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2005年10月16日 草木国土悉皆成仏

 賢治の文語詩に、「国土」という作品があります。短いのでここに全文を掲載すると、下記のとおりです。

   国土

青き草山雑木山、      はた松森と岩の鐘、
ありともわかぬ襞ごとに、  白雲よどみかゞやきぬ。

一石一字をろがみて、   そのかみひそにうづめけん、
寿量の品は神さびて、   みねにそのをに鎮まりぬ。

 前半2行は山の景色の描写、後半2行はおそらくその山に、はるか昔に「埋経」が行われたと伝えられていることに、思いを致しています。
 「一石一字」というのは、一つの石に経文の一字ずつが書いてあることで、このようにしてお経全文を書いた大量の石を埋めた場所には旧天王山の「一字一石塔」、目印として「一字一石塔」というものが立てられるのが通例です。「寿量の品」と出てくることから、埋められた経文は「法華経」と考えられていることがわかります。
 賢治自身も晩年に埋経を計画して、「経埋ムベキ山」を選定しようとしていたこととの関連で、これは興味を引かれる作品ですね。ちなみに、右の写真は旧天王山の頂上にある一字一石塔で、「文化九壬申年/法華経一字一石塔」と刻まれています。

 このような作品に対して、とくに「国土」という題名を付けた作者の思いは、どのようなものだったのでしょうか。「国土」という言葉の辞書的な意味としては、まず「一国の統治権の行われる境域。領土。」(広辞苑)ということが記されていますが、賢治はこの作品において、とくに政治的な意味での「国家」を意識している様子ではありません。
 そうではなくて、この「国土」は、「仏国土」という宗教的な意味において用いられているのだろうと思われます。賢治はここで、はるかに山や大地を見渡して、どこかに埋められている仏の言葉や埋経をした人へ思いとともに、この世界全体への静かな愛を謳っているようにも感じられます。

 私はたまたま『日本仏教史』(末木文美士著)という本を読んでいて、この作品の冒頭部分と関連するような、「草木国土悉皆成仏」という言葉に遭遇しました。
 作品1行目では、まず「山」と「雑山」が描かれており、「草」と「木」がセットで取り上げられているのは明らかです。この「草」「木」とともに標題を並べると、「草木国土」となるのです。

 末木氏によれば、「草木国土悉皆成仏」という考えは、中世日本の仏教における「本覚思想」のキー・ワードの一つだということです。
 もともとインドの仏教においては、同じ生命体でも六道に輪廻する「衆生」と植物とは截然と区別され、悟りを開ける可能性は前者にのみ認められていたところ、中国において衆生と草木との相互関連性や「空」という絶対から見た同質性をもとに、「草木成仏論」というものが生まれます。それが日本に伝えられてさらに拡大解釈され、「現実の草や木がそれ自体として完結し成仏する」という一種の汎神論的な世界観、すなわち「本覚思想」となっていきます。
 その後このようなあまりに現世肯定的な考え方は、近世になって批判され衰退していきますが、再びこの思想に近代的な光を当て、「本覚思想」という名称を与えて論じた学者は、天台・華厳教学の権威で、浄土真宗の僧でもあった島地大等(1875-1927)でした。

 ここで、賢治との接点が出てきます。島地大等が盛岡の願教寺の住職をしていた頃、盛岡中学生だった賢治は何度もここに通って島地の講話を聴いていますし、父政次郎が主催する「花巻仏教会」の講師として島地が招かれた時にも、参加しています。また彼は、賢治の法華経信仰を決定づけた『漢和対照妙法蓮華経』(「赤い経巻」)の編者でもありました。
 島地大等が講話の中で、「草木国土悉皆成仏」という言葉を語った可能性は十分ありますし、もしそうならばこのような考え方は、有機的・無機的な自然と一体化しようとする賢治の感性にはぴったりとくるでしょうから、彼の心の底に、強く刻みつけられたのではないでしょうか。
 そして後年、経典が埋められていると伝えられる山をふと望み見た時、この言葉は意識されないまでも、「草」「木」「国土」という単語として、賢治の脳裏に浮かび上がってきたのではないでしょうか。


 ところで、この作品において賢治が眺めていた山は、いったいどの山だったのだろうという疑問がおこります。
 花巻近郊で、その昔からお経が埋められていると考えられていた場所=「経塚」としては、賢治の「経埋ムベキ山」でもある旧天王山および観音山、また東和町の方に行くと丹内山神社経塚、三熊野神社毘沙門天山経塚、真行寺経塚などがあり、おもに東の方角に分布します。一方、1行目後半には「岩の鐘」という言葉が出てきますが、賢治が「岩鐘」と見なしていた山は、花巻の西方に並んでいたようで、どう考えるべきか難しいところです。
 私としては、これは花巻からは東方にある「観音山」か、あるいはその手前の「旧天王山」なのではないかと考えてみたいところです。賢治はこれらの山に対して、「経埋ムベキ山」に選ぶほどの思いをいだいていたわけですし、「〔湯本の方の人たちも〕」という作品には、猿ヶ石川の東岸の山々に関して、「高松だか成島だか/猿ヶ石川の岸をのぼった/雑木の山の下の家・・・」という描写が出てくるからです。

羅須地人協会跡から東を望む

written by hamagaki : カテゴリー「作品について

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コメント



 「青森挽歌」の
 (草や沼やです
  一本の木もです)
 は、やはり
   ((みんなむかしからのきやうだいなのだから
     けつしてひとりをいのつてはいけない))
の伏線でしょうか。

投稿者 つめくさ : 2005年10月19日 11:49

つめくさ様、コメントありがとうございます。

なるほど、ご指摘のとおり「青森挽歌」にも、「草」と「木」が出てきていたのですね。思い至りませんでした。

それにしても、この作品は本当に魅力的な「謎」です。
詩全体が、賢治の大いなる葛藤を表しているようですが、具体的に何と何との葛藤なのかということをつきつめようとすると、どんどん難しくなっていきます。
とりわけ、大塚常樹氏や鈴木健司氏が考察しているように、《ヘッケル博士!・・・》という呼びかけの部分の解釈が重要かつ困難なポイントだと思いますが、大塚説や鈴木説と異なって、私はここは素朴にヘッケル博士の「個体発生は系統発生を繰り返す」という命題のことを指しているのかと思っていました。
「個体発生は系統発生を繰り返す」ということが科学的真実ならば、これは「みんなむかしからのきやうだい」という仏教的な輪廻転生観と相通じ、その「証明」となるように思えなくもないと感じたからです。

今ちょっとやそっと考えてもわかりそうにありませんが、
(草や沼やです
 一本の木もです)
という一節は、妹が「たつたひとりでさびしくあるいて行つた」道の情景を描写しているだけならちょっと不思議な表現ですから、これもまた「謎」ですね。ご指摘のように、後半部に向けて「生きとし生けるもの」の様々を、ここであらかじめ呈示しているのかもしれません。

また、いろいろとご教示をお願いいたします。

投稿者 hamagaki : 2005年10月20日 23:30


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