稿)」には、

さっきはこゝで小さな
透明な魂の一列を感じました。あれはどこの人たちですか。
いまはあなた方を見たのです。
あなた方はけれどもまだよく見えません。
眼をつぶったらいゝのですか 眼をつぶると天河石です、又月長石です。
おゝ何といふあなた方はきつい顔をしてゐるのです
光って凛として怖いくらゐです。
羅は透き うすく、そのひだはまっすぐに垂れ鈍い金いろ、
瓔珞もかけてゐられる
あなた方はガンダラ風ですね。
沙車やタクラマカン砂漠の中の
古い壁画に私はあなたに
似た人を見ました。

という箇所もありました。ここにも沙車(正確には莎車)が出てきます。

 『春と修羅 第二集』の「葱嶺(パミール)先生の散歩」の最後は、

さう亀茲国の夕陽のなかを
やっぱりたぶんかういふ風に
鳥がすうすう流れたことは
出土のそこの壁画から
ただちに指摘できるけれども
沼地の青いけむりのなかを
はぐろとんぼが飛んだかどうか
そは杳として知るを得ぬ

と終わりますが、ここに出てくる「亀茲国」とは、先に出てきたクチャ(庫車)のことです。古い時代、『漢書』-「西域伝」などでは、ここは「亀茲」と表記されていたのだそうです。賢治が、なぜこのクチャあるいは亀茲に興味を抱いたのか、金子民雄氏の推測によると、この地は賢治が愛読した『漢和対照 妙法蓮華経』の、漢訳部分を訳した高僧「鳩摩羅什」の生地だったからではないか、ということです。


 さて童話には、賢治自身が「雁の童子」の原稿の題名の右方に、赤インクで「西域異聞〔とも云ふべき(削除)〕/三部作中に/属せしむべきか」と記入した「三部作」があり、具体的には「マグノリアの木」、「インドラの網」、「雁の童子」の3つと推定されています。
 「マグノリアの木」には、具体的な地名は登場しませんが、「インドラの網」において主人公の私は、「于闐大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人の子供」に出会います。「于闐(コータン)」とは、現在の「ホータン (和田)」のことです。

 「雁の童子」は、流沙の南の泉のほとりで出会った老人が、「沙車に、須利耶圭といふ人がございました。」と語り始める物語です。沙車(莎車=ヤルカンド)は、これまで何度も出てきましたね。

 上に見ていただいたように、いくつかの作品に共通するのは、「南疆」地域の、クチャ(庫車)=亀茲国、あるいはヤルカンド(莎車)、于闐(コータン)、またはタクラマカン砂漠などの、いずれかの場所から掘り出された「壁画」と、そこに描かれていた「童子の姿」というモチーフです。当時おそらくそういった出来事があったのでしょうし、それが賢治のイメージをかき立てたのでしょう。

◇          ◇

 と、このように見てくると、「新疆ウイグル自治区」も、何となく身近な感じがしてきてしまいます。
 どうか一日も早く、平和と自由が回復されることを、祈ります。

written by hamagaki : カテゴリー「雑記

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コメント



耕生です。

新疆ウイグル自治区の詳細な解説、ありがとうございました。勉強になります。

改めて宮沢賢治の西域熱を考えてみると、西域に異常なほどの関心を示していることに驚かされます。そこで少し調べてみると、明治から大正にかけての時期、西域で歴史的発見が相次いでいます。代表的なものが敦煌での大量の仏教写本の発見(1900年)であり、我が国では大谷光瑞を隊長とする大谷探検隊の活躍(1902年-1914年の間に、前後3次の探検)などです。

この探検調査では霊鷲山やマガダ国の首都王舎城の地理的特定(1903年)や敦煌写本の入手(1914年)も相次いでなされており、日本仏教界の熱狂は近現代の人類月面着陸あるいはトロイ遺跡の発見並だったのではないかと察せられます。

当時、中学生時代だった少年賢治もそんな空気に浸って西域に夢をはせたのでしょうか。

賢治のみならず、なんとなく日本人の郷愁をさそう西域。その西域では古くに仏教が伝来、その後イスラム教が伝わり、唐や清の支配の後、現在は中国共産党というか漢民族の支配に窮屈な思いを強いられているのかもしれません。西域での一日も早い平和の到来を願わずにはおられません。

投稿者 耕生 : 2009年7月12日 11:15

 耕生様、こんばんは。

 私も、「西域」というと何とも言えない憧憬をかきたてられる人間です。
 はるかシルクロードの彼方、貴重な文物をもたらしてくれた異境…。奈良時代やそれ以前からの日本人の西域への憧れが、今もこの国のどこかに流れているのかもしれません。

 賢治が明らかに読んだであろう西域関連の文献としては、作品中に名前が登場する『トランスヒマラヤ』(スウェン・ヘディン著)がありますが、金子民雄氏は、サー・オーレル・スタインの探検記や、ご指摘の大谷探検隊の橘瑞超の『中亜探検』などを読んでいたのではないかと、推測しておられるようです。
 作品中の描写を見ていると、賢治も本当に西域に強い憧れを持っていたことが伝わってきますね。

投稿者 hamagaki : 2009年7月13日 01:00


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