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2008年7月27日 ミヤケンと歩く京都地図(1)

 「ミヤケンと歩く京都地図(1)〜1916年修学旅行篇〜」というのを作ってみました。まずは、一度お試しください。

 ブラウザは、できるだけ広い画面にして見ることをお勧めします。宮澤賢治それでも、説明が書いてある「吹き出し」が、切れてしまう場合があるかもしれません。そのような際は、地図面をマウスでドラッグして、動かしてみてください。
 左上の縮尺切り替えボタンの[−]を押して、よりマクロな視点で眺めてみたり、右上の「航空写真」ボタンを押してみたりするのも、面白いかもしれません。

written by hamagaki : カテゴリー「伝記的事項」「賢治紀行

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コメント



hamagakiさん、「ミヤケンと歩く京都地図」の作成お疲れ様でした。
早速、一緒に歩いてみましたが、聞きしに勝る強行軍が実感されました。たいへんありごとうございます。

さて、若者たちはきっとお腹も空いたことでしょうね。
旅に食事はつきもの。当時の京都でどんな食事やおやつを食べたのかも興味あるところです。
「ゆきねこ」さんの手を借りたいものですね?


投稿者 つめくさ : 2008年7月28日 09:35

hamagakiさん、ありがとうございます。

素敵な地図ができましたね!
もう、びっくりです。
賢治達はほんとにたくさん歩いたんですね。
いつか賢治と同じ旅路をたどってみたいと思います。
夏じゃないほうがよいですね(笑)

あっぷるすくらっふ改め、signalessとなりました。どうぞよろしくお願いします。

投稿者 signaless : 2008年7月29日 09:06

 つめくさ 様、signaless 様、こんばんは。

 試行錯誤しながらの作成に、けっこう手間と時間がかかったのですが、ご覧いただけて光栄です。
 しかし、それでもパソコンの画面が小さいとなかなかスムーズに動いてくれませんし、IE とか Firefox とか Safari とか Opera とか、ブラウザが異なるごとに表示が微妙に異なるので、あれこれチェックしだすときりがありませんでした。

 とまあ、愚痴はこのくらいにして、当時の修学旅行生が京都でどんな食事やおやつを食べたのか、確かに興味津々ですね。
 じつは私は、おそらくこのおやつを食べたのではないかとひそかに思っている物が一つあって、それは「万甚」の隣にあって現在も営業を続けている「中村軒」の、明治創業当時からの名物、「かつら饅頭」です。
 桂橋を往き来する旅人には人気があったというお饅頭で、賢治たちは「万甚」に朝6時に着いて、おそらく朝食をとり、近くの「府立農林学校」には9時に着いていますから、その間には時間的余裕があったはずです。で、少なくとも食いしん坊の学生なら、隣で繁盛しているこの店を見逃すはずはなかっただろうと思うのですが・・・。

投稿者 hamagaki : 2008年7月30日 02:07

ご紹介の中村軒「かつら饅頭」は説明も素朴な風合いですね。
また、「米饅頭」に「麦代餅」とは、いかにも盛岡高等農林学校生にぴったりな感じもします。

子供の頃の夏休み、母の実家で農作業を手伝った休憩時間には、おやつに「きび団子」をもらいました。
田の畔で仰いだ夏の青空が思い出されます。

「あゝいゝな、せいせいするな」

投稿者 つめくさ : 2008年7月30日 08:17

おもしろいですね!。

京都の賢治、しかも19歳の学生賢治にとっての京都……。賢治の生活史を追うなかで“賢治と岩手”“賢治と東京”、それぞれの地勢が《賢治の形成》にあたえた影響は論じられてきましたが、賢治とイメージ的に無縁、疎遠と思われる「京都」を賢治のなかに見つけていく試みは、とてもスリリングです。hamagakiさんの開拓的ないくつもの労作あらためて読ませていただきたいと思います。

投稿者 かぐら川 : 2008年7月30日 23:16

 かぐら川 様、こんばんは。
 過分なお言葉に恐縮です。

 宮澤家一族の「始祖」とされる人が、京都にいた藤井将監という人で、江戸時代初期に京から花巻に移り住んだということです。もとをたどれば、京都とも縁があったわけですね。
 できれば、藤井将監氏が、京都のどこで何をしていたのかも知りたいと思うのですが、これはなかなか難しそうです。

投稿者 hamagaki : 2008年8月 4日 01:02


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