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2006年7月20日 賢治作品における「うめる」「うずめる」

 先日の「「経埋ムベキ山」の読み方」というエントリにおいては、つめくさ様、入沢康夫様の懇切なコメントのおかげで、これは「きょう うずむべき やま」と読むのが適切であると、私もしっかりと納得させていただきました。あらためて、ご教示に感謝申し上げます。
 たしか去年の3月にこのサイトをブログ化した際には、これからの目標として、「双方向的な営みができれば・・・」というようなことも書いたおぼえがありますが、「双方向」というより、最近はいろいろと私の方が教えていただくことばかりで、恐縮しております。

 で、今日はまたさらにご教示いただいてしまったことの報告なのですが、その後私は、この件に関してある方から一通のメールをいただきました。
 以下、ご許可をいただいてそのメールからの引用です。

 余談:これは、当面の問題の参考になるかどうか、疑問ですが、賢治童話(口語文)における用例を気が付いた限りで挙げてみますと……

  1.  『銀河鉄道の夜』の「鳥を捕る人」の章
      「砂に三四日うづめなけぁいけないんだ」
  2.  「〔フランドン農学校の豚〕」末尾近く
      「豚はきれいに洗はれて八きれになって埋まった。」
    (これを含む終結部の整った7・5 7・5 のリズムから言えば「うまった」ではなく「うづまった」でしょう)
  3.  「楢ノ木大学士の野宿」の「野宿第一夜」
      「みんな濃い灰に埋ってしまふ。」
      「まはりを熱い灰でうづめて」
  4.  「グスコーブドリの伝記」の「十、カルボナード島」の章
     (両親の遺体について)
      「そつと土(つち)に埋(うづ)めて、」(ルビ原文)
  5.  「狼森と笊森、盗森」冒頭近く
      「その灰でそこらはすつかり埋(うづ)まりました。」(ルビ原
       文)
  6.  「水仙月の四日」末尾近く
      「昨日(きのふ)の子供(こども)の埋(うづ)まつてゐるとこ
       へ」(ルビ原文)
  7. 「ポラーノの広場」最終章
      「五十行の欄になにかものめづらしい博物の出来事をうづめ
       ながら」


 どちらかというと、「覆い隠す」意味のものが多いようですが、それにしても、「埋(う)める」の用例のほうは、差し当たって一つもみつからないのも事実なのです。これがみつかると、賢治も使い分けていた(あるいは、その場の調子で両方使っていた)ことの、手掛りになるのでしょうに。
(引用終わり)

 とまあ、驚くべきことに、賢治はその作品中で、「埋める」という動詞を「うづめる」と読ませている場合がほとんどなんですね。
 その後、「うめる」という読みについても、少しは用例があることがわかりました。

  1. 「カイロ団長」の末尾
      「おい。ビチュコ、そこの穴うめて呉れ。」
  2. 「〔或る農学生の日誌〕」の四月四日の項
      「今年は肥料だのすっかり僕が考えてきっと去年の埋め合せを付け
       る。」
  3. 〔あしたはどうなるかわからないなんて〕」(口語詩稿)
      「りんごなら/馬をうめるくらいに掘れ」

 一応このような用例はありますが、ここで 8. は、「物を」埋めるのではなくて「穴を」埋めるのですから、『日本国語大辞典』による語義からしても、「うずめる」でなくて「うめる」でなければならない必然性があります。
 9. は、「うめあわせ」という合成語ですから、こうとしか言いようがありません。
 10. は、「ウマをウメる」という読みが、一種の「韻」を踏んでいるところから、語調の上で「うめる」の方が採用されているのかもしれません。

 これらを見ると、やはり賢治が「うめる」の方を用いているのはごく一部の特例に限られ、意味的に「うめる」「うずめる」のどちらでも通用しそうな場合には、圧倒的に「うずめる(うづむ)」の方を採っているように思われます。
 つまり、先日の問題に関して、「きょう うずむべき やま」という読みの方を採用すべき理由としては、このような賢治の語法習慣があったらしい(賢治自身もこのように発音していた可能性が高いと思われる)ということも、一つの根拠となるかもしれないと思えるのです。

 それにしても、「漢字の読み方」だけでも、本当に奥が深いものです。

written by hamagaki : カテゴリー「作品について」「賢治情報

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 その後、また一通のメールをいただきまして、「経埋ムベキ山」は「きょう うずむべき やま」と読むべきであるという根拠として、「決定版」とも言える賢治作品をご指摘いただきました。
 以下、そのメールから引用します。

 あれこれ読み漁っているうちにどうやら、これが決め手と思われる詩句に気付きました。
 「文語詩稿一百篇」中の詩「国土」の後半部に

      一石一字をろがみて、     そのかみひそにうづめけん、
      寿量の品は神さびて、     みねのそのをに鎮まりぬ。

とありますのは、まさしく「埋経」のことを言っているわけで、山にお経を埋めることについて、仮名で「うづめ」と書かれているのは単に音数律のゆえとは(「そのかみひそにうめにけん」とも言えるのですから)思われません。
(引用終わり)

 私は、以前のエントリでこの作品を取り上げたことがありましたが、今回の問題に関連してこの一節には思い至りませんでした。

 しかしおかげさまで、私の無知から始まってお騒がせした問題も、「これにて、一件落着」という感じです。

 ありがとうございました。

投稿者 hamagaki : 2006年7月23日 17:02


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