← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →

2007年12月23日 うさぎの心

 「兎角亀毛」という言葉があって、『楞伽経』など仏典においては、兎に「ツノ」がなく、亀に「毛」がないのと同様に、「実在しない物」のたとえとして使われるのだそうです。
 一方、「とかく」とか「とにかく」という副詞を、「兎角」「兎に角」と表記するのは、夏目漱石に始まったという説もありますが、こちらはまったくの「当て字」です。動物の兎や、その「ツノ」には、何の関係もありません。

 さて、賢治が家出上京をする直前の1921年1月中旬(推定)に、保阪嘉内にあてた[書簡181]に、次のような部分があります。

保阪さん。もし、あなたに「信じたい」といふ心があるならそれは実に実に
大聖人の御威神力があなたに下ってゐるのです。(中略)
この時あなたの為すべき様は まづは心は兎にもあれ
                   甲斐の国駒井村のある路に立ち
                   数人或は数十人の群の中に
                   正しく掌を合せ十度高声に
                  南無妙法蓮華経
                   と唱へる事です。
決して決して私はあなたにばかりは申しあげません。実にこの様にして私は正信に入りました。竜ノ口御法難六百五十年の夜(旧暦)私は恐ろしさや恥づかしさに顫えながら燃える計りの悦びの息をしながら、(その夜月の沈む迄座って唱題しやうとした田圃から立って)花巻町を歩いたのです。(中略)
その夜それから讃ふべき弦月が中天から西の黒い横雲を幾度か潜って山脉に沈む迄それから町の鶏がなく迄唱題を続けました。

[書簡181](保阪嘉内宛て) 恥ずかしながら、私はついこの間まで、この手紙の中の「まづは心は兎にもあれ」という部分を、「まづは心はウサギにもあれ」と読んでいたのです。
 兎というのは憶病な動物ですから、賢治自身が初めて「南無妙法蓮華経」と唱えながら花巻町を歩いた時、「私は恐ろしさや恥づかしさに顫えながら」という気持ちであったように、嘉内もそういった「兎みたいに怯えるような心持ち」になるかもしれないけれど、「まづは」自分の故郷の路で声高く唱題をしてみなさい、と勧めているように思っていたのです。
 しかし、ふと気づいてみると、「兎にもあれ」とは、冒頭に触れた漱石流の当て字であって、「とにもあれ」と読むのですね。「とにかく」と「ともあれ」を一緒にしたような感じでしょうか。「心の中身はどうでもよいから、とにかくまず、群衆の中で唱題をするという<行動>をしてみなさい」と、強引に勧めているわけでしょう。

 この賢治の主張は、家出上京後の[書簡186](1月30日)においては、

けれども、それでは、心はとにかく形だけでそうして下さい。国柱会に入るのはまあ後にして形丈けでいゝのですから、仕方ないのですから
   大聖人御門下といふことになって下さい。
全体心は決してそうきめたってそう定まりません。

と述べていることに、相当しています。上の手紙では「心はとにかく」と書かれていますが、これが前の手紙においては、「心は兎にもあれ」だったわけですね。
 この頃の賢治は、嘉内に執拗に入信を勧めるにあたって、しきりに「心」と「形」について論じています。上の手紙のまた次の[書簡187]においては、

この上はもはや私は「形丈けでも」とは申しません。なぜならあなたにやがて心と形と一諸に正しい道を旅立たれるその日が近く、いや最早その日になってゐるからです。

と、さらに一歩踏み込んでいます。

 ということで今回は、お恥ずかしい「思い込み」に関する告白でした。
 ところで下の写真は、先月に保阪嘉内の故郷を訪ねた折、案内して下さった向山三樹さんが、「もしも賢治の勧めどおり、嘉内が故郷の路上で唱題をしたとすれば、それはこの場所だっただろう」とおっしゃっておられた所です。嘉内の生家のすぐ近くで、旧駒井村の中心部の「辻」です。

旧駒井村中心部


 それから、記事のタイトルを「うさぎの心」としたので、あと「蛇の足」を一本だけ。

 兎はたんに憶病なだけの動物ではなくて、仏教説話「ジャータカ」や「今昔物語」に収められている「月の兎」というお話においては、別の面も見せています。詳しくは、「Wikipedia-月の兎」や「生活の中の仏教用語(大谷大学)-月の兎」をご参照いただくとして、ともかく兎は、ふだんは力弱いようでいて、いざとなったら「捨身」という最高に大胆な功徳を行う心も、持っていたというわけです。
 これは、いかにも賢治が好きそうなお話ですが、童話「貝の火」において、他ならぬ兎の子であるホモイが、溺れていたひばりの雛を「捨て身で」救うことなどを連想します。
 また、自己犠牲の末に身体が燃え上がるところ、天に昇って月(星)になるところなどは、「よだかの星」に通ずるようでもあります。

 賢治の初めての路上唱題行も、月夜の晩であったことは、上の手紙が示してくれていました。

written by hamagaki : カテゴリー「伝記的事項」「雑記

トラックバック




コメント



いつも、貴重なご意見や資料を、どうも、ありがとうございます。
こんなに、簡単に、知ることができ、感謝すると共に、幸せを感じます。

大きな声ではないですが、十回唱えております。

家のお経は長いので、時間のない時は、般若心経で、思い出した時に、南妙法蓮華経です。

「月のしづく」という話を少し、新聞で、読みましたが、もともと、神話から、きた話だったと、思います。
似てますけど、「月の兎」とは、違いました。

投稿者 雲 : 2007年12月25日 12:41


コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)



← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →