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2000年8月 7日 三陸旅行(2)

 今朝は、まず県立高田高校へ行って、校庭にある石碑を写しました。『農民芸術概論綱要』のなかの一節、 「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」を刻んだものです。

 まだ朝早かったので、部活の高校生たちは、練習前のランニングをしたりグラウンド整備をしたりしていました。
 今日の陸前高田は「動く七夕祭り」というのがあるそうで、朝からきれいに飾り付けをしてお囃子を乗せた山車が、町内を移動しています。

 次に陸前高田を後にして、こんどは内陸部に向かって、陸中松川を目ざしました。ここは、賢治が晩年に嘱託技師として勤めた 「東北砕石工場」があったところです。
 まず猊鼻渓の駅で降りて少し歩き、東山町役場の裏にある石碑を写しました。この碑は、碑文も高田高校のものと同じで、揮毫も同じ 谷川徹三 氏ですが、こっちは何かいかめしくてこわいようなところがあります。
 碑のある丘から南西を望むと、賢治が「山地の肩をひととこ砕いて」(「三一三産業組合青年会」)と書いたように、 石灰岩採掘によって山稜が赤く削りとられているのが見えます。農地の改善のためと信じながらも、このような景色に、 賢治はアンビヴァレントな気持ちをいだいていたようです。

 このあと、東北砕石工場跡地に最近建てられた「石と賢治のミュージアム」というのを見ようと思って行ったのですが、 なんと今日は休館日で、残念ながら中に入ることはできませんでした。
 ただ、ちょうどこのとき周囲の掃除をしておられたボランティアのおばさんがたいへんに親切で、 京都から来たのに閉まっていたということによほど同情していただいたのか、 その後も付近をうろうろしていた私をわざわざ追いかけてきてパンフレットを渡して下さったり、さらに後でまた「これいま煮たばかりだから」 と茹でたとうもろこしを二本と、冷たいお茶を下さったりしたのです。おばさん、どうもありがとうございました。とうもろこしも、 おいしかったです。

 陸中松川を後にすると、また陸前高田に出て、大船渡線-三陸南リアス線-山田線と乗り継ぎ、今晩の宿泊地の宮古へ向かいました。
 このあたりの沿線は、トンネルを抜けるたびごとに、小さな湾と小さな港が現れるような景色です。

written by hamagaki : カテゴリー「賢治紀行

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