← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →

2006年8月20日 沢里武治氏演奏の「星めぐりの歌」

 『【新】校本宮澤賢治全集』第六巻に掲載されている「星めぐりの歌」の楽譜は、下記のようなものです。

新校本「星めぐりの歌」

 そして第六巻「校異篇」には、この楽譜について、次のような説明がなされています。

 本文には、昭和四二年版全集の楽譜を掲出した。ただし、沢里の記憶にもとづき、第三小節・第九小節にあったフェルマータ()を消している。

 すなわちこれは、以前に「「【新】校本全集」の歌曲の校訂について」というエントリで触れたように、この全集において新たに変更が加えられた楽譜の一つなのです。従来の全集では、「あかいめだまのさそ」の「り」と、「あおいめだまのこい」の「ぬ」には、フェルマータが付いていたのですが、それが削除されたわけですね。

 現在、私たちが通常「星めぐりの歌」を歌う時には、「あかいめだまのさそりー・・・、ひろげたわしのつばさー・・・」という風に、「さそり」の「り」は少し延ばして、次のフレーズまでに「間」をあけますが、『【新】校本全集』に準拠すれば、これは正しい歌い方ではなくなってしまったことになります。
 その変更の根拠となった「沢里の記憶」がどういうものであったのか、「校異篇」には上記以上の説明はありません。

 ところが、遠野市宮守地区で行われている「宮澤賢治と遠野」展において、沢里氏が「星めぐりの歌」を自ら演奏しておられるビデオが放映されていたのです。先日の岩手旅行で、係の人にお願いしてそれを録音してきました。
 このビデオは、1980年代にIBC岩手放送で放送された番組のようで、レポーターが沢里武治氏を訪ねて、賢治に関する様々な思い出を聞いたり、賢治の詩を朗読してもらったりするという内容です。
 この中に、沢里氏が自ら大正琴で、「星めぐりの歌」を演奏する貴重な映像が出てきます。下の MP3 ファイルが、その場面の録音です。

「星めぐりの歌」(沢里武治演奏)MP3: 151KB

 元のビデオの状態が悪く、かなり大きな雑音が混入していたため、雑音除去フィルターをかけましたので、音質が劣化しています。
 しかしこれこそが、「沢里の記憶」にあった「星めぐりの歌」です。

 聴いてみると、確かに「あかいめだまのさそ」の「り」と、「あおいめだまのこい」の「ぬ」の音が、通常歌われているものよりも短いですね。
 しかし、冒頭に掲げた『【新】校本全集』の楽譜とも1ヵ所だけ異なっていて、それは「あかいめだまのさそ」の「り」が、沢里氏の演奏では2拍あるのに、上の楽譜では1拍になっている点です。
 この沢里武治氏の演奏を、フェルマータを使わず「拍節どおりに」楽譜にしてみると、下記のようになります。

沢里武治演奏「星めぐりの歌」

 「わしのつば」の「さ」、「へびのとぐ」の「ろ」、「たかくうた」の「ひ」は、『【新】校本全集』のように四分音符にフェルマータを付けて記譜することでよいでしょうが、「さそり」の「り」の長さだけは、疑問が残ります。

 沢里武治氏は、『【新】校本全集』編集者の佐藤泰平氏に対してどのような「記憶」を伝えられたのか、具体的に知りたいものです。

written by hamagaki : カテゴリー「作品について

トラックバック




コメント



「星めぐりの歌」を私も新稿本全集で見た時は、
そのフェルマータの位置について違和感を感じました。
確かに「沢里氏の記憶」とあると、自分の記憶の
「星めぐりの歌」は長い時間で「その人の歌いやすい
形に変化した」という事は当然あり得る事なので、私の
記憶違いと考えました。
 しかし本当は、その当時の「星めぐりの歌」はどうだったのかと思いを強くしました。
 ようするに沢里武治氏の記憶についてどう確認されたか詳細を知りたいという思いは強く持ちました。
 フェルマータが外された楽譜は新『校本宮沢賢治全集』 (筑摩書房、平成七(一九九五)年発行)に掲載されています。しかし校異を担当している佐藤泰平氏自身の著作「宮澤賢治の音楽」平成七(一九九五)年三月二五日発行ではフェルマータを外す事には言及していません。フェルマータがあるなしは曲の印象が変わるのに
なぜ同じ著者で言及しないか疑問に思いました。
 また、「星めぐりの歌」を三拍子で歌うという「解釈」がこの校異に載っています。
 「「星めぐりの歌」について、菅谷規矩雄は「『星めぐりの歌』など」(『ユリイカ・総特  集宮沢賢治」三日土社、一九七七年九月) で次のようにアピールしている。
 「わたしはそこで、できる事ならば、この旋律を3/4拍子のアレグロに変換してしまいたい誘惑にかられるのである。(そうすると、原曲の旋律はちょうど四小節ずつのフレーズにぴったりはまるものとなるはずだ。)
 ここに書かれているように3小節目、9小節目のフェルマータを取れば三拍子としての体裁は取りやすいと
その時、思ってしまいました。(この三拍子の楽譜はフェルマータはもちろんついていません)
 記憶についての詳細私も知りたいと思います。
 えてして記憶は、自分が歌いやすいようにテンポが変わったり、付点のリズムが三連符のリズムに変わったりする傾向があると思います。
 
 貴重な演奏の録音ありがとうございました。
 
 

  

投稿者 toyoda : 2006年8月20日 21:29

 toyoda 様、コメントをありがとうございます。

 「星めぐりの歌」は、賢治の歌曲の中でも最も親しまれているものだけに、何らかの変更が加えられるとなると、否が応でもファンの注目が集まりますね。
 どんな場合にも賛否両論は出るでしょうし、いろいろと大胆な提起がなされることは私も楽しみですが、その根拠や判断のプロセスを明らかにしていただければ、私ども素人にとっても有り難いことです。

 「星めぐりの歌」のフェルマータ削除に関しては、確かにご指摘のように佐藤泰平氏の『宮沢賢治の音楽』には何も触れられていません。
 出版時期を見てみると、『新校本全集』で歌曲が収録されている「第六巻」は、1996年5月30日に刊行されており、『宮沢賢治の音楽』刊行時期はご指摘の通りですので、その間1年あまりの期間に、佐藤氏は沢里氏の「記憶」について知ることになったのでしょうか。
 『新校本全集』の歌曲校異篇と『宮沢賢治の音楽』は、かなりの部分で記述が重なっていますので、この問題だけ『宮沢賢治の音楽』に書かれていないのは、まだその時点では佐藤氏にとっても明らかでなかったのではないか、と思ったりもします。

投稿者 hamagaki : 2006年8月22日 00:30


コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)



← 前の記事へ | メインページへ | 次の記事へ →