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2006年9月24日 演題発表およびバラ園

 昨日は、なんとか発表を終えた気のゆるみもあり、温泉につかってテレビで阪神戦や映画を見て、ブログの更新もせずに寝てしまいました。

 ということで、まず昨日の報告から参りますと、午前中にイーハトーブ館であった「研究発表」では、泥縄式の前夜の準備も間に合って、無事20分で発表をすませることができました。会場からもいろいろ有意義なご指摘をいただきましたが、なかでも原子朗さんからは、フロアからの質問とともに休憩時間にも励ましの言葉をいただいて、感激しました。
 「『黒と白との細胞』による千億の明滅」というタイトルで私がお話したのは、ほんの小さな一つの論点と推測にしかすぎませんが、これをきっかけにして会の終了後も、いろいろな方々に暖かいお声をかけていただいたことは、望外の幸せでした。

 お昼には、会場に聴きに来てくださっていた旧知の賢治つながりの仲間とも一緒に「山猫軒」で食事をした後、私と妻はイギリス海岸に寄ってみましたが、昨日まで姿を現していたという泥岩層は、上流のダムの放流のために残念ながら水没していました。水深の浅い部分にさざ波が立っていて、泥岩の広がりをかろうじて感じさせてくれています。

イギリス海岸


 そして今日の午前中は、花巻温泉バラ園園長の高橋宏さんにお願いして、「賢治が愛したバラ」=グルス・アン・テプリッツのある、バラ園の温室に案内していただきました。今はもう本来のバラのシーズンからはるかに遅れていますので、この花そのものの姿を見られるとは期待していなかったのですが、この時期にも花を付けている株があって、幸運にも私は初めてこのバラに対面することができました。

グルス・アン・テプリッツ

 グルス・アン・テプリッツの花は、かなり大輪でグラマーな感じです。上の写真は温室の中なので陽射しはあまり当たっていないのですが、これが太陽の光を直接浴びると、「日光」という和名のごとく、もっと深い赤色に染まるのだそうです。
 また、このバラの特徴はその芳香の強さにもあって、変な喩えですが、「ローズ石鹸」の香りをもっと上品に奥深くしたような香りが、あたりに漂っていました。

 いずれにしても、これはかなり「官能的」な印象の強いバラでした。賢治がこの品種を特に愛していたというのは、そのどういうところに魅かれたんだろうか、と興味深い感じです。

 で、私が今日バラ園を訪ねて高橋園長さんにお聞きしたかった最大のポイントは、このバラを「賢治が愛していた」という話が、いかにして東京の「バラの神様」=鈴木省三氏に伝えられたのだろうか、ということでした。
 高橋さんからのお話は、かなりのところまで先月に私が国会図書館で調べて感じた印象を支持するものでした。まだわからない部分は多いのですが、以前に私が勝手に推測した「冨手一氏の関与」という仮説は、間違っていたように思われます。

 高橋さんからは、花巻のバラ界においてこの問題についてご存じかもしれない3人の方をお教えいただいたので、現在まだ不明の部分についてはいずれ調べてみたいと思います。その経過と結果については、いつか必ず当ブログにてご報告させていただきます。


 バラ園の奥の斜面を登っていくと、堂ヶ沢山の山腹に連なっていきます。そして、その昔には賢治設計の南斜花壇の最上部でもあった場所に現在は、賢治は賢治でも、「小佐野賢治氏」の胸像が建っています。
 この場所から花巻の市街の方を望むと、一部はホテルのビルに隠れてしまってはいますが、賢治が「冗語」という作品の中で「胆沢の方の地平線」と描いたような景色を、今も垣間見ることができます。

バラ園の最上部から花巻市街を望む

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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コメント



23日の発表会で御世話になり、次の講演をした白木です。
はじめて映写用のパワーポイントCDを持参したのに、直前
まで映らず青くなっていたところ助かりました。
浜垣さんの講演時は、私に関連の講演のB会場に行っていた
ために聞く事ができず、真に残念でした。
宮沢賢治は先端科学技術情報の入手について、驚異的に鋭敏
なセンスがあったようで、多分そういったお話でしょうか?
悉無律とは何か是非教えて下さい。私の専門の人造宝石技術
でも賢治の先見は驚くほどです。私も当日はイギリス海岸に
友人夫妻の車で家内と行き、その夜は台温泉に泊まりまし
た、今後ともご教示のほどよろしくお願いいたします。

投稿者 白木健一 : 2006年9月27日 16:09

 白木健一様、書き込みをありがとうございます。こちらこそ、当日はお世話になりました。

 白木様の会場配布レジュメの2ページ、「雨ニモマケズ」と小林一郎氏の寿量品解釈を重ねたテキストは、『春と修羅』の「習作」みたいで興味深かったです。

 さて、「悉無律」というのは、「全か無かの法則」とも言い、「神経細胞の活動状態というのは、ON になっているか OFF になっているかの二つに一つだけで、中間の状態は存在しない」という性質のことです。私としては、賢治が「黒と白との細胞」という言葉で表現したのは、神経細胞のこのような特性のことだったのではないかと考えて、当時の賢治が持ちえた科学的知識という観点からも検討してみました。

 「宮沢賢治は先端科学技術情報の入手について、驚異的に鋭敏なセンスがあった」という点に関しては、私もまったく同感です。上記に関連した領域でも、当時の賢治が少なくとも生理学の専門書を個人的に所蔵し、ウィリアム・ジェームズの心理学やフロイトの精神分析理論についても勉強していたことは、確かなようです。
 旺盛な知的好奇心とともに、やはりその着眼には天性の「センス」としか言いようのないものを感じます。

 イギリス海岸は、ちょっと残念でしたね。
 こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿者 hamagaki : 2006年9月28日 12:10

浜垣様 早速のご返事有難うございました。
発表を終えて早くも一週間ですね、時の過ぎるのは流れ星
のように速いです。
イギリス海岸について、幸い私は23日午後1時頃だったの
で岩を見ることが出来ました、ただデジカメが電力不足で
撮れず、メールでお送りできないのが残念です。
悉無律の説明有難うございました、いつかご発表について
直接お目にかかってお話しを伺いたいです。

宮沢賢治の科学情報先見性について同感して下さって嬉し
い限りです。
人造宝石技術については、既に昭和6年作の東京ノートの
「高架線」に、「酸水素炎と酸化礬土にて作りたる紅き
ルビーの・・・」とありますが、国産技術で人造ルビーが
出来たのは昭和23年頃です。宮沢賢治はもっと早く妹トシ
さんの看病で東京滞在中に、フランスの天才化学者オーギ
ュスト・ベルヌーイの人造ルビーの論文を帝国図書館で読
んだ形跡が間違いなくあります。(大正8年1月29日手紙)

気象学についても世界最初の論文を読み、直ぐに童話に
登場させたと推定され、アメリカで有名なシカゴ大学の気
象Grpの発表に先んずる事30年近くであり、確認中です。

思わず興に乗って長くなりました。
今後のご活躍を祈り、御付合いをお願いいたします。


投稿者 白木健一 : 2006年9月30日 21:21


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