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2007年8月13日 八方山へ

 NHKの朝ドラ「どんど晴れ」の終わりには、「岩手を旅する」と題して岩手県内各地の名所が一瞬だけ映されますが、今朝の映像は、花巻駅前の「風の鳴る林」でした。

 それはさておき、今日は花巻市の南西郊外にある、「八方山(716.6m)」に登ってみることにしました。
 この山に登ってみたかったのは、八方山が賢治の選んだ「経埋ムベキ山」の一つでもあることもありますし、それから八方山の山頂には、現在は太田地区の「清水寺」に祀られている観音像が、もともとは安置されていたという謂われがあるのです。伝説と史実の境界は不確かですが、それでも花巻近辺で一、二を争う古刹である清水寺よりも先輩となると、かなり古くからの「霊地」だったのではないかと思われるからです。

 八方山の登り口は、「高村山荘」の少し南にあって、花巻の市街地からは約10kmの道のりです。おまけに、市街地から西に行くにつれて、少しずつ上り坂になっていますから、自転車で行くとけっこう疲れるのです。しかし、他に適当な交通手段もないので、駅前のレンタサイクル店で自転車を借りて、8時半頃に駅前を発ちました。
 途中、いろいろ写真を撮りながら、豊沢川を「太田橋」で渡って、あとは一路西へ向かいます。近づいていくと、八方山は下のような様子です。

八方山

 途中で道を間違えたりしたので、登山口に着いたのは10時頃になっていました。木蔭に自転車を停めて、最初はだらだらした坂を登りはじめます。
 いくつかのピークを越えて、頂上が近づくとかなり急な坂道になって、相当ばててしまいました。休み休み足を運んで、お昼もかなりまわった頃に、やっとのことで頂上にたどり着きました。頂上から、花巻方面を眺めると、下のような感じです。残念ながらちょっと靄がかかっていますが。

八方山頂上からの眺め

 そして私のお目当てだった山上の祠は、下のような小さなものでした。

清水観世音堂之跡

 「祠」だけがあって、中身は空っぽです。そして傍らには、「清水観世音堂之跡」と記した石柱が立っていました。

 昔この場所にあったという「観音像」も、坂上田村麻呂に由来するという伝説を持っていて、田村麻呂が蝦夷の強い抵抗に遭い、戦いに難渋している時、この八方山の頂上に観音像を安置したところ、戦況がにわかに好転して、彼は蝦夷を「平定」することができたというのです。田村麻呂が帰京後、807年に「一宇梵刹を建立」したということです。
 しかし、一方の「清水寺」の方も、807年に坂上田村麻呂の創建という「由緒」を持っていますから、本当のところがどうだったのかはわかりません。
 私が思うには、「坂上田村麻呂」との関連づけは、どちらの場合も後代の創作の可能性が高いでしょうから、(1)八方山は、霊地として古くから観音か何かが祀られていた、(2)清水寺も、それとは独立して、名の通りその湧き水が信仰を集めていた、(3)その後いつの時代か、山奥の八方山よりも清水寺の方が隆盛を極めるようになり、八方山に祀られていた信仰対象は、清水寺に「勧請」された、というようなところなのではないでしょうか。

 賢治の作品において八方山は、「〔甲助 今朝まだくらぁに〕(下書稿(四))」において、「いまどの辺で伐ってるのかな/八方山の北側か/ずゐぶん奥へはいったな」などとして登場します。また、賢治自身が八方山に登ったことがあったのかどうかはわかりません。
 しかしこのように、山そのものの姿として目立つところもなく、また賢治自身がとくに愛着を感じていたわけでもなさそうな山が、「経埋ムベキ山」に選ばれている根拠としては、やはり以前に「経埋ムベキ山」のページにも書いたように、「その山が持っている宗教的意義」というものも、選択にあたって一つの要素として重視されたのではないかと思います。

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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