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2006年8月13日 東山の新詩碑など

 盛岡駅から朝8:30の新幹線に乗って、南へ向かいました。岩手山は雲に隠れて見えませんでしたが、新花巻駅が近づくと、頂上にトサカのような樹木が乗っかった懐かしい姿の胡四王山が、右手に姿を現しました。
 「経埋ムベキ山」ということでいえば、胡四王山の横を通って新花巻駅を出るとすぐに入るトンネルで列車は観音山の下をくぐり、トンネルを出るとまもなく旧天王山が右手に見え、さらに2〜3分行くと、昭和橋の近くでは物見崎が望めるという順序で展開し、このあたりの東北新幹線は、「経埋ムベキ山」を巡っていくかのようです(下写真は、車窓から見た昭和橋と物見崎)。

新幹線から望む物見崎

 一関に着くと、大船渡線に乗り換え満員の列車で30分、陸中松川駅で列車を降りました。
 東北砕石工場のあったこの東山町は、去年までは「東磐井郡東山町」でしたが、今は「一関市東山町」になっています。去年から今年にかけての「平成の大合併」の流れで、花巻市や遠野市はそれぞれ膨らんだり、南では「奥州市」という巨大な市が出現したり、岩手県内にも顕著な変化が起こっているようです。

 陸中松川駅を出ると、すぐ右手の「石と賢治のミュージアム」に行きました。ここで少し本やビデオを見て、先月にこの近くにできた賢治詩碑についてスタッフの方に尋ね、さらに数十mほど東の方にあるその新たな詩碑を見に行きました。

詩碑の一部 詩碑はすぐに見つかりましたが、私がそれを眺めていると、「石と賢治のミュージアム」の館長の伊藤良治さんがわざわざ追いかけてきてくれて、いろいろと解説をして下さいました。
 この詩碑は、「詩ノート」の「〔これらは素樸なアイヌ風の木柵であります〕」を刻んだものですが、ぱっと読んだだけでは「アイヌ風の木柵」というところなど、よくわかりません。
 伊藤さんは、この「木柵」というのは、アイヌによる熊の霊送りの儀式である「イヨマンテ」の時に立てる木弊に「Y字形」になっているものがあるので、それのことではないかと示唆して下さいました。
 あとで自分で「アイヌ民族博物館」というサイトで調べてみると、たとえばこんな絵のような感じでしょうか。中央に「Y字形」の木があって、全体は柵のようになっています。
 作品に描かれている農家の人は、別に豊作を願って意図的にアイヌの儀式を取り入れたわけではないのでしょうが、賢治がひそかにそのように「見立てて」みたということかと思われます。

 「しかしそのような素朴な祈りも捧げながら、女性たちが現実に死ぬほど働いてもなお、天候や地域社会や家庭の環境は厳しく、わずかな収穫しか得られない」というのが、この作品における賢治の慨嘆であるわけですね。

 そのようなことをおたがいに話し合って、伊藤さんの方は館に戻られるので丁重にお礼を申し上げ、私は詩碑を何枚かの写真に収めました。作業を終えると、さらに東に少し歩いて、東北砕石工場跡にある「ひまわり食堂」に行きました。

ひまわり食堂 実は、私はこの「ひまわり食堂」には、5年前にも一度来たことがあって、その時の風情と味があまりに印象的だったので、詩碑を訪ねるにあたってはその営業日である日曜日に日程を合わせ、本日この東山町に来ることにしたのです。
 店をのぞくとやはり今日もおばさんたちが働いておられました。屋外のベンチの席に座り、まず最初にとろみさえ感じるほど濃厚な「どくだみ茶」を出していただいた後、「冷やしうどんセット」(500円)を注文しました。
 「5年前にも美味しかったからまた来たんですよ」と私がおばさんに言うと、「おばちゃんも5年前と同じよ!」とのお答えが帰ってきました。お得な値段も、5年前と一緒ですね。

 そして運ばれてきた「冷やしうどんセット」の内容は、稲庭うどんのようでもっとコシのある打ち立ての手打ちうどんに、茄子の味噌田楽(この味噌も手作りの様子)、キャベツのお浸し(桜エビをかけたもの)、おにぎり(味噌焼きおにぎりとゴマまぶし)、茹でたトウモロコシ、漬け物(これも自家製)。これで何と、500円なんですね。

ひまわり食堂「冷やしうどんセット」

 思えば、6年前にここに来た時には、休みでお店に入れなかったかわりに、トウモロコシとお茶をおばさんに無料でいだでいただいてしまったのでした。その時のトウモロコシの味が、今日またよみがえりました。
 あまり美味しかったので、岩手の郷土菓子である「がんづき」(100円)を食後にさらに注文させていただいたのですが、「残念ながら今日は売り切れ・・・」とのことでした。しかし、横でそれを聞いていた別のおばさんが、「北上から子供が帰ってくるつんでたくさん買ったけど、これ一つよかったらどうぞ」と、返品して私の方にまわしてくれたのです。胡麻や胡桃がたくさん入ったその手作りの「がんづき」も、甘すぎず素朴な味が最高でした。
 というような次第で、お店を出る時には私はまるで野ネズミの母親のように何度もおばさんたちにお礼を言って、「ひまわり食堂」を後にしました。

 そこから猊鼻渓駅まで炎天下を2km少々歩いて、13時11分に大船渡線の列車に乗り、また一関で新幹線に乗り換えて、午後3時頃に盛岡に戻りました。
 それからバスに乗って、中ノ橋の近くにある「もりおか啄木・賢治青春館」をしばらく見て、中津川を渡って夕方の岩手公園を散歩しました。

 園の入口にも中にも、「岩手公園」という看板はいくつもかかっていますが、もしも「名称変更」になったらこれらはどうなるのだろうと思いながら、しばらく歩いていました。

・・・若しも君が、夕方岩手公園のグランドの上の、高い石垣の上に立つて、アークライトの光の下で、青く暮れて行く山々や、河藻でかざられた中津川の方をながめたなら、ほんたうの盛岡の美しい早春がわかるだらう。・・・
                               (弟清六あての手紙より)

岩手公園の石垣の上から

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行」「イーハトーブ・グルメ

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