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2001年9月24日 2001年賢治祭の旅(4)

 種山ヶ原には、たくさんのアキアカネが群舞していました。ちょうど交尾相手を見つけるのに忙しいところだと思いますが、下の一匹は、 私たちが泊まったコテージのテラスで、今朝すこしだけ羽を休めていってくれました。

 10時前に高原を下りて、水沢江刺から東北新幹線に乗りました。列車の中で、一昨日にイーハトーブ賞授賞式の会場で購入した、 ますむら・ひろし さんの『イーハトーブ乱入記』という本を読みました。おもしろくて上野までの時間があっという間にすぎましたが、 なかでも「セロ弾きのゴーシュ」の三毛猫は、じつは高瀬 露さんが姿を変えたものではないかという話、銀河鉄道の星と「三角標」 の関係についての考察などが、興味深かったです。

 新幹線を上野で下りて山手線で池袋に行き、次は西武鉄道の秩父線に乗り換えました。埼玉の山奥のほうに行くのですが、 そのあたりは賢治が高等農林学校時代に地質学の研修旅行で訪れたことがあって、意外にも歌碑がたくさん建てられているのです。 埼玉県というと、去年の春に白岡町の鐘銘歌を見に来て以来になります。

 1時間あまり山峡を走って、西武秩父線の終点秩父駅で降りました。そしてそこからはタクシーで、小鹿野町の「おがの化石館」 という施設に向かいました。
 ここには、新生代第三紀の地層の大露頭があって、賢治もこれを見学に来たわけです。現在その露頭の前には、 賢治と保阪嘉内の歌碑が仲良くならんで建っています。
 また町役場前には、もう一つ別の賢治歌碑が建てられています。役場横のインフォメーションセンターには、 今年の花巻賢治祭のポスターも貼られていて、やはりここにも賢治愛好家がおられることを実感しました。

 小鹿野町は小さな町ですが、昔の宿場町ということで、街道沿いにいくつも古い商家が残っています。落ち着いて、 少し寂しい感じもします。役場前の歌碑の、「山峡の/町の土蔵のうすうすと/夕もやに暮れ/われらもだせり」という賢治の歌が、 まさにこの町の雰囲気をぴったりと表しているようでした。(注:「もだす」=黙る)

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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