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2008年2月 8日 「公衆食堂(須田町)」について(1)

 「「東京」ノート」に記されていた、「公衆食堂(須田町)」と題された作品があります。「一九二一年一月より八月に至るうち」という見出し(?)のもとに、◎印で区切られた断章のようなものが多数並んで記されている中の一つですが、これには題名が付けられているので、いちおう独立した一つの詩作品と見なしてよいものでしょう。
 下記が、その全文です。

    公衆食堂(須田町)

あわたゞしき薄明の流れを
泳ぎつゝいそぎ飯を食むわれら
食器の音と青きむさぼりはいともかなしく
その一枚の皿
硬き床にふれて散るとき
人々は声をあげて警しめ合へり

 人生には、いろいろな「食事の風景」というものがありえます。よく、「食事は人とのコミュニケーションの象徴である」と言われ、ホームドラマで食事場面がしばしば登場するのも、それが人間関係における何かを表現する、格好の舞台設定となるからでしょう。
 で、賢治を含むこの「公衆食堂」での食事風景から感じられるのは、まず何より「都会の孤独」です。時刻は日も暮れてきた夕刻、客は仕事や学校を終えた労働者や学生なのでしょう。みんな慌ただしく黙々と飯を食っている様子を、賢治は「いともかなしく」と描写します。
 しかしその孤独の一方で、2行目に「われら」という一人称複数の視点が出てきます。おそらく賢治は知人と一緒に食事に来たわけではなく一人なのだと思いますが、この「われら」とは、偶々この朝に、食堂で一緒に「飯を食む」ことになった者全体を指すのでしょう。また最後の行で、周囲から飛んだ「警しめ」の言葉とは、「気をつけろ!」とか「もっと落ち着いて食え!」などだったのかもしれませんが、一見すると殺伐とした食事風景ながら、ドジを踏んだ者を「罵る」のではなく「警しめ合」うというところにも、この食堂に会した他人同士の間に通じている、何かの「仲間意識」のようなものを私は感じるのです。
 つまり、この場末の食堂にあるのは、群衆の中の孤独であるとともに、その都会で懸命に日々を生きつつ今夕たまたま一緒に飯を食っている者同士の、そこはかとない「連帯感」でもあるのです。

 「「東京」ノート」に記されている見出しの日付(「一九二一年一月より八月」)からすると、これは賢治が家出上京していた頃の情景かと思われます。田舎から独り東京へ出て来た賢治は、このように急ぎ食事をとっては家に帰る日常において、「本当に都会で一人暮らしをしている」ということを、心から実感したのではないかと思います。


 ところで、この作品の舞台となった「食堂」がいったいどこだったのかということが、どうしても気になるところです。作品の題名には、賢治がわざわざ(須田町)と記入していることから、これは大正末期から東京でチェーン展開を行っていた、「須田町食堂」ではないかという説があります。
 当時、「須田町食堂」を経営していた「聚楽」という会社は、実は現在もホテルやレストランを多数経営している大会社ですが、ちょうど最近になって、懐古的にまた「須田町食堂」という名前をリバイバルさせて、秋葉原に店舗を出しているところです。

須田町食堂

 上の写真は、私が以前ちょっとしたついでに、その新版「須田町食堂」に行ってみた時のものです。入口に出てきておられるウェイトレスさんがメイドの格好をしているのは、「ここが秋葉原だから」ではなくて(笑)、単にレトロ調の雰囲気を出すためでしょう。
須田町プレート この時に私が食べたのは、右の「須田町プレート」というメニューでした。チキンライスに、ポークソテー、小さいグラタン、ズッキーニや茄子の南欧風の炒め物、サラダ、カップスープが付いたものです。
 これは「大人のお子様ランチ」というコンセプトのようで、味はまずまずでしたが、1800円という値段は、立地条件にもよるのでしょうか。お店は、「秋葉原UDX」という、駅からすぐ近くの近未来的な雰囲気のビルに入っていたのです。

 ただ、いろいろ考えてみると、賢治の「公衆食堂(須田町)」の舞台となったのは、この食堂の前身の「旧・須田町食堂」ではなかっただろうと、私は思うのです。
 そのあたりについて、また次回に書いてみたいと思います。

 鍵になるのは、「公衆食堂」とはいったい何なのか、ということです。 

[ つづく ]

written by hamagaki : カテゴリー「作品について」「伝記的事項

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コメント



須田町界隈は、会社の近所と言うこともあり、散歩がてらよく出掛けます。空襲にも焼けず、貴重な建築物が残っていた地域ですが、最近ではかなり変わりました。須田町は万世橋駅の最寄りの町だから、賢治先生の時代はさぞ賑やかだったでしょうね。公衆食堂の行方、次号が楽しみですが、私はハイカラな賢治先生なら、今も残る隣町、淡路町の洋食「松栄亭」なんかで、洋風カキアゲなんかを食していたら、面白いと思うのですが…。

投稿者 塩見 : 2008年2月 9日 02:50

 塩見様、こんにちは。
 須田町の近くで、お仕事をしておられたのですね。万世橋を渡った秋葉原にある、現代の「須田町食堂」は、上の記事のとおりでした。わざわざ散歩の足をのばしていただくほどではないかもしれませんが・・・。

 実は私は一昨日に国会図書館で、昔の「須田町食堂」や「公衆食堂」についてちょっと調べてみたので、またつづきに書いてみようと思っています。

投稿者 hamagaki : 2008年2月 9日 19:53

こんばんは。

いつも本題から少し外れた内容ばかり書き込んで、すみません。

例え、そこが個々が時間に追われただ黙々とご飯をのどに流し込むだけの大衆食堂であれ、他には…私が思いついたのは「学食」なのですが、食堂に集っているというだけで、大きく大きく括ると「(お互い食事をする=)家族…?」、hamagakiさんのお言葉をお借りすると「この食堂に会した他人同士の間に通じている、何かの「仲間意識」のようなもの」だと思うのです。

が、現在、「最近の若い者は…」とはあまり言いたくないのですが、電車で食事をとっている姿をよく目にします。そこには、「一緒に食事をする」という他人同士の「仲間意識」さえ存在しなくて(たまには友人同士和気あいあいと食事としていますが…)、なんというか、現在を象徴しているというか、「疑似家族」の姿も存在せず、本当に無造作に車にガソリンを補給するかのような、わずかな文化も入り込む余地のない殺風景なものとして映るのです。

…昔の大衆食堂の方が殺伐としていたでしょうし、電車の中での食事風景には余裕さえ窺えるのですが、大衆食堂の風景の方が「文化」が存在すると感じるのは私だけでしょうか?

私より若い方にもいろんな人がおりますから、ステレオタイプに「最近の…」というべきではないでしょうが、どんどん生活が無機質なものになってきていると感じるのです。

大衆食堂や今ならファーストフード店で食事することもままならず、移動時間に食事をする、(女性は化粧をしていたりもしますね…)その気になれば時間はいくらでも作れるのかも知れませんが、若い人に限らず、食事や身支度などに費やす時間を惜しんでいるその姿は人間の生活から「文化的な要素」をどんどん奪っていっているように感じます(単に公衆マナーが欠如しているだけとも言えますが…)。

…思いすごしのようにも感じますが(特に大衆食堂の一風景からここまで飛躍させるのは無理があるかも知れませんが…)、昔よりも文明が発達して、時間的余裕が生まれるハズなのに、逆にどんどんいろんな予定を詰め込んで時間に追われるような生活を送ってしまっている現在人は、とても勿体ない生き方をしているように感じます。

投稿者 megumi : 2008年2月 9日 20:36

 megumi 様、貴重なコメントをありがとうございます。

 「(お互い食事をする=)家族…?」ということについて、『大衆食堂の研究』(三一書房)という本の中に、次のような一節がありました。これは、昭和三十年代の「大衆食堂」の様子を描写したものです。

 食堂の家族がいて、黒い学生服を着た男、汗をたっぷりかいた印半纏の男、油のにおいがする作業服の男、白い開襟シャツの会社員、東京育ちのやつも上京したてのやつも、いろいろな欲望をかかえて、みーんな一緒にめしをくった。この雰囲気が、いまどきの東京にはないね。

 この本の著者の遠藤哲夫という人は、megumi 様の言われる「(お互い食事をする=)家族…?」のことを、全く同じ発想で「食堂の家族」と表現しています。そしてまた megumi 様と同様に、一見殺伐としている昔の「大衆食堂」の方に、「文化」があったと考えているようです。

 ご指摘の問題は、「個食」(=個人での食事)および「孤食」(=孤独な食事)などと表現される、現代の食生活のあり方に関係しているのでしょう。
 ある時代までは、ほとんどの子供にとって「食事」とは、母親が調理してくれた食べ物を、家族みんなで食卓を囲んで一緒に食べるものでした。しかし、時代が下るとともにこんなホームドラマのような食事風景は徐々に崩れていきます。
 まず高度成長時代の父親は、仕事で遅くなるために、他の家族と一緒には食べられないのが当たり前になっていってしまいます。それから当の子供自身も、学校から帰るとすぐ塾や習い事に行かなければいけなくなって、一人で先に食べるとか、あるいは塾から帰ってから遅く一人で食べざるをえなくなります。何人か子供がいても、それぞれが独自のスケジュールで行動しなければならないことが、しばしばです。
 すなわち、「家族一緒の食事」が徐々に解体して、平日は時間的にバラバラに食事をとることが新たな習慣になっていったのです。これが、「個食」「孤食」と呼ばれる現象ですね。

 このようにして、基本となるべき「家庭における食事」においても、「家族」としての共同性が徐々に稀薄化していったのですから、個人が外食をする際に、その背景に「疑似家族」のような仲間意識が存在しなくなっていったのは、事の成り行きとしては当然のことなのかもしれません。
 これは、ご指摘のように、一つの「文化」が失われたということでしょう。そしてこれは文化上の問題にとどまらず、たとえば現代における「摂食障害」の増加とも、奥でつながっているのではないかと私などは考えているのですが、これはあまりにも本題からはかけ離れた話になっていってしまいますので、この辺でやめておきます。

 このたびは、意義深いご指摘をありがとうございました。上で引用した『大衆食堂の研究』の一節は、今回の記事の「続き」を書く際に、触れようと思っていたところです。

投稿者 hamagaki : 2008年2月10日 11:27

hamagakiさま

早々のお返事、ありがとうございます。
…いつも何か所か誤字脱字があるのですが、「現代」と書きたかったのに「現在」になってしまっていました。
そして、「公衆食堂」を疑いもなく「大衆食堂」と読み違えていましたし…いやはや、失礼いたしました。

投稿者 megumi : 2008年2月11日 00:28

 megumi 様、ご丁寧にありがとうございます。

 今も時折見かける「大衆食堂」と、昔の「公衆食堂」とは、おそらく共通した雰囲気があったのだろうと思います。
 私もそうですが、いちおうまだ昭和の頃に一人暮らしの学生時代を送ったことのある者にとっては、「大衆食堂」にノスタルジアを感じてしまいますし、そこに「家族的」な雰囲気が流れていたことを思い出します。

投稿者 hamagaki : 2008年2月12日 00:00


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