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2003年5月 4日 大船渡から花巻へ(2)

 「(さかり)街道」は、 大船渡市内の宿場町である盛と、内陸の水沢とを結ぶ、古くからの街道です。江戸時代や明治時代には、 多くの物資が往来する重要なルートだったということですが、大船渡線や岩手軽便鉄道など、 中央部と太平洋側を結ぶ鉄道が別のところに開かれるに伴い、往時ほどのにぎわいはなくなったというのは寂しいことです。

 今日は、この街道に沿って西に向かいます。朝早くホテルを出ると、7時31分大船渡駅前発のバスに乗りました。バスは盛を通り、 気仙川盛川に沿って山の中に入って行きます。谷間の道を30分ほど登ると、世田米という細長い宿場町に着きました。 街道に面して立派な構えの家が並び、歴史を感じさせる町並みです。じつは去年、この世田米に賢治の詩碑ができたという新聞記事を見たので、 今日はここでまずバスを降ります。
 街道をまっすぐ歩いて町はずれに出ると、気仙川にかかる瀬音橋という橋のたもとに、詩碑はありました。落ち着いた味のある書体で書かれた 「雨ニモマケズ」ですが、例の「ヒデリノトキハ…」の部分は「ヒドリノトキハ…」となっており、全集版とはまた違った校訂です。
 これを写真におさめると、釣りをする人を見ながら町並みへ戻り、こんどはタクシーでさらに西へ、姥石峠の手前にある「道の駅 種山ヶ原」 に向かいました。ここにも一昨年、「種山ヶ原」の詩碑が建立されたと、 やはり新聞記事で見たのです。

 「道の駅」に降りてみると、碑はすぐにわかりました。記事によれば、これは現時点で賢治の詩碑としては全国最大とのことですが、 さすがにこれくらい大きいと、通りすがりの人も足を止めて見て行きます。

 碑を撮影し終えてもまだ10時すぎで、帰りのバスまでにはたっぷり時間があったので、種山ヶ原を散策することにしました。 林の中では雲雀や鶯がさかんに鳴き、まだふきのとうも顔を出しています。これまでも夏や秋には来たことがあったのですが、 以前いちめんのすすきの野原だったところが熊笹ばかりだったり、まわりの景色はすっかり違っていました。
 お昼ごろに種山の頂上に着くと、その辺の岩の上に坐って30分ほど風に吹かれました。 平地では天気がよくても、さすが種山ヶ原は雲が多く、岩手山や早池峯山は見えません。
 すこし寒くなってきたので下山を始めましたが、途中、「星座の森」キャンプ場では、なつかしい「風の又三郎像」に再会することができました。 また驚くべきことに、山かげにはまだ少量の雪(!)も融けずに残っており、夏のような暑い日ざしの下で雪を手にするという、 不思議な経験もできました。

 「道の駅」まで下りてきた時には、いいかげん足もくたびれていました。ここに併設されている「レストランぽらん」で「辛味鶏定食」 を食べて、16時6分発水沢行きのバスに乗りました。

 伊手や銚子山をすぎて、最後に北上川を渡って水沢の駅に着くと、もう太陽は西に傾いてあたりは黄いろく染まりかけていました。 その陽ざしを横から受けて、東北本線下り列車で花巻に向かいました。

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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コメント



大船渡からバスで行く時に見える川は盛川です。気仙川は世田米に出てから種山方面に向かう途中に見える川です。

投稿者 世田米人 : 2006年8月 8日 02:57

 世田米人さま、ご教示を誠にありがとうございます。

 大船渡から川に沿ってくねくねと山道を登っていき、世田米に着いてバスを降りて、そこに流れていた川の名前を見ると「気仙川」とあったので、勘違いして最初からこの川と一緒に来たような気になってしまっていました。
 今日、3年ぶりに地図で確認してみると、バスは世田米に着く前に尾根を一つトンネルで越えていたのですね。

 本文は、「盛川」に訂正させていただきました。ご指摘、ありがとうございました。

投稿者 hamagaki : 2006年8月 8日 23:51


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