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2006年5月 4日 花巻南部

 少し霞みがかかったような色はしているものの、今日の空は、雲一つない「快晴」です。
「さいかち淵」碑 朝食を済ますと、いつものように駅前で自転車を借りて、南の方へ向かいました。石神町を通りかかったので、「さいかち淵」の一節が引用された「石神開町記念碑」を見てみようと、記憶の片隅にあったあたりを走ってみましたが、前回訪れた7年前と比べると道路も広くなり区画整理されて、どこだったかわからずうろうろしてしまいました。そのうちにふと、目の前に見おぼえのある蝉の付いた石碑が現れました(右写真)。

 さらに南に走って、豊沢川にかかる「道地橋」の欄干には、この「さいかち淵」をさらにもう少し長く引用した、石造りのオブジェも設置されていました。
 下写真で、うしろに見えるあたりの豊沢川が、賢治の時代には「淵」になっていて、子供の遊び場だったということですね。

道地橋より豊沢川

 さて、豊沢川を渡って、さらに南西へ進みます。

「慈眼水」 まずは6kmほど走って、太田地区にある「清水寺」までやってきました。
 このお寺は、京都の清水寺などとともに「日本三清水」と並び称されるとのことで、寺伝によれば坂上田村麻呂の草創によるとの話もあるようですが、もとはと言えば、この地に「慈眼水」(右写真)という眼病に霊験あらたかな水が湧き出ていたことへの信仰に由来すると思われます。
 祠の前の古びたポンプを手で押すと、今もきれいな水が出てきました。
 賢治は、この清水寺の夏の祭りを「田園浅草」と称して農学校の生徒と一緒にやって来たり、詩作品では「〔みんな食事もすんだらしく〕」や「穂孕期」の舞台として描いたりしています。
 さらに、「或る農学生の日誌」という短篇には、主人公の祖母に関する記述で、「こゝらの観音巡り」という一節が出てきますが、この「和賀稗貫紫波の三十三カ所観音巡り」という巡礼の「御詠歌集」というのを、お寺の庫裡で購入できたのが、私としてはうれしかったです。

 清水寺を後にすると、さらに4kmほど西へ走って、「高村山荘」へ足を延ばしました。宮澤政次郎氏の仲介によって、高村光太郎が昭和20年から7年ほど暮らした場所です。賢治の羅須地人協会時代を連想させるような質素な生活ですが、「背水の陣」だった賢治と違って、さすがに当時の光太郎は功成り名遂げた芸術家として悠々と暮らしていたようです。
 「高村記念館」には、有名な下記の短歌の自筆色紙も展示されていました。

智恵子抄泉みちのくの
  花巻町に
   人ありて
 賢治をうみき
   われを
     まねきき

 しかし本当は、今日私が高村山荘および記念館に来た直接の理由は、記念館よりも、その裏にある「智恵子抄泉」と名づけられた、尽きない泉(右写真)を見てみたかったからです。今でも毎年5月15日の「高村祭」には、この泉で汲んだ水で献茶が行われるのだそうです。
 今日も、澄んだ水がこんこんと湧き出ていました。

 高村山荘を後にして、帰り道には太田地区の中心部を通ります。
 実は、事前に地図を太田地区「泉屋敷」見て気がついていたのですが、旧・太田村であるこのあたりに太田地区「泉畑公民館」は、「泉屋敷」(左写真)とか、「泉畑」(右写真)とか、「泉」が付く地名が多いのです。

 つまり、今日の行程は、現在は花巻市の一部になっている旧・太田村のあちこちをめぐって、清水寺の「慈眼水」、高村山荘の「智恵子抄泉」、地名として残る「泉屋敷」、「泉畑」など、何はともあれ「泉」と関係のあるところを見てみたわけです。

 このようなことをしてみた理由は、少し前に「その南の三日月形の村(1)」というエントリーを書いたことと関連しています。「住居」という作品の下書稿(二)には、「たくさんの青い泉と、/林のなかに廃屋をもつ、/その南の三日月形の村では・・・」という一節があるからなのですが、これについてはまたいずれ日をあらためて書くことにします。

 太田地区からの帰りは、まっすぐずっと東へ走り、東北自動車道の下をくぐって、富士大学の横も通って、花巻市卸売市場の近くにある「さかえや本店」というラーメン屋で、「満州ニララーメン」を昼食としました。
 この通称「満ニララーメン」を名物とするお店は、花巻では「行列のできるラーメン屋」の代表のようで、さすがに連休とあって広い駐車場には車があふれ、店の前にはかなりの行列ができていました。
満州ニララーメン しかしお客さんの回転は速く、それほど待たされずに席に着くことができて、注文して間もなく「満ニララーメン(醤油)」が運ばれてきました。
 たっぷりとスープが張られ、上には大量のニラとニンニクの芽と豚バラ肉を辣油で炒めたものがかかり、それに紅ショウガが載っています。麺は細めの縮れ麺で、やや硬めにゆでられていました。
 辛さはじわじわと効いてきて、スープには油分は結構ありますが、ゼラチン質が少ないためか割合さらっとしていて、最後までしつこさは感じずにするすると食べられました。
 このお店のご主人は、戦時中に満州で従軍していたとのことで、その時の現地の経験が、このヒットメニューに生かされたのだそうです。以前に、「花巻から満州へ「精神歌」が伝えられた」という話を書きましたが、このラーメンはそれとは逆に、「満州から花巻へもたらされた」名物というわけです。

 ちょっと遅い昼食を食べ終わると、国道4号線を北へ走って「賢治詩碑」に寄り、北上川の岸辺で少し過ごしました。今日は、雪をかぶった早池峰山も、市内からきれいに見えています。

北上川畔から早池峰山

 夜は、居酒屋「早池峰」に行きました。今日も、お刺身、山菜、一品料理などいろいろといただきましたが、正直言って昨夜行った「風耿」に比べると、お刺身などは格段に美味しいものでした。コストパフォーマンスも抜群ですし、あらためてこの「早池峰」というお店の良さを感じました。

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行」「イーハトーブ・グルメ

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