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2002年12月23日 三朝温泉(2)

 昨夜は一晩中、 まるで枕の下を流れているかのように三徳川の水音が聞こえていました。 夢の中で何か四苦八苦して作業をしているのですが、 おそらく昨日の昼間に見た賢治と緑石の厖大な資料を、 ホームページにまとめるか何かしているようでした。
 作業は結局あやふやなままで、疲れて6時半に目が覚めたのですが、まだあたりはまっ暗でした。朝食までは時間があったので、 またお湯につかりに行きました。

 部屋に戻ると昨日買った河本緑石の詩集『夢の破片』のページを繰ってみました。朔太郎ばりの陰鬱な世界や、 ゴッホのような力強いタッチの作品が収められていました。
 朝食をすませると、お女将さんと宿に別れを告げ、ワゴン車で倉吉駅まで送っていただきました。

 さて、倉吉からは山陰線下り普通列車に乗って、日本海に沿って西に走り、三つめの浦安という駅で降りました。 駅前から北に延びる道路のまっすぐ先に、暗い海が見えます。
 それを目ざして海岸に出て、打ちよせる波を左に見ながら歩きました。時おり冷たい小雨がぱらつきます。 その海辺の道を1kmほど東へ行くと、逢束というところに出ました。

 69年前におそらくこのあたりの海で、河本緑石は溺れる同僚を助けようとして亡くなったのです。
 現在この場所には、「悼 緑石」と題された種田山頭火の下記のような句碑が建てられています。山頭火と緑石は、 生前に直接会ったことはなかったようですが、当時自由律俳句を唱導していた荻原井泉水の門下として、互いによく知っていたそうです。 緑石の訃報を聞いた山頭火の日記には、「緑石はまだ見ぬ友のなかでは最も親しい最も好きな友であった。一度来訪してもらう約束もあったし、 一度往訪する心組みでもあった。それがすべて空になってしまった。どんなに惜しんでも惜しみきれない緑石である。あゝ。」 と記されていたそうです。

(下の写真は、緑石の亡くなった逢束の海岸。右の石柱は、山頭火の句碑。)
                         「悼 緑石
                         波のうねりを影がおよぐよ
                         夜蝉がぢいと暗い空     山頭火」

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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